就職活動の失敗を苦にして自殺してしまうという「就活自殺」が増加しているらしい。
このニュースは非常に悲しい。
今の世の中は、自分がいなくても誰も困らないほど社会システムはもう出来上がっている。
その中で社会に対してどのような価値を提供していくのか?かなり多くの人が問われていると思う。
その中で、生きるために仕事をしなくてはいけないというのはもう成立しないのではないかとも考えている。
だから、働かないもの食うべからずというのは成立しないように思う。
芸術家が世の中に居ないと死んでしまう人なんていないはず。
そう考えると芸術家は仕事をしているのではなく、遊んでいる。
遊びがマネタイズされていると考える方が大切な気がする。
さて、世の中に不可欠な仕事をしていないのは、芸術家だけではありません。
これまでの世の中もそうだったのだけど、社会にないと人が生きていけないなんて仕事はもう随分少ないのです。
そう考えると、誰もが自分の遊びや余剰価値を、評価してもらってマネタイズしているのかもしれない。
就職活動に失敗して、それを苦に自殺してしまっている人がたくさんいるらしい。
「社会に必要とされていない」そう思ってしまう気持ちは痛いほどわかります。
だけど、そもそも「社会に必要とされている仕事」なんて世の中には全然ない。
大半の会社が、別に社会的意義なんかないんだと思う。
そう考えれば別に就職できなかったからといて悩む必要はないんじゃないかな。
別に就職して仕事をしている人だって大して社会に貢献しているわけじゃないんだから。
僕はマーケティングコンサルタントとしてサラリーマンの身分で約5年間活動してきたけれど、そのあたりは非常に疑問に感じていた。
果たして支援先のこの企業が世の中に必要なのだろうかと?
そう考えると今の世の中は代替可能なものに溢れすぎている。
世の中の大半の企業が、別にその企業がやらなくていいこと事業にしているものばかりだ。
だったら僕らは何を考えてこれから生きればいいのだろうと、すごく深く考えた。 答えはまだわからない。
だけど、一つ言えるのは。「世の中のため」なんて大きなことを考えないで。たったひとりの誰かのために何かをしてあげる。それだけでいいんじゃないか?と言うこと。
就職できなかった人は、例えば自分の両親や友達を、ちょっと助けてあげる。手伝ってあげる。それだけで生きている価値があると思う。
そういう目の前の人を少し助けるという行為が、いつかマネタイズされるような気がする。そうなれば自分の身近な人だけを助けていることが立派な仕事になるし収入の手段になるんじゃないかと。
そういう新しい社会の可能性を僕は自分なりに示したいと思う。 そういう生き方というレールを引きたい。 だから会社もやめてフリーでやってみている。
だから、就職できないで悩んでる人たちは決して自殺なんて考えないで欲しい。 君だけが「社会に必要とされていない」なんて思わないで欲しい。
社会に必要とされている人なんていないんだということに気づいて欲しい。 そして社会なんて大きなものを見ないで、身近な、周りにいる人を見見て欲しい。 その人たちを少しでも助けるだけで、あなたは生きている価値がある。
どうかもっと誰もに優しい社会でありますように。
ライター 唐澤 頼充