日々、いろいろと独りよがりになっていることが多くて、自分が嫌になっている。
「何かしたい」と強く思っても、なかなか人を巻き込んでうまくやることができない。
思い返せば、昔から私はそんな奴だったなぁと思う。
サッカーチームでキャプテンになっていた時だって、全然思うようにチームを動かせなかったし、小学校でも中学校で生徒会の何かの委員長をしていた時も、一人だけ勝手にんテンションが上って誰もついてこなかった。
何かの遊びをしたい時もそうだった。
なんか、結局一人でやるしか自分にはできなくて、周りの人間と調整しながら、手を取り合ってやっていくのは昔からうまくできない。それは今も全然変わらないのだなと思った。人の特性なんて、子供の頃からずっと変わらないのかもしれない。
昔からずっと、志を同じくする仲間と一致団結して何かに取り組むというのが、羨ましくて仕方がなかった。自分のことは、ずっとひとりぼっちのような気がしている。ひとりぼっちの歯ブラシだ。でも、一緒にユニットとか組んでやっている人たちの内情ってどうなんだろうか。私が羨ましがっていて、知らないだけで、本当はどろどろした何かを抱えているのだろうか?退屈な話題に終止しているのではないか?俺みたいに一人で空回っている感を、みんな味わっているのか?みんな孤独なのか、俺だけ孤独なのか?
ただ、どうしてそうなってしまうのかと考えた時に、理想が明確にあるほど、人と一緒に何かをやることは妥協の連続になってしまうからではないかと思った。
クオリティを追求するには、一人でやる方がいい。
芸術作品は共同制作のものは少ないし、共同制作で歴史的な作品というのはあまり聞いたことがない。だから、こだわる人ほどみんなでやろうにはストレスを感じるのではないか。
アニメ制作は集団制作だと言う。さまざまなシーンをさまざまなアニメーターが分業して描くので、監督の理想通りに仕上がることなど殆ど無いという。エヴァンゲリオンの庵野秀明監督も「どこまで妥協できるか、落とし所を何とか探して世に出している」と言っていたし、ジブリの宮﨑駿だって一緒だろう。
小説だって手段制作というものは少ないし、やっぱり何事も一人でやるほうがクオリティは高くなるのではないだろうか?
なんて自己擁護してみるが、俺なんて実績何もなくてクズなわけだ。
俺の成果物の少なさと、結果の少なさ。相当問題だ。もう30なのに何も満足行く成果がない。妥協したものしかない。偉そうで、文句ばっかり言っているのに、今までの実績はうんちと言っていいだろう。そして、フォロワーの数も、ファンの数も全然いなくて、ハゲ散らかしている。
そう思っているが、一方で自分のことをすげぇできるやつだと思いたい自尊心がぶくぶく肥大化した奴でもある。
心の底から面倒くさい人間だと自分で思う。