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黄色いリボン

散歩道、盆栽の飾ってある家。
道ゆく人がふと目線を投げる黄色い花。
緑の棚に一際目を引く原色はまるで盆栽棚を彩るリボンのようでした。
もうすぐ四月最初の日の日が落ちます。

新潟ペンタ



寺尾地下道を抜けて

散歩中、初めて見る看板に導かれ

地下への入口へたどり着く。

階段を下りると、短い地下道に絵が。

いつもの通り道にちょっとした暖かさが生まれますね。

階段を抜けると・・・

桜の木が。
新潟の寒く長い冬もようやく終わり暖かな春の訪れを感じます。

新潟ペンタ

「はたらく僕らの明日を考える」UST放送を終えて

2/26からスタートして4回に渡ってお送りしてきたユーストリーム番組「はたらく僕らの明日を考える」が3/19に終了いたしました。

4月からフリーランスのコピーライターとして活動する、横田孝優 氏(@yokota100)とはたらくことについて考えてきましたが非常に思うところが多く、やってよかったなと思いました。

ちなみに動画はアーカイブに残っていますのでご興味のある方はぜひご覧下さい。

・ワークスタイルを考える(雇用と就活)
動画アーカイブ
・やりがいとお金と(報酬)
動画アーカイブ
・これからのはたらき方とは(仕事の未来)
動画アーカイブ
・さあ夢を語ろう
動画アーカイブ

これからの「はたらく」を考えるための大前提

この放送を通じて伝えたかったことの一つに「仕事は減っている」という大前提があります。
これは大量生産大量消費社会の限界と、コンピューターをはじめとする情報革命が主原因です。
駅の自動改札や券売機、ATMなどの無人化はどれだけの雇用を奪ったでしょうか?
さらにパソコンの普及による事務手続の簡易化に伴い、事務職はもちろん、これからは税務署の機能などもコンピューターに代替できると言われています。簡単な翻訳であればコンピューターがやってくれる、そうなると翻訳家の仕事は減ります。
また、自動車についてもGoogleを始めとした企業が無人自動車の実験を成功させていることから物流でも無人化が進む可能性が高いです。
このようにこれまで多くの人間が携わっていた労働分野から人手がいらなくなって行っています。

仕事に多くを背負わせすぎる私たち

このような背景から仕事に就くことが難しくなってきています。
かつては人間がやらなくてはいけないことが山積みだったため、仕事にありつくのは簡単でした。
しかし、今は昔ほど仕事がありません。
そのため、就職や起業が難しくなってきています。
労働の椅子が少なくなっているから選別のため採用試験が難しくなり、志望動機や自分の強みなどをしっかりとまとめて就職活動に挑むことがトレンドとなってきました。
そのような流れの中、自分の能力を発揮できる、やりがいがある、素敵な仲間に出会える、それなりの収入を手にすることができるといった思いを仕事にぶつけるようになっていったのです。
はたらく事へのハードルが上がったからこそそのような流れになっています。

人間にしかできない仕事は残されているのか

最近はそのような窮屈な働き方に対する疑問や新しい働き方への議論が活発になってきています。
「10年後に食える仕事は何か?」といったことが話題になったりもしました。
グローバルに活躍する人材はこれまで以上に求められる一方で、中間層を担っていた仕事の多くはなくなっていきます。
そのなかで、10年後も変わらないものは何か、これまで長きに渡って有り続ける仕事は何か、人間の生活の根本に有り人間にしかできないことは何かということを多くの人がもっとよく考えていかないといけないと思います。

これからのはたらき方を皆でよく考えよう

時代の流れが変わる中で、新しいはたらき方を考えていかなければいけません。
私は私なりに「つながり」や「コミュニティ」の中での役割を探すこと、がキーワードになってくると思っています。
ただ、皆さんにはいろいろな考え方があると思います。
そんな考え方をシェアするイベントを開催します。
ぜひご参加くださいませ(壮大なステマ 笑)

はたらく僕らの明日を考えるワークショップ

2010年代のはたらき方を模索するワークショップを開催します。
「はたらくこと」と僕らはどう付き合っていくのか、みんなで考えてみませんか?

