初代ドイツ帝国宰相オットー・フィン・ビスマルクの有名な言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。
wikiに載っていた直訳だと「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。(直訳)」らしいです。
この言葉が誤解されがちなのは、ひとつめのパターンとして「歴史教育が大事」と解釈する方がいること。
直訳を読めばわかるとおり、失敗や誤りを避けるために歴史(=他人の経験)から学ぶということですので、歴史教育が重要ということではありません。
ふたつめのパターンとして「経験しなくても情報仕入れればOK、知ってればOK」と解釈する方がいること。
俗に言う頭でっかちと呼ばれる人がこれにあたります。
個人的に最近、経験を軽視する人が増えてきているように思います。
特にインターネットの普及で他人の経験のシェアが活発化したことで、「わざわざやってみなくても知っているからいいよ」といった頭でっかちな人が増えているように思います。
一見、ビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」に近いような気がしますが、これは違うんじゃないかなと思います。
知識と知恵の違い
知識と知恵は違うという話はいろいろなところで聞くと思いますが、具体的にどう違うのでしょうか?
辞書によると、
知識(=知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。)
知恵(=物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。)
だそうです。
簡単に解釈すれば、知識はしっていることで、知恵はできることかなと。
生きていく上でどちらがより重要かと聞かれたら大半の方が「知恵」を選ぶのではないでしょうか?
そして、知恵というものは経験を重ねなければ身につきません。
ここで、ビスマルクの言葉に戻ると、「歴史を学んで知識を養うより、いろいろ経験したほうが知恵が身につくんじゃないの?」と疑問が湧いてきます。
経験こそ至高の学びである
「知恵」を身につけるには、経験を積むことが不可欠です。
むしろ経験でしか知恵を学ぶことはできないと言えるのではないでしょうか?
いくら知識を溜め込んだところで、それを活用することができなければ意味がありません。
ですので、ビスマルクの言う愚者と賢者のどちらにしても、経験からしか知恵を身につけることはできないはずです。
行動をすること、そして経験を積むことを軽視していては本当の学びは得られないと心得るべきでしょう。
知識を持っていることで経験からの学びが効率良くなる
では愚者と賢者の違いはなんなのでしょうか?
それはズバリ経験から学べることの量や効率ではないでしょうか。
経験を積む前に一定量の知識を持っていることで、無駄な行動が減る、失敗を避けられる、成功する確率が上がるといったメリットがあります。
なにも考えずに行動して、その経験から学ぶよりも、
ある歴史(=他人の経験)に基づいて行動して、その経験(結果)から学ぶ方が、回り道をしなくて済むはずです。
つまり、とりあえずやってみて学ぶよりも、こうなるであろうからやってみて学ぶ、方が経験からの学びが効率よくなるのです。
仮説を持って行動する
つまりは、歴史に学ぶ賢者とは、歴史に基づき行動をするにあたっての仮説を立てているからこそ多くを学ぶことができます。
PDCAサイクルという言葉がありますが、経験を積むにあたっても必ず計画(仮説)⇒実行⇒検証⇒改善を繰り返すことで個人でも学びの量は膨大になるのです。
それをやるか、やらないかだけで「賢者」と「愚者」と言われるほどに大きな差がついてしまうのです。
仮説を持って行動するためには、①こうなるであろうという考えを持つ、②それを確かめるためには何を指標とすれば良いのか、という2点を明確にすることが重要です。
①についてはやはり歴史(=他人の経験)を元にしなければなかなか取り掛かれないでしょう。
また、特に検証指標を持っている人はあまり多いとは言えません。
何を持ってよかったのか、悪かったのかを明確にする基準を常に考えながら行動に取り掛からなければ、感覚でしか成果を図ることができません。
そうして成果を見ながら改善を積み重ねていくことで、他の人よりも一歩でも二歩でも先に進むことが出来るはずです。
是非、みなさまも、歴史に学び仮説を立て行動をしているかどうか振り替えてみてはいかがでしょうか?
からさわ