宗教化する日本コンテンツの展望

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先日放送された本田圭祐選手がNHK のプロフェッショナル仕事の流儀で「神様が見てくれている」「神様からのプレゼント」という言葉を使っていた。
日本人は無宗教と言うが、超越した何か。運命のようなものが、無意識にきっとあると感じているんだと思う。

共通する倫理観的なものが日本人的宗教なのかと感じた。

宗教はある時代、社会的共通価値観を共有するために重宝された。
かつてキリスト教が世界の覇権を握った際には、キリスト教的共通価値観をベースに侵略が進んだ歴史がある。

さて、今の時代、どうやって社会倫理を皆が共有しているのだろうか?

子供の頃にみんなが読む昔話や童話というのは、少なくともそう言う役割の一部を担っていると思う。
その物語の中で、私たちは社会倫理的な何かを学んでいるのではないだろうか?

とは言え、浦島太郎やかぐや姫が。桃太郎が持つメッセージ性というのは言語化されていない。
それぞれのメッセージはもちろん、あの物語たちに共通する価値観。倫理観とは何なのだろうか?

そこに日本人が日本人である社会倫理があるような気がする。

僕は日本という国は素晴らしい国だと思う。
それは日本人という素晴らしい価値観を持った人々が暮らす国だからだと考えている。

その日本人の価値観を作り出したのは、昔話をはじめとした物語たちではないか。

現代その物語が、アニメや漫画という形で表現法方を変え世界に広まっている。

特に、ポケットモンスターやアンパンマン、ドラえもん、クレヨンしんちゃんと言った児童向けアニメは世界の子供に親しまれていると聞く。

このコンテンツを通じて、世界中の人が子供の頃から日本人的な価値観を物語を通じて学べる。
その価値観が世界に広まればもっと平和な世界になると期待している。

また、実利的なことを言えば、日本の児童アニメ・漫画を共有した子供たちは、大人になっても日本人の作り出すコンテンツを受け入れやすいのではないか?と期待できることだ。

ここに、日本コンテンツの復権を期待している。

日本はものづくりの国だと自負してきた。何かをつくる情熱を、これからはコンテンツづくりに集中するしかない気がする。

そのコンテンツを世界に受け入れてもらいやすくする土壌に、児童アニメ漫画にもっと注目し、大切にしていくことが重要だと思う。

国内を見渡すと、日本人の価値観がバラバラになってしまったと感じる場面も多い。

良き日本人を作るためにも、大人向けの小説、ドラマ、映画、マンガ、アニメにも、背景に浦島太郎やかぐや姫が。桃太郎が持つメッセージ性を再び潜ませることが大切なのかもしれない。

ただし、繰り返しになるが、そのような物語に共通する価値観は現代というのは言語化されていない。
現在はクリエーターの想いだけに頼っているのが現状である。

物語には教訓や登場人物の行動原理といった他人の意図がふんだんに盛り込まれている。
それは、かつて宗教が聖書などの経典を元に説いた教訓に似たものがある。
聖書や教会という媒体が、漫画やアニメ、映画といった媒体に変わっただけのように感じる。

私たち日本人が、日本に誇りを持ち、日本の良い価値観を守っていくためには、もっともっと物語、コンテンツが消費されるようになることが必要だと思う。

それと同時にそのしかけの根本となる価値観をもう少し見直してもいいのではないかと感じる。

ライター 唐澤頼充

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