ロクデナシになれなかったとしても

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中学生の頃から、ブルーハーツを聞くようになった。

私は1985年生まれなので、同世代はど真ん中世代とはズレていたと思う。みんなTRAIN-TRAINや情熱の薔薇、リンダリンダなど有名な曲は知っているしカラオケでは歌えはしたけれど、いろんな曲を知っているというわけではなかった。

ブルーハーツの何が好きだったのか?と聞かれれば「世間に馴染めない感」が好きだったんだと思う。私は歌詞が好きなので、洋楽はさっぱり。歌詞の意味のわかる歌の方が聞いていて楽しかった。ブルーハーツの歌詞にある世の中で皆が当たり前に生きていることが、自分には受け入れられないような感覚が思春期以来ずっと私にとっては救いだった。

好きだった曲の一つが「ロクデナシ」。

歌詞の一部はこうだ

 

役立たずと罵られて 最低と人に言われて
要領良く演技出来ず 愛想笑いも作れない
死んじまえの罵られて このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と やっていくこともできない

全てのボクのような ロクデナシのために
この星は グルグルと回る
劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない

-ザ・ブルーハーツ「ロクデナシ」

私は成績は悪くなかったし、運動もそれなりで、人付き合いも下手ではなかった。今も、仕事もできなくはないし、立ち回り方もそれなりに心得ているつもりだ。

けれど、常に世間からの疎外感を感じていた。

役立たずと罵られることなく、割りと役に立つし
最低とはまぁ言われるけれど
要領の良い演技も愛想笑いも得意な方
私の事死んじまえと思っている人はいるかもしれないけれど
バカと言うよりは理屈っぽいと言われ
一見するとうまくやっているように見えるのだけれども、

けれども!

うまい具合に世の中と折り合いをつけてやっていくことができない。

劣等生としてもはみ出し者としても生きられない。社会の中にひっそりと、息を殺しながら、なんとかしがみついて生きている。でも、世の中を見渡すと、多くの人が当たり前のように日々を生きている姿を見て、疑問を持ちながら、どこにも自分の居場所がないように感じている。そんなタイプのロクデナシだと言える。

日本一有名なニートと呼ばれるPhaさんがブログで「ダメ人間になりたかった」というエントリーを書いていてものすごく共感したことを思い出す。

いっそ、はみ出し者であれば自分らしく振る舞えたのかもしれない。ダメ人間だったら、本当にあきらめて

誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはない
自分を殺すことはない ありのままでいいじゃないか

-ザ・ブルーハーツ「ロクデナシ」

と思えたのかもしれない。

でも、自分を殺して誰かのサイズに合わせれば、波風立てず、それなりに上手くやれる現実が目の前にあると、そこに逃げ込んでしまう。たぶん、世の中にはそういう人が多いんじゃないかなと思う。

世の中にしっくりきていなくて、それが世の中のせいではなく、自分のせいだと思っている人。はみ出したり、誰かのせいにしたりして怒ったりできない、ロクデナシになりきれない人。きっと、自分がそうだからこそ私はそういう人のことが好きなんだと思う。

 

先日、32歳になった。相変わらず、どこにも所属感のないような、不安定な心を抱えて生きている。とは言え、結婚して子どもも生まれ、そして32歳になった。前よりはすこし、地に足がついてきたような気もする。今でも世の中には疑問だらけで、みんな何考えて生きているのか気になって仕方がない。でも、すこしは自分にとって「確か」なものが見えてきた気もする。ロクデナシにはなれそうもないが、世の中と上手くやっていくことのできないタイプの人間ではある。そういう人と、一緒に安心できる場を作っていきたい。最近そんなことを考えるようになった。

 

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