看板を掲げることの大切さ

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先日、新潟で有名な某有名ダンスカンパニーの広報の方から突然メールが届いた。「公開リハーサルと囲み取材をします。ぜひ取材してください」とのこと。

これまでまったく接点のなかった方から本当に驚いた。と同時に「ああ、見てくれていた人がいるんだな」と少しだけ報われた気がした。
フリーになってからもうまもなく丸2年が経とうとしている。
これまでは「何をやっている人ですか?」と聞かれると「う、うーん。いろいろ」とズバリ応えられなかった。マーケティング会社出身ということもあり、コンサル、リサーチ、企画を始め、広告・ウェブサイトのディレクション、ライティングなどたくさんのことをやってきた。だからこそ「何でもできます」とついつい言ってしまいがちになる。しかし、何でもできますは何にもできませんとほぼ同義。誰の記憶にも残らない。
フリーになりたての頃は、「自分が看板だ!」などと、某ウサギキャラと同じあだ名の女史と同じようなことを言っていた。けれど、会社という看板の重さと、個人という力の小ささを実感した。まずは気に留めてもらわないことには何も始まらないのだとわかった。
私はそんな状況からようやく脱しつつある。
看板をつくったおかげか、「会いましょう」とこれまで会った事のない方からも声をかけられるようになった。肩書きではない。看板だ。
肩書き「ライター」や「リサーチャー」から、「にいがたレポ」を運営している人。そう言えるようになったことも、そう認識してもらえるようになったことも大変ありがたい。
説明をしておくと、にいがたレポとは私が運営する新潟のローカルウェブマガジンである。新潟の情報を「レポートする」というスタイルで、多くの市民ライターに参加してもらい記事を作成している。2ヶ月半の運営で、ようやく一日500アクセスくらいはコンスタントに集まるようなサイトになった。
にいがたレポ:http://niigata-repo.com/
2/23開催のライターズミーティング。多くの市民ライターが参加してくれた。
自分のプロダクトというのは自分の分身のようなもので、私個人が目に留まるよりも多くの人に目に留まる自分の拡声器のようなものである。
月並みな言葉ではあるが何かプロダクトを作るコストも、発表するコストもインターネットの普及で格段に下がっている。何かを始めたいという方は、自分を表すプロダクトを早めに作るのが吉だ。実績を公開するよりも圧倒的に説得力が増す。
そんなことにようやく気付いた。
自分の言葉以上に、自分の看板となるプロダクトは広く伝わる。会社という看板のないフリーランスこそ、請負ばかりに走るのではなく自身の看板プロダクトを早々に掲げることをお勧めする。
唐澤頼充

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