昨年11月からシェアハウスに住み始め、約8ヶ月が経った。
とは言え、不動産屋が募集し始めた際の、最初の入居者のため、しばらくは一軒家に一人暮らしという状況であった。
同居人が入り2人暮らしになったのは2月末頃だったように記憶している。
その後4月に新しい同居人が2名入り合計4名暮らし。
5月にさらに2名の入居があり、最大時には6名での共同生活を行っていた。
7月現在は、男性2名、女性3名の共同生活となっている。
私の住むシェアハウスであるが、同居人同士は誰も事前の面識は全くない。
入居時に初めて顔を合わせた者同士が生活している。
職業もバラバラである。
私はフリーライターであるが、他には肉体労働系、事務職、営業マン、サービス業など、あまり接点のないもの同士が一緒に暮らしている。
「シェアハウスに住んでいるよ!」と知人に話すと、大抵は「楽しそう!」と興味を持ってもらえる。
しかし、その相手が住もうと思うかは別問題のようだ。
ネットの中では流行しているように感じるシェアハウスではあるが、こと保守的な新潟県の人にとっては、まだまだ手を出しにくいカルチャーのようである。
さて、シェアハウスでの生活であるが、今のところ特にトラブルを抱えたりということはない。
むしろどちらかと言うとマイナス面よりもプラス面の方が多いように感じる。
私の入居するシェアハウスは、鍵付き個室があるため基本的にプライベートな空間は所有できる。
誰とも話をしたくないときは基本的に部屋にいれば良い。
誰かと話したかったり、寂しかったりすれば共用スペースでゴロゴロしていれば良い。
居間、キッチン、風呂、トイレ、洗濯機、冷蔵庫等が共用となっている。
使うときは適当にタイミングを見計らって各自利用している。
一言声を掛ければいいだけなので、別段不自由はない。
特に住人同士、会議や共同作業をスケジュールを決めてすることはない。
誰かが突然お菓子作りを始めたり、映画を見始めたり、パソコンをいじっていたり、たこ焼きパーティーをしていたりと、バラバラで行動している。
個人的には、そのように他人の生活感が感じられるというのは刺激があって良い。
住人同士の距離感であるが、節度ある距離を保っている。
家族との暮らしの場合は、距離が近いぶん協調性を重視し、それが不満や衝突につながる。
しかし、私たちはどこか「結局他人」と思っているのか、同居人の生活への干渉は最低限だ。
かと言ってそっけないわけでもない。
一緒にご飯を食べたりもするし、出かけたりもする。
飲み会に行ったり、テレビを見たり、友人を連れてきて紹介し合ったりもする。
まさに絶妙な距離感だと感じる。
自分が絶対見ない本があったり、自分が絶対見ないTV番組がハードディスクに溜まっているのに気づくのも面白い。
私たちは何か特別な目的や、共通の趣味、嗜好を持って集まったメンバーではない。
むしろ何も接点がない面々である。
その人たちが一緒に住めている。そしてどちらかと言うと楽しい。
誰かと一緒に住んでいると、それだけで孤独感が和らぐ。
それだけで非常に価値があると思う。
同居人に共通しているのはちょっとした価値観くらいだろうか?
・潔癖症じゃない
・節度ある距離感を保てる
・異文化を認められる
こんなもんである。
(異文化とは、思いもよらぬ料理を作ったり、変わった趣味にはまったりだ。また家のかなかでの振る舞いは誰もが自分の普通を持っていて、まさに異文化を感じる場となる。)
そういうものを持っている人たちであれば初対面の人同士でも一緒に住めることがわかった。
実はこれは大きな可能性だと思う。
ちなみに新潟県は自殺率が日本でトップクラスだ。
自殺の理由は様々だろうが、「孤独感」や「居場所がない」といった理由も大いにあると感じる。
ものすごい投げやりな言い方になってしまうが、これらは結構誰か他人と住めば解決するような気がする。
家族ではない、友人でもない、恋人でもない、「他人」と住むのだ。
6名くらいのシェアハウスの良いところは、別にシェアハウス内で競争がない点だ。
6名の中で地位もないし、存在感を示す必要もない。
ただ、それぞれが存在しているだけだ。
しかし、家族内や恋人同士では無意識のうちに「貢献」が求められる。
友人内では「役」や「存在感」が、社内や学校では「競争」が求められる。
シェアハウスというコミュニティ内にはそれがない。
これがシェアハウスの特徴なのかもしれない。
このどこか冷めた、けれど同じ空間を共有し、互を認め合う人間関係がシェアハウスの良さなのだと思うし、多くの人にとって救いの場になる可能性を感じずにはいられない。
100%自由を求めるよりも、30%の不自由を受け入れて得られるゆるいつながりに目を向けて欲しい。
さて、今度は気になるシェアハウスでの性欲問題について記事を書こうと思う。
ライター 唐澤 頼充