結論から言うと、エヴァ展は本当に感動した。展示と言ってもオタッキーな展示物や萌え萌えの演出があるわけでない。ただ単に、エヴァンゲリオンのアニメができるまでの製作過程を原画やら絵コンテやらで紹介しているというだけのものだ。
企画書から始まり、脚本や設定資料、原画、セル画。といったアニメ製作現場では当たり前かもしれないものが展示してある。しかし、出来上がったアニメーションしか見たことのない私にとってはどれも新鮮だった。
細かい設定からはじめ、アニメーションの作りこみの細かいこと細かいこと!ここまでしっかりと手間を掛けて、途方もないほどの作業の果てにアニメ作品はできているだと感慨深くなった。クリエーターとはここまでディテールにこだわり作りこんでいるのだと。
特に庵野秀明さんが書いたと言うエフェクト。爆発で起こる煙や、吹き飛ばされる町などの細かい書き込みにため息が出た。映像にしてしまえばほんの一瞬。いや、気付かない人の方が多いかもしれないほどディテールまで作りこんでいる。
ここまで作りこんで初めて、大ヒットを飛ばせる作品ができるのか。作りこんできてもヒットできない作品もある。なんて厳しく、孤独で、忍耐の必要な仕事なのだろうか。
一方で、振替って自分の仕事はどうか?ここまで詳細に設定をしているだろうか?
ライティングや地方メディア作りをしている私は、正直「地方の設定」をもっとよく考えないといけないと痛感した。その地域の歴史、人、風土全てをひっくるめてしっかりとストーリーをつくらなくてはいけない。それはメディアの役割だし、まちづくりの第一歩だとも思う。
私以外のビジネスパーソンもそうだ。企業が、町の商店が、農家が、職人が、何か情報発信するときに、エヴァほどストーリーの背景となる設定を決め手からやっているだろうか?そこまで物語をつくりこんでから、理解してから情報を発信しているだろうか?うすっぺらの言葉だけを投げかけてないだろうか?
私を含めもっとディテールをよく考えなくてはいけない。
エヴァでは、世界観、舞台、登場人物、メカ、使途などそれぞれにしっかりと意味を込めている。ディテールまでしっかりと設定している。ぼくらのまちづくりや情報発信はどうか?しっかりと歴史や文化のうえに立って地方の生活や魅力を語っているだろうか。そこまで情熱はあるだろうか。
感情マーケティングや共感マーケティング、ストーリーマーケティングと言う言葉が氾濫しているが、本質はどこにあるのか。エヴァという作品を作ったガイアックスほど、自分の伝えたいものを真剣に考えただろうか。
私は、ライターとして、編集者として、メディアメーカーとして。もっともとお細部を考え尽くし、設定をし、そうしてから文章を書いたり情報発信をしていかなくてはならない。
新潟という物語をどう表現していくかはエヴァのように設定にどこまで情熱を注ぐかにかかっている気がした。
新潟という物語をどう表現していくかはエヴァのように設定にどこまで情熱を注ぐかにかかっている気がした。
唐澤頼充