豊かさを考える

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経済とは交換の規模のことで、交換が活発な方が「豊か」であるようだ。

人間一人が生きていくのに必要な食料や住居を一人で作って自給自足して生きているのは「豊か」とは違うみたいで、この辺りが面白い。

 

仮に10人の村が2つあるとする。

一つの村は全員がそれぞれに自分の食料や家、衣服を作り道具を作り暮らしている。食事も各々が作る。

もう一つの村は、それぞれに担当がいて、それを交換しあって暮らしている。農業をする人や家を作る人、それぞれが役割分担している。

この2つの村は後者の方が交換が盛んな分、豊かだという。そして、多くの人を養うことができるのも後者の村だ。交換が富の分配にもなり、効率化ができ、生産力も向上するからだ。

何となく10人規模だと分かりやすい。

 

だが、この分業の規模を広げて県や国、あるいは世界全体でしようとすると一気にわけがわからなくなる。というかマイナスに働くこともある。

特にグローバル化をした結果の今の不況がそうだ。

全ては規模の問題なのだろうか?

それとも資源の有限性が決めるのか?

豊かさとは一体何なのだろう?

 

お金は、この交換の量を数値化したもののように見える。GDPとは「国内でどれだけ交換があったか?」でその単位が「円」。

「お金を稼ぐ」ことは「交換をする」こと。

 

交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ

 

これで本当に社会は豊かになるのか?人は幸せになるのか?

全ては規模が決めるのか?

どの規模が最適か?

 

もやもやは続く。

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