2017年9月末をもってNPO法人市民協働ネットワーク長岡のフルタイム勤務を終え、10月から非常勤扱いとなります。それに伴い、長岡市と協働運営しているながおか市民協働センターへ顔をだすのも週に2日くらいとなります。
2014年12月からNPO法人市民協働ネットワーク長岡にはお世話になっているわけですが、働き方を変えてこの先も業務に関わることになりました。関係者の皆様には御迷惑かける部分もあるかとは思いますが、ご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。
とは言え、正職員扱いではなくなりましたので、「会社員(正確には団体職員)」の身分を失くしたことになります。2012年6月に㈱グローカルマーケティング(元:コマスマーケティング)を退職して、個人事業主になって以来、5年ぶり2回目の国民年金・国民健康保険。これからは出費がかさむなぁ。
周りには「子どもが生まれて半年で会社辞めるなんて、、、」と、言われたりもしている訳ですが、どちらかと言うと退職理由は「子どもが生まれたから」となります。私と妻は燕市吉田に住んでいて、私は長岡市に1時間ちょっとかけて通勤。妻は新潟市に約40分かけて通勤していました。2人だけの生活の時には特に問題はありません。ただ、2017年3月末に子どもが生まれてから実際に子育てをしてみて「妻の育休明けに、お互いに同じような働き方を続けることは難しいだろう」という判断となりました。お互い体力がある方ではなく、保育園に預けるとしても勤務先が逆方向で、かつ遠距離の中、小さな子どもを育てるのは難しいだろう。妻の実家が新潟市にあり、妻の職場も新潟市にあるので、やはり近い場所に移るのが良いのではないかという結論になりました。
もちろん、新潟市から長岡に通ってフルタイムで働いても良いのでは?という話もありました。その中で、働き方を変えるという選択をした理由は3つほどあります。
ひとつは、「まちづくり・地域づくり」という仕事内容に関するもの。当NPO法人の仕事に関わるようになってから、ずっと心苦しく思っていたことなのですが、本来であれば「まちづくり・地域づくりは、そこに住む人がすべき。当然のことながら支援する立場の人もそのまちに住むべき」という想いが私の中にあります。もちろん、職務上の「スキル」を求められて、住所にかかわらずある仕事に関わることというのは一般的です。しかし、まちづくり・地域づくりは特殊です。地域は自分たちの暮らしを取り巻く環境であり、その環境が豊になるようにしようという活動には、当事者性が不可欠だと考えています。「自分の暮らしを良くしたいから、地域貢献をする」というのが、モチベーションの大前提なのではないでしょうか。子どもができたことがきっかけで、私が長岡市に移り住む可能性が、しばらくなくなった=当事者になる可能性が低い以上は、その地に足の付いた人が関わるべきだと思っています。
2つめは、生活と仕事の物理的な乖離です。燕市にアパートを借りている訳ですが、仕事は長岡市。さらに、個人事業で受けている編集/ライティング系の仕事は県内全域。プライベートでは長岡市の市民活動に関わったり、新潟市西蒲区の活動に関わっています。妻の仕事は新潟市で、妻の実家は新潟市西蒲区。会社員の顔、ライターの顔、市民活動、畑、夫、子育ての顔などいろんな顔を持っています。そして、そのどれも物理的に遠く、どれもボリュームが年々増え、明らかに自分の手や頭が回らなくなっていると思っていました。それぞれの活動がリンクしていればまだ良いのですが、物理的距離がある分か、どれも独立して存在していてなかなかつながっているわけではない。初めての子育てということもあり「このままではパンクするな」と思いました。
3つ目は、主体の問題です。大きな組織や、共同体の中で、何かを行うというのは、非常に厄介なんだということを学びました。いろいろな人や組織に関わる中で、一番いいなぁと感じたのは「勝手にやっている」人たちでした。自分の責任を取れる範囲で、自分の持っているものを使って、自分らしくやる。その上で、人に必要とされるものを、人に流されるがままにしていく。そういう在り方こそが、市民活動のベースだなと思うのです。そうなった時に、所詮傭兵である私では、情勢に振り回されるばかりで結局は何もできないないのではないか。政治とはあらゆる立場を背負って落とし所を探るものであり、そこには「合理的判断」では収まらないことの方がたくさんあります。仕事の中身も全く同じで、立場を背負わない傭兵の提案する合理的判断だけで事は進まないのです。そういった意味で私自身が利害関係となる主体を持たないことには、何も動かないし、動いたとしても全てが私の生活と無関係な場所で動くことになります。果たして、それで良いのか?私の背負うべき立場となるものは何なのか?結局、NPOにしてもライティングの委託業務にしても、現状ではどこまで行ってもクライアントワークであり、自分の実生活や家族と地続きのところにはないのではないかと感じたのです。別に夢とか、目標とか、自分のやりたいことととか、そういうものではなく、自分の主体についてもう一度見つめ直したいという訳です。
ひとまず3つの理由を書いてみたけれど「何だよ、自分のやりたいこととかあるからじゃないのかよ」とか、「次の計画とかないの」とか、「何言っているかわからない」とか色々思う人もいるでしょう。かく言う私だって、もともと3つほど理由があるわけではなく、この文章を書き始めてテキトーに「3つほど理由がある」って書いたから、3つ理由を書いてみたわけで、ある行動の理由が3つだけなわけがない。世の中のあらゆる事象は複雑怪奇であり、あらゆることに合理的な理由などないのです。
本来であれば、これからのことを考えなければいけないのですが、NPOの仕事への関わりも続くし、ライターの仕事もそれなりにあります。なので、わざわざ新しいことをしなくても一応、日々やらなければいけないことには事欠かない状況です。結局これからもあまり代わり映えしない生活なのかもしれませんね。まぁ、人はひとつひとつしか物事を片付けられないと思うので、ひとつひとつ、一歩一歩、コツコツとのろのろと歩んでいきたいと思います。その先に何か開けることを期待して。