面倒くさくて非効率なものを、どう守るのか?

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私の住む地域では、地域の仕事がいくつも残っています。村の神社に奉納するしめ縄づくりからはじまり、農業用水路の泥上げ、夏場の複数回の草刈り、春秋の祭り普請、クリーン作戦、さらに外の人を迎えるほたる祭りなど。改めて挙げてみると、毎月何かしら仕事があり、我が地域ながら「よくこんなにやっているな…」と感心しました。

そんなことを外の人にお伝えすると「すごい地域だね」「地域を想う人が多いんだね」などと言われます。が、実際に地域の中はそんなに綺麗なものではありません(笑)実際、地域の仕事はみんなでやる分、非効率で面倒くさく、とても大変です。毎年、「来年はしめ縄買ったらどうか?」「草刈りは業者に発注すれば…」と言った話が持ち上がります。それでも、「まぁまぁまぁ」と言いつつ、半分は仕方なく地域の仕事は残り続けてきました。

 もし、私の地域に凄腕ビジネスマンのようなリーダーや、豪腕の政治家が現れたとしたら…きっと、「地域の皆さんにそんなご苦労はかけません!」と、地域の仕事は合理的に整理してくれるのでしょう。それこそ、ビルやテナントの掃除やセキュリティを外部の清掃員や、警備員に発注するように。補助金を引っ張ってきて金で解決してくれる豪腕政治家のように。そうして、便利で快適な暮らしを地域にもたらしてくれるかもしれません。それが、住民も「ありがたい」と思う<民意>と言えるのかもしれません。

 では、そんな便利で快適な暮らしが「幸せ」につながるのでしょうか。それにより失われるものはないのでしょうか。もし、私の地域で草刈りを業者に頼んだとしたら…。だるいだるいと言いながら、若手からシニアまでが集まって、共に汗をかき、休憩時間に「昨年来ていた●●が来てないぞ」「去年が暑くてつらすぎて、今年はお休みらしい(笑)」「情けない!」なんて、他愛もない話をして、何となく「また来年~」と別れていく。そんな時間がなくなります。しめ縄を買うことになれば、大工の作業小屋にばあちゃん、じいちゃん、若手もみんな集まって、酒を飲みながら、藁まみれになってわいわいと作業をする。そんな時間もなくなってしまいます。地域の仕事は確かに面倒くさい。けれど、人と人とが共に過ごすかけがえのない時間でもあるはずです。この時間を新たにつくるとしたら、果たしてどんな方法があるのでしょうか。

便利さや快適さは、一方で人とつながる機会を奪います。不便さや、面倒くささは、一方で人とのつながりを(強制的に)もたらしてくれます。

「不便益」と言う言葉があります。不の便益ではなく、不便の益 (benefit of inconvenience) 。つまり、不便がもたらしてくれる良かったことという言葉です。不便があるからこそ得られるものが実はたくさんあります。

しかし、世の中は「便利で快適に、効率的に」という方向に大きく進んでいます。大変なことは避けられ、便利なこと、楽しいこと、わくわくすることを選ぶことこそが素晴らしく非効率やムダはどんどんと解決すべきだ、と。

そのような世の中の雰囲気で、不便さや面倒くささを「あえて」守ることは、非常に難しくなっていると感じます。この先、何を残し、何を守っていくのか、じっくりと見極めていきたいですね。

NPO法人市民協働ネットワーク長岡の連載コラム「今日どう?通信」への寄稿文を転載

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