「三方良し」は封建的で残念な精神かもしれない

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「三方良し」は、ビジネスの現場ではよく聞く言葉だ。近江商人の心得で、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」が揃うのが良い商売。ちゃんと社会貢献を考えなきゃダメだよ、という一見すると良い話に見える。

だが、これは日本の封建的な社会システムを良く言い表した言葉とも言える。

そんな事例が最近あった。

SMAP解散騒動だ。

ざっくり言うと、SMAPが独立しようとしたが所属事務所がそれを抑えこんだ、という流れか。

おそらく独立することでSMAP自身は良かったのだろう。「売り手よし」だ。そして、ファンだって彼らが自由に色々できるのは嬉しいし、テレビ局や製作会社も仕事を頼みやすくなる面もあるだろう。「買い手よし」だ。しかし、所属事務所は良しとしなかった。彼らは他の多数のタレントも抱えているし、稼ぎ頭に独立されては経営にも打撃がある。多くのタレントを抱える事務所を中心とした世間は「良し」とはならなかったということだろう。

 

この話からも分かるように「世間」とは、マジョリティであり、既得権益であるとも言える。

他の例を考えてみよう。

福井県の高浜原発の再稼働が決まった。いろいろな見方がある難しい問題だが、テレビで町の人のコメントに「原発関連で働いている人も多く、地域の経済面を考えても仕方がないのではないか」というもがあった。要は世間の雇用を支えている原発を動かすことは「世間良し」と言えるのかもしれない。一方で、将来のリスクなどといった当事者となる世間が明確で無いものは「世間」になりにくい。原発反対を推進することは、「地元の雇用を生む」という世間良しとは反発してしまう。

同じ構造は水俣病の時にもあった。水俣病の原因であるチッソの工場は、地元の雇用を支え、経済を支える大きな存在だった。そのため、水俣病という公害を引き起こしても、地元では水俣病患者のほうが圧力をかけられることになった。

世間良しの世間とは一体何なんだろう。

 

日本は100年続く企業が世界で一番多いそうだ。

2012年の東京商工リサーチの調査によると、2万7441社が創業100年を超え、200年以上の会社は1575社、500年以上の会社も158社あるという。

ちなみに世界で100年続く企業のうち、実に80%が日本企業だという。

私はこれを聞いて、昔は「なんて素晴らしいのだろう」と思っていた。

しかし、一方でそれは、日本が特別に既得権益が守られ続ける、既得権益者が力を持ち続ける風土だとも取ることができる。

最近ようやくそのことに気づいた。

 

新興企業はいつの時代も、多数の既得権益者の利益を脅かす存在である。つまりマジョリティである既得権益者の「世間よし」の理屈で言うと、「世間悪し」となり、潰す対象になる。

最近だと、クローズアップ現代で新潟県の離島・粟島浦村でゲストハウスを作ろうと挑戦する女性の取り組みが取り上げられネット上では話題になった。

番組のテキスト起こし:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3752.html

トゥギャッター:小さな島の大きな決断 ~地方創生の現場から~ #NHK #クロ現 #クローズアップ現代

簡単に言うと、

  • 若者が長期滞在できる安宿=ゲストハウスを作りたい
  • 素泊まり2,000~3,000円くらいを考えている
  • しかし、島の民宿は、どこも一律料金。1泊2食で7,020円が約束事
  • 素泊まりでも3,240円だから、それより1円でも安ければ地元からクレーム
  • 物件を貸してくれる人もなかなかいなかった

とのこと。村の宿泊業を支えるためにも、料金は一律で足並みを揃えろということだ。果たして、値段がつり上がってしまったゲストハウスに若者が来るのか?本末転倒になってしまう気がする。

もちろんテレビから分かることは少ないが、ただ「既にやっている多数の人」が「新しくやろう!」としている人を潰す例は世間にはたくさんあると思う。郊外型の大型ショッピングセンターの出店に地元商店街が大反対キャンペーンをするのも似ているかもしれない。ホリエモンが潰されたのも既得権益からの強力な圧力か。自民党の圧倒的支持率も、経団連や青年会議所といった既に利権を持っている人たちの強力な地盤によるものだ。既得権益の何と強力なことよ。

 

もちろん、近江商人の時代には、「世間よし」を振りかざし、幾つもの新しい芽が潰されていったのではないかということが容易に想像できる。というかよく考えれば、近江商人の時代は身分制度がある超封建社会じゃぁないか。商売は当然許可制。許可制=独占=利権。おいおい利権を守る思想こそが「三方良し」と言えるんじゃあないか?と思ってしまう。

 

何となく生きていると「三方良し」も「100年企業」も、良いことのように思える。しかし、それは既得権益を権力者が確保し続けてきた歴史の上に成り立っているのかもしれない。

 

「世間」とは複雑なものだ。

誰が当事者かによって世間は違うし、時間軸で見ても違う。

世間は人の数だけある。自分の思う「世間よし」は、別の誰かの不利益になるのだろう。それが悪いわけではない。そういうものだという現実を受け入れて生きていきたいと思う。

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