ほぼ毎年12月にブログにその年の振り返りを書いていたようだ。ふと読み返すとものすごく恥ずかしい内容で、よくもまぁ世間に自分の話を晒しているものだ、と自分でドン引きしてしまう。ただ、その時の自分の考えに少しでも触れられるのは、なかなか感慨深いものもある。「ブログの読者は未来の自分」とは、いろいろなところで聞く話だが、また来年再来年のために、今年も振り返り記事を書こうと思う。
2015年にとうとう30歳になった。30歳になって何が変わったかと聞かれても特に何も変わっていないのだが、自分にとって少し特別な年齢なのである。というのも、2012年6月に約5年間勤めた会社を辞めた。当時26歳。今思えば発作的に辞めたような気もする。社会の熱にあてられたのか、震災のショックから道を見失っていたのか。ともかく、「30歳になるまでに、事業の将来的展望がみえなければやめる」という損切りルールのようなものだけは決めていた。そして今年、自分で決めた約束の30歳になった。
今年の4月に就職をした。
決してフリーランスとして失敗したとは思っていない。むしろよくやっていて結果も出ていたじゃないか、と当時の帳簿を振り返ると自分を慰めたくなる。けれども、自分の思い描いていた通りではなかった。それは誰もがそうなのかもしれない。自分が納得行く現状にある人などほとんどいなくて、大半はこんなはずじゃなかったと思いながら日々を歩んでいるのかもしれない。30歳。仕事を辞めた時は、大きな覚悟を持って何かに挑んだと思っていた。でも3年と少し経って、結局何者にもなれなかったという感覚だけが残った。
世の中で華々しく活躍する人、我が道を行く人を見て、「いつかは、私も……」と思い続けてきた。その渇望は今も変わらない。ここではないどこかへ、そんな願望は自分が変わらないかぎり叶わない。しかし、自分はそう変えられるものではない。そういうことに、良い意味で少しだけ諦めがつき、30歳になった。
今の職場はすごく楽しいし、やりがいも感じている。フリーでやっていた仕事も続けていて、少し大きな案件もやるようになった。外から見たらきっとよく見えるのだろう。自分でも悪いとは思わない。けれど、どこかずっとぬるま湯に浸かっているような気もする。30年、自分を甘やかし居心地の良さそうな所へ流れて、流され、逃げて、逃げ込んで来たような気がする。それはとても幸せなことで、周りの人に申し訳なくなるくらい幸せなことで、そういう幸せに自分が甘えていることも自覚している。家族も元気で、経済的な問題も、健康上の問題もなく、トラブルに悩まされることもなく、仲間たちがいて、絵に描いたように平和な日々を送っている。けれど、どこかに満たされない気持ちがある。
「王立宇宙軍オネアミスの翼」のオープニングのセリフが好きだ。森本レオが声優を務めた、主人公「シロツグ・ラーダット」の少し気の抜けた語り口調のモノローグ。
いいことなのか、それとも、悪いことなのか、わからない。
でも多くの人間がそうであるように、俺もまた自分の生まれた国で育った。
そして、ごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。
だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労も知らない。
別に、知りたいとも思わない。
子どものころは、水軍のパイロットになりたかった。
ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。
早く、高く、空を飛ぶことは、何よりも素晴らしく、美しい。
でも、学校を卒業する2ヶ月前、そんなものにはなれないってことを成績表が教えてくれた。
だから、宇宙軍に入った――。
(「王立宇宙軍 オネアミスの翼」シロツグ・ラーダット)
私も、貧乏人の苦労も、金持ちの不幸も知らない。外国にも住んだことはなく、実家のある長野県と、新潟県にしか住んだことがない。災害にもあっていないし、紛争にも巻き込まれていないし。事故にすら合っていない。一見何の苦労もない、恵まれた幸せな人生を歩いている。
ただ、だからと言って苦悩がないわけではない。どんな人間であろうと存在との闘争があり、生きていく。子どものころになりたかった者にもなれず。今も何者にもなれない。
この先、自分がどんな人生を歩いて行くのか、何かを成し遂げられるのか、わからない。2015年を振り返れば、仕事では過去最高益だったし、長岡市だけに限れば、いろいろなつながりもできた。プライベートでは結婚したし、週末農業の仲間も仲良くしてくれた。これで不満と言っていたら回りから本当に怒られそうなのだが、結局自分はこのままでしか生きていけないんだと改めて思った年でもあった。
「生き方を変えたければ、環境を変えろ」というのはよく聞く格言だが、きっとその通りなのだろう。東南アジアにでも引っ越せば自分の人生はガラッと変わる。けれど、私にはそんな気概もない。きっと、どこかで変わらない自分に満足をしているのだと思う。
友人の坂爪圭吾がよくブログで「自分には、この身体とこの精神しかないのだから、死ぬまで付き合っていくしかない」という事を書いている。自分の弱さを受け入れて、付き合っていく。高い目標を見上げて生きるのではなく、足元の自分自身を見つめながら、自分と付き合って生きていく方法が私には合っているのかもしれない。