何かを売り続けなければ生きていけない社会は幸せなのか?

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最近よく考えることがあります。
「何かを売り続けなければ生きていけない社会だなー」と。

消費社会、資本主義と言われる現在ですが、社会全体が市場原理の中にあります。

今の社会では生きるためにお金が不可欠です。
しかも、そのお金は現在働くことでしか得ることができません。
そして、一般の人に支払われるお金は何かを売ったことで得られるお金なのです。

企業を考えればわかりやすいと思います。
企業は基本的に売上の中から、原価や人件費を含む経費を支払っています。
その残ったお金が企業の利益となります。
当然売上がなければその企業は倒産します。
企業が売上=何かを売っているからこそ、その企業は生き延びることができるのです。

公務員は売上あげてないのでは?と思う方もいらっしゃると思いますが、行政期間は税金で運営しています。
税金は基本的に企業の利益や個人の収入に対して掛かっています。
結局のところ誰かが何かを売って得られた売上の一部で生きているのです。

これは、NPOやNGO、医療福祉系の仕事も一緒です。

そして生活保護や年金暮らしの人たちも同様に企業の利益→税金→給付金という形で、誰かの売上に依存しています。

何かを売り続けることが幸せなのでしょうか?

さて、物が足りない時代や生活が不便だった時代であれば、何か商品やサービスを売ることは、人の生活を豊かにすることに貢献していたと言えそうです。
しかし、これだけ豊かになった社会では逆に詐欺や押し売りといったことも問題になっています。
生活必需品だけを揃えるのにはそんなにお金はかかりません。
それ以外の、一見不要なものを大量に売ることで現在の社会は成り立っています。

極端な話をすれば、もっと多くの人がたくさん商品やサービスを買えば社会は豊かになります。
日本の社会の豊かさは、日本国内の内需の大きさはもちろん、海外へのどんどん商品やサービスを売っているから成り立っています。

しかし、この大量消費社会は環境問題や資源問題が世の中に認知されるようになり、感覚的に頭打ちとなりました。
日本や欧米の一部ではシンプルライフやエコライフ、グリーンライフといった生き方をする人が増えています。
また、日本では質素倹約や勤倹質素が美徳とされる文化もあります。

本当はもっと皆が商品やサービスを売れる社会、もっと皆が大量に消費する社会が、消費社会の中では多くの人が幸せになるはずなのに、私たち一般人がそれを毛嫌いしている面があります。
そして実際にそれとは逆のライフスタイルを嗜好する人たちも増えてきています。

そうなると、はたしてこの「何かを売り続けなければ生きていけない社会」はどんどんと生きにく社会になってきてしまいます。

さらに言うと、現在の社会の中で、その価値がなかなか認められないものがあります。
具体的には、家事や子育て、躾等の家庭内教育、家庭内介護、町内会、地域活動などです。
これらが廃れていった、またうまく回らなくなった大きな理由は、私は市場化をすることができなかったからだと思います。
このような社会的に価値はあっても「市場化できなかった」分野はこの何かを売らなければ生きていけない社会においては、衰退していってしまいます。
これは消費社会においては仕方がないと思います。

今の時代は、極端に言えば既に満ちたりしている人たちにもっともっと何かを売りつけなければ私たちは生きていけないのです。
「○○で社会貢献」というのはぶっちゃけ嘘です。
だって、生活のために必要なものはもう行き渡っていますからね。

NPOやNGOなどで寄付を集めたり助成金を受けたりで社会的な活動をしている人たちも、誰かが無理に売上をあげたお金のおかげで活動できているのです。
彼らの活動そのものは市場社会のなかでは全く価値がないのです。

こういう社会になってしまっている状況は幸せなのかな?と思ってしまうのです。
なんとなく構造的に限界が来ているのかなと。
世界的な閉塞感はこの辺りに原因があるのかなぁと。

個人的な手段としては
・全ての市場化
or
・新しい経済圏の構築
or
・ベーシックインカムの導入
などが考えられるのかなと思っています。その具体的な案はまたのタイミングで。

ライター 唐澤 頼充

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