常時ネット接続社会がもたらす社会的影響

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こんばんは、からさわです。

スマートフォンやwi-fi環境が普及してきたことで我々はほとんど人が常時ネットに接続することができるようになりました。
もはやネット環境は社会的なインフラとなりつつあります。
いつでもどこでもネットワークにつながることができる社会とは一体どのような社会になるのでしょうか?

新たな社会的インフラが確立するということ

これまでの世の中でも、技術革新により新しい社会的インフラが確立することは数多くありました。
鉄道、電気、ガス、水道、道路網・・・あらゆるインフラが整うたびに私たちの生活は大きく変わります。
その本質は、平等性の向上のように思います。
私たちは、個々人により様々な能力や自信を取り巻く環境に格差があります。
足が早い人、体力がある人、都会に住んでいる人、金持ちに生まれた人、力持ちの人・・・・etc
この生まれ持った格差を平等にするのが社会的インフラです。
どんなデブでも自動車を手に入れたことで、誰とでも同じように速く走れるようになりました。
工場機械ができたことで力のない人でも生産物を作れるようになりました。
このように、社会的インフラが確立することで社会は新しい公平性が生まれることになるのです。

インターネットがもたらす公平性

インターネットはネットワークというバーチャル空間を作り出し、その普及により、ほぼ無限の情報が蓄積することが可能で、さらに誰もがアクセスできる状態になりました。
これまではごく限られた知識人や物知りといった人々に集中し、格差が大きかった情報という資源が、誰もがググれば簡単に手に入れることができるのです。
つまりインターネットによって私たちはこれまで格差のあった情報量というものが平等になったと言えるのではないでしょうか?
まだ世の中では情報弱者と言われる人たちが存在するのは事実ですが、これもいずれ解消されていくと思います。
そうなると、「○○を知っていること。」というのが優位性を発揮しなくなってきます。
「いちいち人に聞くな!まずググれ!」といった言葉は各所で聞かれるようになってきました。
もちろんその情報を理解でき、活用できるかどうかと言えば個人差はありますが、各人がアクセスできる情報の量というのは格差がなくなったと考えます。

人脈ネットワークの可視化・拡張性

インターネットによってもたらされる恩恵は、情報への平等なアクセス権だけでなく、ネットワーク上に存在する人々とのつながりが可視化され、拡大されるという点もあります。
Facebookやtwitterでつながった人々は、ちょっとした悩み相談先や、気楽な話し相手、新たな情報収集源として機能します。
また、○○と知り合いという個人の信頼性を保証する人脈が可視化されます。
こんな人に会いたいと言う際のその人までのアクセス経路も分かり、会いたい人に会いやすい社会になったと考えられます。
さらにネット上で個人の状況を伝えられるため、これまで実際にあって話さなければいけなかった友人等への近況報告の時間も大幅に節約できます。
1分で何十、何百人へ近況が発信できるという状況は革新的な出来事だと考えられます。

新たな価値提供の形

このような情報過多、人脈へのアクセスの自由化により、これまで「情報を知っている」ことが価値であった時代は終わりつつあります。
加えて「誰々を知っている」ことが価値であった時代も徐々に終焉を迎えるのではないでしょうか。
このような世の中では、誰でもアクセスできる情報を集め、それに価値を加え再流通させることで有益な情報を作りだすことが価値を持ちつつあります。
近年キュレーションと呼ばれています。またキュレーションをおこなう人をキュレーターと呼びます。
彼らは加工した情報を発信することで共感者や賛同者を集め、可視化された人脈ネットワークの中で評価価値を高めて行くのです。
また、情報へのアクセス権が平等になる中で、情報は知っているけれど具体的にどうするか、どう決断するか、行動力により差が生まれます。
実際に行動を起こせる人、問題について解決策が提示できることが価値を高めるのだと考えられます。

常時ネット接続社会の懸念

そのような社会環境の変化の中で、ごく一部の人間が新しい価値を提供してくれていれば、世の中の大半の方は、その恩恵をうけるだけで上手に生きていけるように思います。
キュレーターが集め、加工してわかりやすくしてくれた情報を見て、
実践者や開拓者がした体験によって解決策が確立されたことをその通りに実行していけばそれなりにうまく生きていけるのではなかと考えてしまいます。
そうなった際に、苦労をしたり、迷ったりする経験というのはこれまで以上に軽減される気がします。
自分で思考しなくても、誰かの意見や体験を使えば楽に生きられる社会になるかもしれません。
そうなるのかどうかもわかりませんが、そのような社会になった場合に、それがいいことなのか悪いことなのかよくわかりません。
自動車が登場したことで我々は歩かなくなり、運動能力が低下したと言われていました。
それが悪かったことなのかはよくわかりません。
本が一般に普及したことで、我々は覚えなくなり、記憶力が低下したと言われていました。
それが悪かったことなのかはよくわかりません。
そして今、私たちは常時ネット接続社会に突入しようとしています。
すぐ答えを検索、誰かの意見に乗る、そんな変化により私たちのどのような能力が低下するのでしょうか?
思考力?忍耐力?

みなさんは、常時ネット接続社会によって社会や私たちにどのような変化が訪れると思いますか?

からさわ

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