2017年を振り返って

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ブログを書き始めて以来、いつの間にか恒例となった年終わりの振り返りを今年もする。2011年からはじめたので7回目の1年の振り返りになる。

思えば、7年で私の考え方は大きく変わってきたものだと自分で思う。一方で、7年前から求め続けている「核」みたいなものは変わっていない。求める何かにたどり着く手法が変わったことが、表面的な考え方が変わったと見えるだけだ。

 

2017年最大の出来事は、3月末に子どもが生まれたこと。それをきっかけに暮らしも、仕事も、住まいもすべて変わった。自然とは人間の思い通りにならないものである。そして、子どもを産み育てるということは自然の営みである。人間ごときが計画できることは全て超えて、ただただ大きな状況の波が迫ってきたように思う。それが、嫌だというよりは、心地よく安心する波だった。キャリアプラン、ライフプラン、そういった将来を設計するような試みが幼い頃から強要される社会である。しかし、子どもが生まれるという自然が訪れた瞬間から、見通しなんてまるで立たなくなる。目の前の事態に対処するしかなく、「あぁもうなるようにしかならないな」と思わざるをえないことを身をもって知った。そして、少子化、晩婚化の理由もよく実感できた。子どもを産み育てることは計画できるものではないから、人生計画をたてるような現代では避けがちな事態なのだと思う。

 

実は、私は昔に「子どもは親元ではなく、みんなどこかで集めて育てればいい」と思っていたことがある。合理的に考えて、その方が子どもにとっても親にとっても、社会にとってもなかなかに幸せなことだと思えたのだ。実際、理想社会の実現のためには、家族の解体と私有財産の廃止というものが大きなテーマになっているそうだ。それは、紀元前からあらゆる地域で取り組まれてきたようだ。そして、ことごとく失敗を繰り返してきたという。合理的には良いことでも、必ずしも人間は選択しない。例えば今の我が国の社会保障や年金問題もそうだ。例えば、個人個人で入っている生命保険や医療保険、個人年金などに支払っているお金がある。これを個人が自分や自分の家族のためだけに支払うのではなく、全て国に集め社会保障に当てたら……社会のセーフティーネットは格段に充実することが予想される。ベーシックインカムだって実現するかもしれない。また、年金だって将来世代のことを思えば、65歳以上のひとたちの私有財産の一部をシェアし合えばひとまず解決する。日本の個人金融資産の総額がざっくり1,800兆円で、そのうち約半6割を60歳以上の人たちが持ってる。50歳以上も入れたら8割になる。「もうお金持っている高齢者同士で解決して、若い人に負担を押し付けないでよ!」と言いたくもなる。そうしてもらったほうが社会にとってはプラスなんだと思うけれども、アリとキリギリスの話で言えば「何でキリギリスを助けなきゃいかんのじゃ!」と怒る人たちが多いからそんなことはできない。そんなことを哲学書なんか読みながらいろいろと考え続けているうちに、「ある状態までは合理的だか、ある限界を超えると不合理になるのが人間である」という考えに落ち着いた。「業」から逃れられないのが人間であり、不合理を受け入れることのほうが合理的なのだということに、納得できた。

 

AI(人工知能)や仮想通貨、といった合理的かつ無制限に拡大していくテクノロジーがある。それを取り扱う人間には身体という「制約」が常について回る。合理的には差別はいけないかもしれないが、身体から見れば生殖のためには対象を選定するために個体間に格付けする機能が不可欠になる。身体という「有限」なものに基づく合理性と、情報社会が取り扱う合理性は実は一致していない。むしろ、情報社会が取り扱う倫理と、身体の合理性の距離が拡大し続けていることが、ストレスなどの「現代病」の根源にあるのだと思う。

では、どうすればいいか?

ひとつは、自分自身の「有限化」を図ることではないかと思う。

 

親になる。住む場所を決める。

それは、無限の可能性から離れ、ある種の制約が生まれることでもある。不自由さが増し、「なんでもできる」から「しなければならない」ことも増える。

けれどその有限性の中で、何をするのか?こそが、人間「らしさ」につながるような気がする。

 

2017年は、その「有限性」の重要さを、自分の身体的な実感としても、そして哲学や思想的な知識としても、納得できた年だった。

この振り返りの文章は、書き出しと、中盤以降を別の日に書いている。前半の投げかけを、後半にまったく回収していないのはそのためだ。しかし、今となってはどう結ぼうと思ってこの文章を書き始めたのかを思い出せない。人の考えていることなど日々変わっているし、記憶だって定かではないのだから仕方ない。

来年も小難しいことを考えながらも、暮らしの中での実践を深めていきたい。

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