「環境に優しい生活をしよう」と言っている人たちが嫌い。

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タイトルの通りだが、私は自然とか、環境とか、そういうものを大切にしよう!人間は自然に帰るべきだ!という人たちの言うことが全然ピンとこない。

先に私の経歴を述べておくことにする。

私は大学は農学部を出ている。農学部に進んだ理由は、いろいろとあるのだが、端的にいうと「環境にやさしい農業を模索したかった」からだ。
4年間大学に在籍してさまざまな経験をしたし、農業の現場や書物、実験室、実際に集落に入るなどして色々と勉強をしてきたつもりだ。たかが4年。されど4年。

その中から一つの結論を言わせてもらえば「農業は人間の最初の環境破壊だ」ということ。

田畑を見て欲しい。そこには単一作物だけが生息している。単一作物しか存在しない空間というのは、自然界の中では明らかに異常だ。生物多様性を無視しているのだから。

「自然豊かな農村」はあくまでも人間の食料生産基地として都合が良いように作り替えられた人工物だ。あくまでも人間にとって「良い環境」なのであって、自然そのものではない。そういうことをしっかりと理解する必要がある。

人間は、ただ生きていくために食料を生産するだけで、自然環境を破壊しているのだ。

人間が生活をする以上、生きていく以上、自然を自然のままにしておくことはできないのだ。人間が手を加えた段階で、環境には何かしら影響が出る。自然にやさしい生活など幻想だと思わないのだろうか。

彼らの言う「環境」や「自然」とは、あくまでも「人間にとって都合の良い環境」であり、「人間にとって都合の良い自然」だ。それはそもそも人工物なのである。その人工物を受け入れるのであれば、近代化を受け入れないのはダブルスタンダードになるのではないか。

完全に自然の中で生きていくとなると、人間は「狩猟採集生活」をするしかない。そんなものは今の時代の人には無理な訳で、中途半端に自給自足的生活をして「自然とともに生きる」と道化のようなことをしている。

私は、自給自足生活についても正直、嫌悪感がある。なぜ、かつての自給自足生活から、今の近代化をしたのか。それは、「より多くの人を生かすため」ではないか。より多くの人が、食料の心配なく暮らせるようにするためには近代化が必要だったのだ。それを、「自給自足に戻ろう」、「自然に帰ろう」と言っている人たちは、言ってしまえば「自分だけ良ければそれでいい」という人なんだと考えられる。多くの人に死ねと言っているのと同じなのだ。

環境破壊である農業と、都市のビルの何が違うのか?私は、どちらも人工物という意味では同じだと思う。断っておくが、私は農村の風景や、土地は好きだ。農作業も好きだし、里山など素晴らしいと思う。
しかし、都市も農村もどちらも人工物だとも思っている。
同じ人工物なのだから、農作物は植物工場などで作ってもらったもので全然かまわないし、むしろそうするべきだとも思っている。

都市も、かつての里山も、その時代時代で「人間に都合の良い環境」を作り上げたものだ。私はそれを肯定しているだけである。そう。自然破壊はぜんぜんOK!していいよ!という立場だ。電気サイコー!だって便利だもん。という立場なのだ。

一方、人工物反対!自然は自然のままで残そう!と言っている人たちは、生きているだけで自己矛盾が生じる。だって、生きているだけで自然を破壊しているのだから。生きないことが、自然に手を加えない唯一の方法だ。だから、エコとか環境保護とか言っている人たちは、矛盾に満ちていて嫌いなのだ。

エコをインターネットで発信?ダブルスタンダードもいいところでしょうよ。
彼らの守ろうとしている環境は、結局は人間に都合の良い環境なのだから、それは原発といった人工物だったりと根本的には変わらないのである。

唐澤頼充

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コメント

  1. こんにちは。<br />栗下千恵子と申します。<br />ブログを読ませて頂いて、私が思ったことを書かせて頂きたいと思いました。<br />人間も自然の一部です。<br />田畑は確かにその部分だけ見れば、本来の植生を無視したものとなっていますが、農薬や肥料を使っていない田畑には驚くほどたくさんの生き物が生息しています。<br />生きていくために食料を生産することは人間として必然の行動であり、自然な行動であり、ただそのやり方次第で環境破壊となるのだと思います。<br />都市も農村も人工物ですが、植物工場で作られた野菜と自然栽培で作られた野菜とはおいしさも野菜のもつエネルギーも全く違います。食料とは、ただおなかを満たすだけのものでは本来ありません。そういった食料が現在の社会の問題を作り上げていると言っても過言ではないと思います。<br />なにをもって自然破壊というか、というところだと

  2. 唐澤 頼充 より:

    栗下さま<br />コメントありがとうございます。仰るとおりかと思います。<br /><br />農村の自然を守ることを考えるときに、2通りの視点があると考えています。ひとつが「前近代に帰る(自然に帰る)」という議論。もう一つは、「経済性の上に立つ自然保護」という視点です。<br />私は、前者には未来を感じず、後者のほうが実現可能性が高いと思っています。そして、環境保護を訴える人たちは前者のような人が多い気がしています。<br /><br />農村の自然環境を維持するという問題の中には、農村に住むコストと、農村の自然環境を守るコスト、食料生産基地を維持・発展するコストが別々に含まれています。正直なところ、現代の世界経済では全てのコストを負担することは難しく、取捨選択が必要だと思います。ここは意見の別れるとこだと思いますが、私は「農村の自然環境を守るコスト」を最優先するのが良いのではない

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