「勤労感謝の日」が当然だと思っていた自分が怖い

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1123日(土)は祝日「勤労感謝の日」だ。今年は土曜日と重なってしまい、休日にはならなかった。残念に思うが、そもそも仕事が詰まっていて休めそうになかった・・・。

日本の祝日と言うと、春分の日などの季節の節目。建国記念日やこどもの日など、過去の日本文化に残る行事などがあてられている。そのなかで、「勤労感謝の日」というのは何やらものすごく浮いている。「勤労」と言うと、賃金をもらって働くことという意味を持つが、そもそも勤労と言う概念自体が産業革命以降のものだと思う。

そう思い調べてみると勤労感謝の日は、「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」として1948年に法律で定められたものだそうだ。これは、戦後のGHQ占領政策化の下に制定された新しい祝日である。
では、勤労感謝の日が制定される以前はどうなっていたのか?
戦前の1123日は、日本では「新嘗祭」(にいなめさい/しんじょうさい)と呼ばれる農作物の収穫に感謝する日であった。新嘗祭は飛鳥時代に始まった歴史ある国家の重要行事。瑞穂の国日本で、天皇が国民を代表し、神々に農作物の恵みに感謝する日が新嘗祭である。しかし、太古から続く新嘗祭は、GHQによって天皇行事・国事行為から切り離されることとなってしまった。
日本は稲作によって生まれた国であり、稲作をすることで国を育ててきた。豊作を祈る祭祀の王が天皇であり、稲作の中心である天皇が祭りによって国を治め、つくってきたのだ。その集大成である収穫を祈る「新嘗祭」が国民の祝日から外されてしまったのが今の日本である。
私は、「勤労感謝の日」について疑問を持ったのは今年が初めてだった。小さな頃は、単純に休みがうれしかったし、先生や両親からは「毎日がんばって働いている大人に感謝する日だよ」と教わってきた。働くこと、勤めることに疑問一つ持たず「そういうものなんだな」と受け入れていた。誰にも「新嘗祭」のことを教わることはなかった。
初めて「新嘗祭」を知り、自分の住む国の成り立ちに対する理解への“断絶”を感じた。
これはとても恐ろしいことだと思う。
勤労という概念だけ抜き出しても、新嘗祭では勤労は自然から恵みを得る行為だ。しかし勤労感謝の日というと、勤労の結果、企業から報酬を得るといったイメージだ。同じ1123日の祝日と言え、名前が変わったことでそこに蓄積された意味は大きく失われてしまうのだ。
私を含む多くの現代人は、あまりにも歴史に興味がないように思う。歴史とは年号や起こった事実ではなく、行為ひとつひとつに含まれる意味や想いのことだ。祝日ひとつとっても、日本が数千年の歴史の中ではぐくんできた先人の思いや、それを行なう意味を多く含んでいる。それに気づかず、現代の価値観だけでただ漫然と日々を過ごすことはどこか寂しいし、発展性がないと思う。「温故知新」という言葉がある。古いものを知るからこそ、新しい価値観を作り出すことができる。
今、世の中は西洋型の価値観や社会システムが上手く働かない閉塞感ただよう社会になっている。西洋思想に染まってしまった我々日本人には過去の思想との“断絶”を感じずにはいられない。その断絶を乗り越え、古きよき日本の在り方を学び、新しい思想を作り上げていくことが、これから求められてくるのではないかと思う。
そういう意味で「勤労感謝の日」といった、現代的価値観だけで生まれた祝日や、その他世の中の仕組みについて私たちは当然だと思うのではなく、疑問を向けることが大切だ。与えられたもの、今あるものを当たり前だと思うのではなく、その意味や歴史を深く考える。そんな行為をこれから大切にしていきたいと思う。
ライター 唐澤 頼充

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