「選挙カーは時代遅れだ」的な批判が目につくけど…

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選挙になると毎回、「選挙カーがうるさい、街頭演説がうるさい、迷惑で未来に残したくない」というような意見を耳にすることがあるけれど、選挙カーの有用性をちょっと軽視しすぎでは?

 
そもそも日常に強制的に割り込んでくる情報というものがどれ程あるか?実はほとんどないはず。
「強制的に」というのがミソで、テレビCMやっている、いない商品の認知度の差が絶大なのは 、テレビを見ていると強制的に見せられるから。今ではYoutube広告の認知度もそうかも。日常に強制的に割り込んでくるから認知される。
そして、テレビでも20%視聴率がある番組だったらすごい影響力があって、それを話題にする人も増える。
で、選挙カーですけどあの爆音でその周辺にいる人の視聴率ほぼ100%ですよ。こんな強力な認知メディア他にないでしょ。
 
もちろん選挙カーは候補者の主義主張をちゃんと伝えるという面では不便なメディアですが、そもそも選挙の雰囲気を盛り上げて皆に選挙いかなきゃと思わせる役割はすごいと思う。
ネット時代にはとりあえず「気になる」と思ってもらえれば、政策はWEBサイトにキッチリとまとめておけばいいし、討論会の案内をして来てもらうこともできる。そもそもネットの検索は「認知」しているものしかできなので、「知ってもらえる機会」として周辺視聴率100%の選挙カーはむしろネット時代の方が自分のことを理解してもらう最初の入り口としてはめちゃくちゃ有効とも言える。
 
それに選挙カーの存在がなかったら投票率すごい低いと思う。それはサッカーをスタジアムで見るとの、テレビで見るのはまったく臨場感が違うのと同じ。
 
テレビで「あー、今日はサッカーかー」と仕事から帰ってきてビール飲みながら見るのと、スタジアムに向かう途中、会場に近づくにつれて周りにはユニフォームやフラッグを持った人がどんどんと増えてきて、屋台のにおいや、イベントの音、スタジアムから漏れ聞こえるサポーターのコールが聞こえ始め、スタジアムDJの声でメンバー発表を聞いて、チケットを切ってもらい手荷物検査をして、座席を探して、飲み物なんかを売店で買ってきて、そんな空間で見る試合。後者のそうやって高まる「いよいよ始まる」という臨場感は、テレビの前にはまったくない。選挙カーや街頭演説が作り出すまちの雰囲気も全く同じだと思う。
 
そういう意味では「うるさい迷惑な候補者だ」というような候補者は、むしろ自分のイメージダウンのリスクがありつつも選挙の雰囲気作り、政治への関心づくりに貢献しているのだとも言える。私なんかは「何かうるさいって悪口言われていましたけれど、ご自身のイメージ下げつつも選挙を盛り上げてくれてありがとうございます」と褒めたいくらい。
 
街頭演説も選挙カーも街をどんどんうるさくして結構!だって、政治に関心が高まるのはいいことだと思うから。そして、リアル空間の影響力が一番なのは、どんなに科学技術が発達した未来もきっと一緒。ただバーチャル空間というPRの空間がひとつ増えただけ。まぁ、意見のぶつけ合いをするのに適しているのはネットやテレビ討論などバーチャルな空間の方な気もするので、そうなると選挙戦のやり方も変わってくるんだけども、まぁそれはそれで大事だよということで。
 
 
※バーっと書いた後で自分で読み直していて「最近防音のいい建物が増えたから選挙カーと言えども100%ではないのか…?」と思いました。
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