12/22(土)に新潟市立図書館「ほんぽーと」にて新潟フューチャーセンター勉強会が開催されました。
主催者は池野くんと石本さん。
新潟にフューチャーセンター(FC)を広め、地方から新しい社会的インパクトを創りだそうと、2012年の夏から始めたワークショップで、今回で5回目の開催となりました。
※新潟フューチャーセンター構想についてはこちら
http://www.youtube.com/watch?v=Chr9OdzC_CE
今回はレゴを使ったプロトタイプで、参加者全員でアイデアを発散しあいました。
ツールを変えるとアイデアの発想の角度が変わるということを実体験できました。
イベントの様子はこちらにアップされています
http://www.facebook.com/events/461352463921356/
さて、今回のテーマは図書館の未来について考えるというものでした。
その場でも私なりのアイデアを出していたつもりですがせっかくなのでブログにもう少し整理して書いておきたいと思います。
結論から言うと私は「図書館の役割は終わった」「図書館不要論」派です(笑)
それについて整理していこうと思います。
図書館の役割
「知の泉」と呼ばれる図書館ですが、全国に3,000か所以上あるそうです。
日本図書館協会によると、1979年の総会において採択した「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」において、「すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」こと、そして「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館であることを表明したそうです。
つまり、情報に対して国民が平等にアクセスすることを可能にするために図書館があると解釈できます。
また、フューチャーセンター勉強会で紹介された図書館を構成する要素には、以下の4つがあるそうです。
・建物
・蔵書、資料、データベース
・レファレンスサービス
・司書
この4つのリソースを持って国民の「知る権利」、「知の権利」を保障するのが図書館の役割と言えそうです。
インターネットの登場と図書館
さて、フューチャーセンター勉強会での課題提起にもあったのですが、近年のインターネットや電子書籍の普及により、図書館の存在意義が問われています。
インターネットの普及は、図書館が保障してきた「知へのアクセス」を極端に容易にしました。
しかもGoogle等の検索エンジンは自分の探している最適な情報へ導いてくれます。
Wikipediaは、割とアカデミックな情報までまとめてくれ、もはや一生かかっても読み切れないくらいの知の集約となっています。
「○○ってどういうこと?」という疑問はGoogleで調べてWikipediaを見れば十分な知識が得られるようになってしまったのです。
これは、図書館が保証していた「知る権利」のうち、ある程度のことはインターネットで代用できるようになってしまったと言えます。
図書館のレファレンスサービスまでも代用しているとも言えそうです。
インターネットと図書館の違いは、扱っているメディアが「本」なのか、「デジタルデータ」なのかの違いとなってしまいました。
娯楽かアカデミックかのみの価値
「本」のメディアとしての特徴は情報がページ分だけまとめられているという点です。
インターネットの情報が無限につながっているのに対して情報に区切りがあるというのは大きな違いです。
知りたいことに対するレスポンスは明らかに図書館よりもインターネットの方が便利で快適です。
個人的にはこの時点で、図書館の本来の役割は終わったのではないかと思っています。
しかし、情報の海から一部を切り取った「本」という媒体は、ある種のストーリーを持っています。
それは小説や物語といった娯楽か、アカデミックな流れを体系的に切り取った学術書です。
そのストーリー的な情報を取り扱う本が大量にあるという点で図書館は何とかその存在意義を保っているのかもしれません。
図書館は「情報へのアクセス」から「ストーリーへのアクセス」しか利点がなくなったと言えます。
2013年は電子書籍元年。さようなら図書館
そんな図書館に、さらに追い討ちをかけるように「電子書籍」なるものが登場しました。
唯一「本」という媒体を扱っていた図書館は、電子書籍リーダーさえあればいつでもどこでも本にアクセスできる仕組みが確立したことでその役割を終えたと思います。
さようなら図書館である。
国民の情報へアクセスする権利を保証していた図書館は、全て電子書籍リーダーへ置き換わることで完全に代用できます。
むしろ、市町村によって蔵書に限りがあったりといった地域間の格差も、電子書籍リーダーで一発解決する。
・国として国民に一人一台、WEBブラウジングできる電子書籍リーダーを配布する。
・月に2冊までなど制限して好きな本をダウンロードできる。
・返却期限かくると自動的にデータが消える。
・国は出版社や著者に電子書籍データを取り扱う上である程度のバックを支払う。
・使い方や検索をサポートするコールセンターを開設する。
これで、日本国民は全てデジタル図書館を平等に利用できるようになります。
誰かに借りられていたから返却されるまで待たなくてはいけないという機会ロスもなくなります。
わざわざ図書館に行かなくてはいけないというアクセス性による格差も、移動コストもゼロです。
コスト計算はしていませんが、図書館の建物代、蔵書購入代、司書の人件費など、すべて合算すればもしかしたら今までよりもローコストで済むかもしれません。
極論を言えば、国民の権利を保証するのであれば図書館を維持するよりも電子書籍リーダーを国民全員に配り、図書館的なレンタル機能を実装することが正しいと思います。
場としての図書館の役割はあるのか?
