先日、自分の村の自治会の総会に初めて出席した。たくさんの案件を地域でさばいているが、どれもこれも行政の下請けのような仕事ばかりで、地域から自発的に生まれた取り組みというものはほとんどないように感じた。
ところで、自治会・町内会の歴史とか調べてみると、全く「自治」のための成り立ちではないようである。日中戦争時に整備され始め、その目的の中には「市町村ノ補助的下部組織トス」なんてことが書いてある。そして、自治会・町内会は戦時体制の維持に大いに活躍したという。さらにその起源が江戸時代の5人組という説が有力のようだ。つまりは、「地域自治」とは正反対に、権力側が地域を支配するために作った従属組織だということである。
今でこそ自治会や町内会は「自発的な主体」「地域のことは地域で」とか言う建前になっている。しかし、そもそも上意下達のために作られた組織であり、ボトムアップで合意形成をしていくことには向かないと思われる。「何のために生まれた組織か」=「何に便利な組織か」という生まれの宿命には原理にはきっと逆らえない。実際に行われていることも、市町村が都合よく使える補助的下部組織としての活動である。そしてそもそも「自治せよ」という意図も、地域から自治をさせてほしいと立ち上がったわけではなく、行政が勝手に決めた政策の中で「自治せよ」と言い出した訳だ。
結局、そこに住む人間の必要性から生まれた組織ではなく、支配者・行政の都合で生まれた制度というのは、どこか地に足がついていなくて、不自然な負担を住民に課すものである。「地域活動の担い手がいない」というのは、行政から下請け的にさせられている地域活動をボランティアでやる担い手がいないのであり、本当に地域住民が必要としている仕事ではないようにも感じる。
「みんなで話し合って何かを決める」という政治的な行為というものは、一見当たり前のことのように思えるが、実はそんなものは自然発生しないのかもしれない。
つまり、誰かが何かこうしたいという意図があったとき、その承認のプロセスとして「みんなの意見を聞いた」という逃げ道が有効なのではないか。
これは、昔も今もきっと変わらない。
現在も行政の仕事の中にはこのような「住民の声を聞いた」という逃げ道づくりの仕事が大量にある。そして、私が知る限りその声を聞くプロセスは全て、「既に大枠の政策が決まっている段階」で行われるただのアリバイ工作に過ぎない。結果、行政から声のかかる「市民」は行政に都合の良い人材ばかりになり、普通の市民の目に見えないところで行政の計画は決まっていくのであった。。。
私はここ数年、某市の事業に関わるようになり、行政組織の巨大さと閉鎖性にうんざりしてきた。そもそも公務員は選挙で選ばれた訳でもなく、単に試験を通ただけの人間である。そんな人達が閉鎖空間で市の計画を鉛筆ナメナメしながら作っている。しかも、実質的にその計画をつくるのはその分野の専門家でもなく、3・4年したら異動する素人の、しかも係長以下の職員だ。その人達が国の政策と、市のお偉いさんが決めた方針を最大限尊重し、市民の声を反映したというアリバイを一生懸命作って、当たり障りのないその場しのぎの計画をつくっている。そこに市民のボトムアップで政策を作っていこうという意図は全く無いし、そんなものが入り込むスキもない。
そして、行政がやりたいことをやるために、市民の声というアリバイを集めるのに都合の良い大きな存在が自治会・町内会となっている。そして、その出自を見るに、支配者側がそのために生み出した組織なのだがらこれほど都合の良いものはない。
本当の自治のためには、その土地に根付いて自然発生的に生まれた組織をベースにする他ない。しかし、そんな組織があるのか…。今後は、そんな視点も持ちながら地域を見つめていきたい。