9月14日(土)に開催された、「女子だって花街(かがい) Part2」に参加した。
このイベントは、新潟まち遺産の会が主催するイベントで、歴史的な建物やお芸や文化が楽しめる新潟市古町を知ってもらおうという狙いだ。
イベント自体は昼の部の「シンポジウム」、夕の部「街歩き」、夜の部「お座敷体験」の3部立て。夜の部の参加費12,000円(男性)が財布に厳しく、昼の部と夕の部に参加した。
芸妓(げいぎ)さんは、サラリーマン!?:
昼の部のシンポジウムは新潟三業会館で開催された。
ちなみに、「芸者置屋」、「料理屋」「待合」の3業者のことをまとめて「三業」と呼ぶ。三業会館とはこの3業者が共同で建てた会館のため三業会館という名称になっている。さらにこの三業を指して「花柳界(かりゅうかい)」と呼ぶ。
プログラムは新潟大学教授による「花街のいろはと古町の取り組み」、対談「芸妓さん×FM PORTアナウンサー遠藤麻里さん」、京都女子大学教授西尾先生による「おもてなし産業の伝統と革新」と盛りだくさんであった。花街については、歴史も文化も触れたことない私にとっては多くの学びになった。
そもそも花街(かがい)とは、芸妓遊びのできる区域を指す名称。新潟市古町は古くから遊郭があったことで有名である。多くの人が遊郭と花街を同じものと勘違いしがちであるが、遊郭は遊女、花魁などと遊ぶ今で言う風俗と同義と言える。一方の花街とは芸妓さん、今で言うコンパニオンを呼べる区域のことを指す。
新潟市は空襲の被害に遭わなかったことから、歴史的な建築が多く残る地域である。
古町花街の特徴として、料亭がお座敷遊びの場になっている点が挙げられる。古くからある料亭は、建物の趣もあり、室内の装飾も和風だ。そこでお座敷遊びという伝統芸能が楽しめる。建物、インテリア、料理、遊び、と日本の昔ながらの伝統が今も存在するのが古町花街の独自性なのだという。いまや日本最後の純日本空間が新潟市古町には生きているそうだ。
新潟の芸妓(げいぎ)さんは、なんと柳都振興株式会社に所属する会社員。つまりはサラリーマンだ。新潟の就職イベントや合同説明会などにも出展し芸妓になりたい人を募集しているのを見たことがある人もいるかもしれない。芸妓さんの所属する柳都振興株式会社は、1987年に全国初の株式会社組織の芸妓養成及び派遣会社として設立され、日本のおもてなし文化を継承し続けている。かつて、古町芸妓は400名程いたそうだが、現在では実働は10数名。後継者を確保し育てることを目的として活動している。
京都で有名な「舞妓(まいこ)さん」は、芸妓のうち若手や新人に近い人のことを言い、新潟花柳界では「振袖さん」という。振袖さんを卒業すると「留袖さん」と、着物の着方に合わせて名称を変えているそうだ。柳都振興㈱には現在、振袖さんが6名、留袖さんが3名所属している。
トークショーでは留袖さんの「紅子さん」が、FM PORTアナウンサーの遠藤麻里さんの進行のもと、花柳界の様子を赤裸々に語ってくれた。厳しい稽古、もてなしのテクニックはまさにプロフェッショナル。芸妓さんはあまり喋らないイメージを持っていたが、そこはやはり接客のプロ。笑いを交えたトークで、いい意味でイメージが変わった。
また、京都女子大学の西尾先生からは、京都の花柳界の様子が紹介された。芸妓は英語で「マルチ タレンティド ウーマン」と呼ばれるもてなしのプロフェッショナルだ。京都でも地元からなり手が少ないために、県外や国外など外部から人材を調達している。そして、教育プログラムの整備が非常に進んでおり、その人材育成の仕組みは企業から視察が来るほどである。
一般人にとってはなかなか内部事情が見えない花柳界。その努力と役割、そして最先端の人材育成プログラムは圧巻。日本文化の保存のためにもより多くの人に花柳界に触れて欲しいと思うシンポジウムであった。
街に隠れた風情ある建築:
夕の部の街歩きでは、新潟まち遺産の会が作成した「柳都新潟 古町花街たてものマップ」を用いて、案内スタッフの元街歩きを行った。先程も述べた通り、新潟市古町のお座敷遊びは料亭がその重要な役割を担っている。そしてその料亭は古い日本家屋の建物がほとんどで、趣深い外観は日本らしい風景となっていた。
自動車でロードサイドのみを生活範囲にしているとなかなか気づかないが、新潟の中心地にもこのような和風建築の建物が残っているのかと感慨深いものがあった。街歩きは、近年観光のコンテンツとして注目を浴びているが、その土地の文化や歴史を知ることで街歩きの楽しさは増す。そんなことを感じた街歩きだった。
ライター 唐澤 頼充