一方で、「図書館は人が集まる場である」、「勉強ができる場である」という議論があります。
「地域の拠点なのだ」といったことも聞かれます。
これに対して私ははっきりと「ノー」と言いたいです。
はたして図書館で過ごす時間というものは、図書館でなければいけないのでしょうか?
勉強する場、会議をする場、セミナーをする場というのは街に大量にあります。
0円で空調が効いており明るい照明、座りやすい椅子のある空間で過ごすことが良いことなのでしょうか?
500円出してでも喫茶店で過ごしたほうが経済に貢献するだろうというのが私の見解です。
図書館が溜め込んでいた人々を街中に排出することで、地域社会にとってはプラスになると思います。
場の提供こそ図書館以外の民間または公的な施設でやるべき役割だと思います。
取り組まれる課題解決型図書館に対する批判
ただし、図書館も新たな価値をみつけようと様々な取り組みがされているようです。
その最たるものが「課題解決型図書館」への転換です。
例えばほんぽーとではビジネス支援をしています。
また農業なんでも相談室や、生涯教育の学びの場を提供している図書館もあるそうです。
これについては一言「専門家がやれ」と言いたくなります。
つまりビジネス支援なら経済産業化とか商工会議所とかが既にやっているのだからそっちを充実さればいいと思います。
農業も専門部署が行政にはあるのだからそっちを充実させればいいのです。
なぜわざわざ図書館がそれを行う必要があるのでしょうか?
本を貸すことが主業務のところにプラスアルファの機能がつくことで主業務にプラスになるのでしょうか?
ならないことはないとは思いますが、むしろ専門部署にプラスアルファで本を貸す業務を付随させたほうが主業務のプラスになると思います。
ということでやはり私の中では、もう図書館の役割は終わったんだと思います。
マテリアルの「本」に触れる機会を残す
しかし、電子書籍リーダーでデジタルデータで本を楽しむのが便利な一方で、ある程度マテリアル〈物質〉としての本に触れることは重要だと思います。
一番のポイントは本との出会いです。
図書館や本屋さんを訪れる大きなメリットはたまたま眺めていた本棚で偶然良い本と出会う確率があるという点です。
しかし、デジタルの世界ではどうしても検索機能に頼ってしまうケースが多いため、求めているものにはたどり着きやすいのですが、偶然の出会いは生まれにくいといった特徴があります。
ただし、「それならばやはり図書館が必要」とはなりません。
むしろ、特定の場所に行かなくてはいけないというのは効率が悪いと思います。
そこで、私はマテリアルとしての本は、展示用として街中のお店やコミュニティスペース、公民館や休憩所などにばらまいて設置すればいいと思います。
それならば街を歩いているだけでマテリアルの本が様々なところに展示してあり、手にとって出会いを楽しむことができます。
気になる本があれば電子書籍リーダーで探すのもよし。
マテリアルとして欲しい場合にはお金を出して買えばいいのです。
本の文化を図書館の中に閉じ込める必要はないのではないでしょうか?
以上、長くなりましたが、現在の形態での図書館運営というものについては私はまもなく必要なくなると思います。
しかし、本に触れる機会というのは街中に広がる。
デジタルデバイスと、マテリアルの本が世の中にあふれる未来の情報インフラができることを願っています。
ぜひ、私の住む新潟市で初めにそういう取り組みをして欲しいものです。
ライター 唐澤 頼充