やりたくないことを強制的にやらされるのが「仕事」で、それも悪く無いという話

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よく「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にしたいという人がいる。しかし、仕事というものは本当はやりたくないことをやらなくてはいけないものだ。できれば避けたいこと、一人でやるのだったらそこまでやりたくないことも、仕事であれば強制的にやらなければならない。

 

しかし、それが悪いことだというわけでもないと思う。

先日、為末大さんがスポーツ選手の「コーチ」の役割について「選手が自分で思っている限界を突破させてくれる存在」という主旨のブログを書いていた。「絶対やりたくない!」ということを強要してくるのがコーチであり、実際やってみると選手が自分で思っていた自分の限界を大体突破していくそうだ。そういう「多少の無理」を強要してくる存在が人の成長には不可欠のようだ。

 

そういう面で考えると、仕事というのは「自分は向いてないんだけど」とか「それ無理じゃね?」ということを強制的にやらされることばかりだ。実は、私は交流イベントを主催するのが苦手だ。企画を立てるのはまだ良いのだが、講師依頼や会場準備・人員配置、タイムスケジュールを組んだり集客したりといった作業はたいへん苦手である。そして、そもそも不特定多数が集まる交流会自体があまり得意ではない。だから、自主的には交流イベントなど主催しないと思う。しかし、「仕事だから」と現在は頻繁に50~100人規模の交流イベントを企画運営している。準備している最中は、「嫌だなぁ、やめたいなぁ、うまくいかない気がするなぁ」と後ろ向きなことばかり考えていて大変キツイ。けれど、いざやってみると「あぁやってよかったなぁ。いいイベントだったなぁ」と満足感を味わえる。自主的にはおそらくやらないことを、必死こいて考えて、怒られないように失敗しないように工夫して、「イヤだーイヤだー」と思いながらもなんとか実現させる。そうすることで、絶対に経験できなかったことを経験できたり、味わえなかった達成感を得られたり、思わぬスキルが身についたり、自分の違う一面がわかったりする。これが「仕事」の醍醐味なのかもしれない。

 

もう一つ、

私は「ライター・編集者」である。そして、にいがたレポやこのブログ、雪出版のコンテンツといった自分のメディアも持っている。「自分が本当にやりたいこと、書きたいこと」は、このインターネット時代にいくらでも表現できる。しかし、依頼を受けて書く「仕事」は決して自分の書きたいテーマだったり、取材したい対象だったりするわけではない。むしろ、乗り気じゃないことの方が多かったりもする。おそらく自主的には絶対に書かないこと、取材しないことを強制的に「やらなければいけない」状態に追いやられるわけだが、やっぱりこれもストレスがすごい。いつも「俺には無理だ。つらい」と弱気になる。でも、なんとか乗り切った際や、実際に取材してみた時には自分のやりたいことだけやっていたのでは見えない景色を見ることができる。そして、たいてい無理して、やらされて書いたことのほうがいい物ができる。

 

誰かの意図をまるっと受け止めて、やりたくないことを強制的にさせられるのが仕事なのかもしれない。それは辛いし大変だけど、だからこそ発見できること、達成できるレベルがある。そういう意味では仕事はストレスで死なない範囲で自分なりの楽しみ方や乗り越え方を見つけられれば、悪いものでもないような気がする。

 

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