初めて本を書いた

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あっという間に10月が終わろうとしている。2014年になって、もう10ヶ月も過ぎてしまったと思うと時間のあまりの早さにため息をつきたくもなる。

10月を振り返って。10月前半は初めての本を書いていた。
ほとんどそればかりで、随分苦労していた。多くの人に協力してもらい何とか締め切りに間に合わせることができたが、こんなに苦労するものだとは思ってもいなかった。

とは言え、書いたのは5万字に満たないし、僕のやっている地域ウェブマガジン「にいがたレポ」http://niigata-repo.com/で言ったら50記事くらいだし、そんなにヒーヒー言うほどのものでもない。何がそんなに大変だったんだろうかと思うが、とにかくそればかりをやっていた気がするし、常に追い詰められていた。

この経験からわかったことが2つあって、ひとつは僕の致命的な筆の遅さ。もうひとつは「本」という媒体の怖さだった。

一つ目は何なのだろう。「ライター」を名乗りながら5万字がさらっと書けない力不足。これは慣れや訓練でどうにかなるものなのだろうが、我ながら唖然とした。実際に書く時間というのはそんなに取っていないのだが、脳みそのバッファの大半を本づくりが占めてしまって、日常生活までボロボロだった。でも自分の現状がよく分かる貴重な経験だったと思いたい。

ふたつめは、「本」というか紙媒体の怖さ。もちろんこれまでに紙媒体のしごとには関わってきたが、200ページ弱の本づくりが、まるごと自分の手に委ねられる経験というのは初めてだった。本には当然ながら「始まり」と「終わり」があり、「誌面量」も決まっている。僕はインターネットで書きごとをスタートさせたから、この始まりと終わり、ページ制限に馴染みがない。インターネットは垂れ流しメディアだし、情報の追加がいくらでもできる。「あそこを載せたから、こっちは載せられない」なんてことは基本発生しないのだ。しかし、本は違う。ここをカットしたら、もう二度とこの項目は、このエピソードは追加することができないという制約がある。これはものすごく怖いと思った。もう、本を作っている段階から、これを削ったから叩かれるかな?と発売後のバッシングが怖かった。発売は11月25日の予定だが今から胃が痛くて仕方がない。

始まりと終わりを決めるということは、時間を止めるということだ。そして、創作を止めるということでもある。それは、完成させるということだ。

インターネットというのはどこか完成のないメディアのように思う。僕のブログにしろウェブマガジンにしろ、後からいくらでも追加変更や削除できるウェブは、完成がない。紙媒体は完成してしまえば、消せないし、残り続ける。それは怖いことだなぁと改めて思った。

大体、今回は新潟県の「あるある本」という面白本の一種だが、これは僕の「思想」や「ノウハウ」など個人の考えを書くテーマではない。客観的事実を面白おかしく紹介するというものだ。しかし、ご当地あるあるとなると、一見軽そうだが、多くの人の地元への愛憎の念が渦巻く非常に難しいテーマなのだ。これがあるあるだ!と言うのは結構責任とストレスを負ったし、プレッシャーが筆の進むスピードを大きく遅らせたとも言える。
まぁ、そんなに気負うことはないのだろうし、バッシングを受けたら「じゃあ貴方が書きなさいよ!」と言ってやればいいや。とようやく開き直ってきたことろで10月が終わる。


最近、中越地域との縁が濃くなってきた。中越の山の中では滅びゆきそうな限界集落に多くの若者が入ってきている。写真は旧小国町(現長岡市)で小国和紙の紙漉きをする若者の姿だ。小国和紙は今はもう誰も住んでいない山野田集落で盛んだった伝統産業だ。集落が滅んでも、誰かが技や記録を残しつづけていれば、集落は生き続けるのかもしれない。限界集落の「終わらせ方」や「記憶の残し方」に興味がある今日この頃だ。

週末は昨年の出生率がゼロだった旧山古志村(現長岡市)に牛の角突きを見に行ってくる。闘牛を追う勢子として若い人たちがたくさん入ってきたようだ。どんな気持ちで飛び込んできているのか、話を聞くのが楽しみだ。

2014年10月31日
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