シェアタウンという可能性は新潟でも実現できるかもしれない

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三浦展・著の「第四の消費」をパラパラと見ていたら「シェアタウン」というアイデアを見つけ、これは新潟で実現できるのではないかと思ってしまった。

シェアタウンというのは簡単に言うと

まちを開く。使っていない部屋や庭などを不特定多数の人にシェアすること。

のようなイメージ。シェアハウスが特定の空間を、特定のメンバーでシェアするのに対し、シェアタウンはまちにあるさまざまな個人所有の空間を、不特定多数のメンバーとシェアするというものだと理解した。
カーシェアリングが都会で普及しつつあるなど、シェア経済は確実にその範囲を広げている。その中で、まちに住む個人が所有する資産を広くシェアするという方法は何らかの形で実践されて良いと思う。
家をまるごと使わせてくれというのは難しいかもしれないが、家のキッチン貸しますとか、たまに誰かソファで寝ていいよ!使ってない倉庫をイベント会場として使って良いよ!などという人は存在すると思う。
そんな大きなものでなくてもシェアできるものはたくさんあるともう。例えば私は買ったきり使わないエレキギターを持っているのだけど、これは誰かに貸しても良いと思っている。このように人に貸せるもの、リスト化して共有する。ビデオカメラを持っているけれど年に数回しか使わなかったり何だかんだで所有したが使わない期間が長いというものを、誰だれもがひとつくらい持っているのではないだろうか。
もちろん、家のリビングや畑を貸せると言う人もいていい。
それを所有している人と借りたい人をマッチングする場を作れないだろうか?
わざわざ貸し借りできる人を探すのが面倒くさいという意見もあると思う。それはまったくその通りで、そもそもお金で買うと言うのはコミュニケーションコストがゼロで交換ができる仕組みだからだ。
逆に言えばコミュニケーションコストがさえかければあらゆることが無料でできるはず。
おそらく、まちでお腹へったとまちで見知らぬ人でも20人くらいにまちで声をかければ誰か奢ってくれる。これで夕食代はゼロだ。
極端なことを言えば、日本中の人ひとりひとりに、「お願いですから1円ください」と土下座して回る。そうすれば1億円以上を集めることができる。これを誰もしないのはコストがかかりすぎるからだ。
一方、インターネットやソーシャルメディアが一体何を変えたのか?それは、コミュニケーションコストを大幅に下げたという点に尽きる。誰かにメッセージを送るのにかつては手紙や電話で対一人に対してのみ、しかもコストをかけて行なっていた。しかし、メールはほぼタダでできるようになり、ソーシャルメディアで1対多のコミュニケーションも取れるようになった。
だからこそ、お金を通さないやりとりが間違いなくもっともっと生まれても良いはずだと思う。
これらコミュニケーションを通じたシェア経済を拡げていくために欠かせないものが、シェアを支えるコミュニティだと思う。シェアの思想に同意し、許容するグループを形成できれば、その中でもっと活発にシェアが進むはずだ。
これまでシェア経済がなかったかといえばそんなことはない。ママ同士がおさがりを回しあうコミュニティや、若者が仲間内で何かを貸し借りするといったコミュニティは存在してきた。
それをインターネットを使ってある程度大きなコミュニティで実現できるかどうかを試すというのは非常に面白い試みだと思う。そのためにはある程度基盤になるリアルのつながりを活用する必要がある。私が思うのはやはり特定地域内で、という制限だ。
「新潟という特定地域の中で、異様にシェア経済が発達している」という未来を想像するとものすごく興奮してくる。
シェア経済は助け合いのネットワークでもある。
新潟は自殺が日本でトップクラスに多い県だ。
そんな新潟から、助け合いのネットワークが実現・発達する。
「新潟に行けば何とか生きられる!」そんなイメージを持ってもらえるくらいのネットワークを作る。
これってすごく魅力的ではないだろうか?
私の好きな新潟のストーリーに、日本初の西洋料理店を開いたピリトロ・ミリオーレの話がある。開港の港として知られる新潟だか、彼が開業した明治7年に、新潟には10人少しの外国人しか居なかった。そんな状況なのによそ者の外国人に「お前店やれよ!」と任せる新潟の人はかなりぶっ飛んでる。
だって、10数人しか外国人がいないなら、外国人を見たことのない人の方が圧倒的に多いはずだ。ペリー提督を天狗に例えて恐れおののいたほどの日本人だ。そんな未知の人種に店をやらせる?その店に客が来ると思う?普通は思わない。
しかし、お店は大繁盛したようだ。新潟のまちの人も相当ぶっ飛んでいるんだと思った。
懐の深さなのか、適当なのかわからないけれど、そんなぶっ飛んだ新潟の価値観はきっと今でも生きていると思う。
自殺上位県から救いあいのネットワークが生まれ、全国から逃げ込んでくる先になる。そんな夢を見たい。
ひとつのコミュニティの基盤として、友人である坂爪圭吾氏が取り組んでいる「necoプロジェクト」のつながりを活用できないか提案するつもりだ。
「necoプロジェクト」のnecoは「new communication」の略。

このバッジをつけていると、それは「いつでも気軽に話しかけてOK!」というサインになります。「街全体を社交場に」をコンセプトに、大量に配布をすることでカフェや街中でnecoと出会う可能性を高めていき、今までではあり得なかった新しいコミュニケーションが生まれていく事を目指します。(引用:neco公式facebookページより)

このneco。新潟の若者の中でにわかに広がりつつある。
シェアに違和感のない層を抱えるこのnecoのつながりを基盤に、少しずつ新潟のまちを開いていく。少しずつ「シェアタウン」に近づけていく。
そんなことが直感的に実現できそうな気がしている今日この頃である。
思いついたがままに書きなぐってしまったが、最後に僕の好きな言葉を紹介する。
「世界を変えられないなら世界を増やせ!」
世界を変えようとすると、戦いになる。ウクライナを見ていると悲しくなる。勝ち取る世界には必ず血が流れたり敗者が生まれる。そうではなく、自分たちが生きられる世界を自分たちの手で作りたい。
唐澤頼充

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