<読書>失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ|三島邦弘

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読んだ。

出版社「ミシマ社」の挑戦と失敗のストーリー。その中で、なぜ失敗したかを冷静に分析している書き口が面白かった。想いと、行動と、結果。なかなか3つがカッチリと揃わないのが人生の面白さだよな~。

私もライター・編集者の端くれとして、出版社や編プロ的な活動を拡げたいと常日頃から口にしている中で、同業者の活動遍歴はすごく参考になった。特に、どうコンテンツ(この本では書籍)を作っていくか、展開していくかは考えさせられた。

自分は、どんな作品を作り続ける事ができるだろうか?俺の場合はどんな文章を書き続けることができるかどうか。一番継続できそうな表現は何か。もっと絞り込んで、世間的に尖るように蓄積して行かなくてはいけない。私でも作り続けられ、そして長く読まれる文章は何だろうか。もう一度今まで作ってきたものを振り返って見る時間を作ろうと思った。

映画監督の押井守氏は「映画を見つづけるのだけは飽きなかった」と言っていた。「好きというよりは、それしか続かなかった」とも。それは「生活の癖なんだ」とも言っていた。

三島氏の言う「感覚」はどこかギラギラと研ぎ澄まされた印象があった。一方、押井氏の「感覚」はもっと後ろ向きというか何というか。個人的には押井氏的なのっぺりとした、自分の生活の癖的な感覚を大切に、続けられること(かつ、人より優れていそうなもの)をがんばって見つけて行きたい。

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