私事ですが、昨年11月にアパートからある集落に引っ越しました。町内会の芋煮会や、地域の人たちのお茶のみ会や自然保護活動などの地域活動が盛んな地域です。
外から引っ越してきた私たち家族にに、集落の人たちはとてもよくしてくれ、畑でとれた野菜、手作りした漬け物など、お裾分けをよくいただきます。私たちも「負けてはいられない」と、お返しをしています。贈り物の交換が、コミュニケーションのきっかけになるのだなぁと楽しんでいました。
ところが、この贈り物ゲームは、実はより複雑だったのです!
自分で買ったものや、自分の畑でとれたものを贈るのであれば単純です。
しかし、村の人から「これ、貰い物だけどよかったら」と、誰かから贈られたたものを、さらに他の方にお贈り出すのです。「えー!人からの貰い物を回すなんて」と、驚いていたのですが、そんな品物がどんどんと我が家に回されてきます。
現代っ子の私たちは、物やサービスはお金で買う「等価交換」に慣れ親しんでいます。
A↔Bです。
しかし、村の贈り物ゲームは
A→B→C→ と、どんどんと回っていきます。
なんて複雑なコミュニケーションなんだ… と、と戸惑いつつも、楽しみながら集落でのお付き合いをさせていただいています。ただ、どうしても、貰い物が溜まっててしまう状況ではありますが。
さて、こんな環境に身を置いてみると、
今までの私の行為の多くが「見返りを求める」ものであったような気がしてきました。
対価を払う。物を返す。労働で返す。など…
でも、実は世の中には、見返りを求めない「贈与」が溢れています。家族、友達などが代表ですね。見返りを求めず、どんどんとギフトを回していく。そういったものが溢れている社会って素敵だなと思います。
そう言えば私たちの取り組んでいるさまざまな市民活動。やっていない人から「何でそんなことしてるの?」「やると何かいいことあるの?」と、ちょっと冷ややかな目で見られることもありますよね。確かに、今の経済合理性といった物差し、「等価交換」の目線で見たら、不合理な事かもしれません。
けれど、贈与の目線で見れば、私たちができることを社会に還元していくことは、当たり前のことと言えます。
A↔Bの交換関係ではなく
A→B→C→D→…と、贈与し続けていくこと。
市民活動は、社会へ、そして未来へギフトを送っていくことなのかもしれません。
だからこそ、やりがいと楽しさがあるのではないでしょうか?
私たち一人一人が、社会へ、未来へと贈れるギフトは何なのか?一緒に考えて行動して行きましょう!