2/9にEテレのハートネットTVで放送されていた死刑囚袴田巌さんの特集を観た。
番組タイトルは「待ちわびて―袴田巌死刑囚 姉と生きる今―」。NHKのサイトから番組概要を引用する。
48年の拘禁を経て、再審開始決定により2年前に釈放された袴田巌死刑囚(79)。82歳になる姉の秀子さんは「死刑囚の姉」という差別の目にさらされながらも弟の無実を信じ、人生の大半を弟のために捧げてきた。釈放され弟と暮らすようになったが、弟は長い勾留生活の結果、精神障害である「拘禁反応」を患い、妄想的な言動が続いている。それでも秀子さんは、ありのままを尊重し愛情にあふれた眼差しで辛抱強く見守っている。
「袴田事件」の冤罪の酷さも然ることながら、人間というのは環境によって簡単におかしくなってしまうということをまざまざと見せつけられたような気がする。
袴田氏は1966年に逮捕されてから、2014年3月まで収監拘束されていた。
いつ死刑が執行されるかわからない。
いつ自分が死ぬかかわらない。
その瞬間を狭い部屋に閉じ込められただ待つしかない生活は、袴田氏の精神を蝕んでいった。
環境によって人の頭のなかは簡単におかしくなってしまう。
そして、脳がちょとおかしくなれば、「まとも」ではなくなってしまう。
テレビ画面に映し出される、袴田氏はまるで私たちとは違う世界を生きているようだった。いや、事実違う世界を生きているのだろう。
あの映像を見て感じるのは、「私も欠陥がないとは言い切れない」ということだ。私のまともは誰が保証してくれるのだろうか?果たしてまともと言えるのだろうか?
私たちは誰もが脳の創りだした幻想の中を生きているのかもしれない。例え同じ現実を生きていたとしても、脳が認識した世界が違う可能性がある。そもそも「まともなもの」自体がある個体の中に限定された常識にすぎないのかもしれない。袴田さんの世界。私の世界。あなたの世界。それが本当に同じ世界だと言えるのか?
そんなことを考えさせられた。