私はSF作品が好きだ。SFマニアの人たちに語れるほど作品を読んでいるわけではないので、オタクと自称するのははばかられるが、SFが好きだ。
機動戦士ガンダムから始まり、フィリップ・K・ディックに没頭。マトリックスなどの映画作品や、小説家カード・ヴォネガットJr、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、攻殻機動隊などアニメ・マンガ作品など、思えばいろいろなSF作品を消費してきた。
SF、つまりはサイエンス・フィクションには、今とは違った世界設定を作り上げ、そこにある諸問題等が描かれている。科学が進歩したときにどのような世界になるのか?どのような社会問題があるのか?人はどのような感情で動くのか?SF作家が魂を削って作り上げた作品は、未来の話だからこそ「人間」が生々しく描かれているように思う。
さて、いつからかSF作品の大作や大ヒットというものを聞かなくなってしまったように思う。GRAPEVINEというバンドの「冥王星」という歌でもそんな一説がある。
SFはもう、流行しないの? ナンセンスなんて不条理だろ
1985年生まれの私が小さな頃。物心がつくか、つかないかのギリギリ。幼児向け雑誌には頻繁に「未来の世界」が描かれていた。未来都市。空飛ぶ車。チューブの中を走る電車。銀色のへんてこな服を着た未来人たち。今思えばおかしかったけれど、あそこには夢があったように思う。
最近、そんな未来予想をあまり目にしなくなった気がする。パソコン、スマートフォン、グーグルグラス。あの頃から考えると想像もできないような未来のガジェットが生まれ、未来に生きている僕らは、さらにその先の未来を想像しているだろうか?
オイルショックから始まる資源問題。資源が枯渇し科学の発展はありえないのではないかという危機感。次世代エネルギーを夢見て運用された原子力にもチェルノブイリ、スリーマイルそして福島第一原発で暗い影が。そんな科学の閉塞感が、SF作家にも影響したのだろうか。楽しい夢を描けなくなってしまったのだろうか。
こんな時代だからこそ。いや、かつて描かれていた未来に片足を突っ込んでいる今だからこそ、さらに一歩を踏み出すための光を、SFが照らして欲しいというのが私の願いだ。
SF作品というのは、どういうわけかディストピアを描く作品が多い。フランケンシュタイン・コンプレックス。科学は神を怒らせ人間に滅びがやってくる。人間が生んだ科学の結晶であるコンピューターに人間が滅ぼされてしまう。そんな暗い作品も多い。ロボットの手下、大企業の奴隷、スラム化する町、核戦争の後。
社会が豊かだった頃はそういった悲劇を消費して楽しむ土壌があったと思う。しかし、それは消費であって、自分ごとではない他人の不幸を見て楽しむための娯楽にすぎない。そうではなく、未来に希望を持つような、科学が作り出すユートピアを描く作品があまりに少ない気がしている。
かつてガンダムに憧れロボット研究者が増えたと言う。そもそもロボットが2本足で歩き、それに乗り込むというのは日本ならではの文化だそうだ。だが、日本で育った研究者達は2足歩行で搭乗できるロボットを夢見て研究しているそうだ。
そんな希望を抱かせるような作品がもっともっと出てきて欲しい。アイザック・アシモフの作品にはそんな愉快さがあった。今、ユートピアを描く作家はいるのだろうか?私が知らないだけかもしれないが、もっともっと雄弁に美しく、まぶしい、華やかなユートピアを描いて欲しいと思う。
3.11、フクイチ。ウクライナ。世界的な経済の停滞。暗い世の中のときこそ、明るいSFが花咲いて欲しい。
3.11、フクイチ。ウクライナ。世界的な経済の停滞。暗い世の中のときこそ、明るいSFが花咲いて欲しい。
SFの役割はきっと未来に光を照らすことだと思うから。
唐澤頼充