英語を重視する教育に関する不満

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こんばんは、からさわです。
グローバル化、ネットワーク化が進み、世界が一つになりつつある現在、日本社会では英語をはじめとした外国語の重要性が高まっていると考えられています。
社内共通言語を英語にした企業も話題になりましたが、その影響を受けてか教育の現場でも英語教育に対する意識が高まってきているように感じます。
やれ会話力をつけよ、読み書きを強化せよと英語教育への要求がされているようです。
私の意見では、英語は学問じゃないんだからそんなに重視するな!と言いたいのです。

学問とは

学問の定義について確認します。
学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法[1]であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人間科学、社会科学、自然科学などの総称。(wikipediaより転載)

あ、言語学が入っている。自分で英語は学問ではないという自分の意見がさっそく論破されてしまったのか?
言語学の定義について確認してみました。
言語学(げんごがく)は、人類が使用する言語の本質や構造を科学的に記述する学問である。現代言語学の目的は、ヒトの言語を客観的に記述・説明することである。客観的とは、現に存在する言語の持つ法則や性質を言語データの観察を通して記述・説明するということであり、「記述(description)」とは、言語現象の一般化を行って規則や制約を明らかにすることであり、「説明(explanation)」とは、その規則・制約がなぜ発生するのか、その動機付けを明らかにすることである。(wikipediaより転載)
んん~よくわからないけど言語がしゃべれるようになるということではなく、言語そのものを科学的に分析することが言語学と解釈することができます。
これを見ると、中学校や高校で行われている現行の英語教育は学問ではないと言えるのではないでしょうか?

英語はただのツール

英語が出来る人は優秀だといった風潮が世の中にありますが、それはどうなの?と言いたいです。
国語は読解力や表現力を身につける学問です。
数学は論理的な思考力や物事を抽象化して考える力を身につける学問です。
理科は現象の原因を追求する力や因果関係を導く力を身につける学問です。
社会は世の中の流れをつかむ力や未来を推察する力を身につける学問です。
どれも単純に情報を身につけるのではなく、思考力を磨くための重要な教育になっています。
一方で英語は、英文学などをしない限りは、ただ単に英語を読み書き会話できるようになるだけです。
つまりただの道具に過ぎません。
道具を使えるようになったからといって思考力が高まる訳ではないので、道具を使えるようになるために義務教育の多くの時間が割かれていることに疑問を感じてしまうのです。

情報のあふれる社会

これまでの世の中では何か情報を知っていることが差別化につながっていました。
そのような社会では英語で情報を仕入れられるということがひとつのメリットにはなっていたように思います。
しかし、これだけネットが発達した情報化社会の中で、情報を持っているだけでは価値はありません。
情報を加工、再構成する力が求められるようになってきたと私は考えています。
その中で、ただ単に道具の使い方を覚える英語教育よりも、思考力を磨く教育の方が重要ではないでしょうか?
しかも、GoogleChromeでは他言語を日本語に翻訳してくれますし、iphoneのsiriは日本語で話しかけるとそれなりの精度で理解してくれます。
これだけテクノロジーが発達してくると「翻訳こんにゃく」的ツールの登場はそう遠くない将来あると感じます。
となると英語を使えるということがアドバンテージになる人はほんとに限られた人になってしまうでしょう。

さらば英語教育

そもそも日本では英語が出来る方はすごいと言われますが、アメリカの幼稚園児は英語がしゃべれます。
義務教育の中の少なくない時間を使って身に付けた英語も、アメリカの小学生レベルになれる程度です。
しかもテクノロジーが発達してこれば、誰でも情報収集もコミュニケーションも取ることができるようになります。
そんなものに時間を割くよりはより有意義な教育に時間を使いませんか?
英語を学びたい人は、英語用の専門学校や、塾を作り、補助金を付けるなどしてやりたい人だけが学べばいいんじゃないでしょうか?
もっと能力開発につながる教育を!という声をここにあげたいと思います。

みなさまは英語教育の必要性についてどのように考えていられますか?

からさわ

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