先日、Facebookでとある学生さんが落ち込んで投稿していた内容が印象的でした。
その内容は、
「やりたいことや夢がよくわからない」
「だけど、将来どうしたいのか?や、今やっていることが将来につながっているのか?と指摘されへこんだ」
というものです。
夢や目標に縛られるのはある種の呪い
やりたいこと、
夢、
意義ある人生、
あるべき姿、
成功、
自分のミッション ・・・etc
そういうものに縛られるのは僕はある種の呪いだと思います。
大事を成す人生がある一方で、多くの人は凡庸な人生を歩みます。
生まれたからには事を成すという考え方も大切ですが、それは何もできなかった時を振り返ると、残念な人生になってしまうかもしれません。
最近は目標を立てろとか、志を持てとか、結果を出せとか、そういう風潮が強すぎるのではないかと感じます。
僕はもっとその場その場の快楽や状況に従って生きることの方が大切だと思います。
志に生きるということはリスキー
ソフトバンクの孫正義さんは高校を中退しアメリカへわたり、
19歳の時に「人生50年計画」というものを立て、今もその目標に向かって突き進んでいます。
これを聞き、多くの人が「志」が大切だと思うわけです。
しかし、僕はこれをとてもリスキーな生き方だと思うのです。
彼は大病を乗り越えたそうですが、何か志を諦めなければならなくなった時に、彼にはどれだけのダメージが残るのでしょうか?
また、少年サンデーで連載している「BE BLUES!~青になれ」というサッカー漫画があります。
これは小学校のころ天才少年と言われた主人公が、日本代表になる目標を立て、その目標を達成するための計画(プラン)をサッカーノートに書いている。しかし、不幸な事故により、大怪我をしてしまい、選手生命の危機にさらされる。2年後にリハビリを乗り越えた主人公が計画(プラン)を達成するために邁進するというストーリーです。
絶望の淵から復活しつつある主人公の姿は、一見美談に見えますが、その事故で彼が本当に選手生命を絶たれていたとしたらその絶望感は計り知れないと思います。
その場、その場で最適化していく生き方
孫正義さんのような人とは別に、何かことすごいことやってると思う人は、別に自分の意思でそうなったわけじゃないことが多いと思います。
興味あることとかに顔突っ込んでいたら、
いまできることに手を出していたら、
周りから頼まれることをしていたら、
やりたくないことを避けようとしていたら、
いつの間にか人から頼まれたり、何かをやらなくてはいけなくなったり、どうやら自分がやる雰囲気かな~というように直感的に感じて自分のやるべきことが決まっていくような印象を受けます。
環境に求められてやらざるを得なくなった、というかまあやるかみたいな感じ。
僕はそれでもいいのではないか、むしろその方が最大多数に当てはまるのではないのかなと思います。
夢とか目標というものは、本質的には独りよがりなものです。
それよりも、「その時、その場でたまたま出会ったことや、求められたことに対応していくうちに、なんとなくこうなってしまった」ということのほうが大切なのではないでしょうか?
アムロ・レイも夢を叶えていない
機動戦士ガンダムに登場するアムロ・レイは、ガンダムに乗りたかったわけでも、軍人になりたかったわけでもありません。
たまたま、ガンダムに乗ることになり、嫌になって降りたり、逃げたりもするけれど、「やっぱ自分がやらなきゃかな。」と思いガンダムに乗り続け軍人として散っていきました。
彼にはたまたま才能があり、たまたまその環境に置かれたから、エースパイロットとなったのです。
でも、同じような環境に置かれた、カイ・シデンやハヤト・コバヤシは最終的にはパイロットを続けませんでした。
それでも、あの環境の影響を受け、自分にできることや求められることをして言った結果、カイはジャーナリスト的な仕事に、ハヤトはカバラの指揮官になりました。
偶然遭遇した環境の中で、できることとできないこと、求められることとできることを考えながら立派に生きていったのです。
多くの人が彼らのような生き方を歩む中で、最近の「夢をかなえるため」といった風潮は、逆に生き方の足かせになってしまうのではないかと思います。
また、そうやって周りの雰囲気的なもので責任をとらなきゃいけないかなーみたいなことで始めることこそが、真に世の中の役立つことをやっているように感じます。
周りの人を楽しませる、助けるを続ける
夢や目標が悪いとは言いません。
それが明確にある人は、夢を追うのが一番幸せなはずです。
それが叶わなかったとしてもチャレンジした自分を評価できるはずです。
だけど、私を含めてある種の使命感に駆られるような、また自分の欲望を明確化できるような夢や目標を持てない人も多くいます。
その人たちが無理に夢や目標を作ってしまうことは逆に不幸にもなりかねません。
わざわざ自分で「あるべき姿」という幻想を作り上げ、自分に呪いをかけて生きることはないのではないでしょうか?
そんな人たちは、高尚な目標等を立てるのではなく、
興味あることに顔をつっこみ、直接人に会い、そこで人と楽しんだり、助けたりを続けていくのが良いのではないでしょうか?
そうすることで、いつの間にか自分がやらなくてはいけないことや、自然と周りから求められることが見えてくるかもしれません。
あまり、窮屈にならず、自然体で過ごしていくことのほうが人間らしい人生ですよ。
ただし、直接人に会うというのはとても大切です。
人間対人間の関係の中で周りを楽しませたり、助けたりを続けてみてはいかがでしょうか?
ライター 唐澤 頼充