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■日時 :4月2日(火)19:00〜21:00(18:30開場)
■会場 :クロスパルにいがた
■参加費:500円
■定員 :20名

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就職、雇用、報酬などをテーマに、全4回にわたってお送りしてきた
Ustream番組「はたらく僕らの明日を考える」。
視聴者数はのべ300名以上にのぼり、現地観覧者やコメント参加者を巻き込み、
これからの時代のはたらき方を考察してきました。

このコンセプトをそのままに、ワークショップという場を設け、
さらに多くの方々と意見を交換してみたいと思います。

Ustream配信なしなので、その場限りの本音トーク大歓迎。
もっと自由に、もっと楽しく、はたらく方法を一緒に探しましょう。

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■Ustream番組「はたらく僕らの明日を考える」
http://yokota099.wix.com/hatarakubokura

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■主催
・フリーランスのコピーライター 横田孝優 (@yokota100
・シェアハウス住居人 フリーランスのリサーチャー 唐澤頼充(@y_karasawa07

お申し込みはこちらから

ライター 唐澤 頼充

梅の花が部屋に

知り合いが持ってきてくれたお花。

梅。

春の訪れをひっそりと待つ新潟の3月最後の週末。

新潟ペンタ

松と冬の風

新潟市の海岸側の松は、海風でグッと曲がっている。

冬の風が松の幹を曲げてしまいます。

風の力。
自然の力。
信じられないくらい長い年月をかけて。

松はグッと曲がっていきます。

新潟ペンタ

謙遜の花

庭に咲く椿。

椿の花言葉は「理想の愛」「謙遜」。

赤い椿は「控えめな愛」「気取らない美しさ」。

自己主張も控えめな、緑の葉の影に咲く花。

心が和みます。

新潟ペンタ

体験から何かを得るために大切にしたい視点

先日twitterで以下のような質問を受けました。

誰かと同じ経験(ボランティア等)をしても、他人より得たものが少ない感じがするときはどうしたらいいですか。自分なりに頑張ったときでさえ他人が得たもののほうがキラキラして見えるときは何が足りないんですか。

同じ経験や体験をしているのに、他人の方が成長していると感じることがある方は少なくないと思います。
それで悩んでいる人も多いよなーと思い、ちょっと体験や経験から何かを得るというのはどういうことなのか考えてみました。

経験から得るものとは何か?

何かをしたときに得られるものと言うのはさまざまなものがあります。
知識やお金、やりがいや人間関係などです。
これらは、「残るもの」と「残らないもの」に分類できると思います。

 ・残るもの ― 知識、技術、お金、人間関係など
 ・残らないもの ― その瞬間の楽しさ、感情

何かをしたときに得たものとして自分の中でカウントする際に、どうしても前者ばかりを意識してしまいがちです。
しかし、何かをした瞬間の快楽や感情をもっと大切にしても良いと思います。

感受性を大切にする

何かに感動すること、何かに悲しむこと、何かに驚くこと、何かに心を痛めること・・・
こういった感情というものは、現在の経済原理などでは測定することができません。
感情と言うものは得てして不合理です。
合理的になりすぎた社会の中で、感情を無理やり合理化することで、私たちの心にはなんとなく負担がかかっているように思います。
素直に喜べたり、驚いたり、嫌な気持ちになったり、そうやって感情を動かすことというのは実は健康的であると思います。

何かをしたことで、「どれだけ感情が動かされたか」というのは他人と比べようがありません。
だからわざわざ他人と比較する必要もありません。
こう感じた。その気持ちを大切にすることが感受性を高め人生を豊かにすると思います。

「残るもの」では何を得るべきか?

それでも、体験から「何かを残すべきだ」と言う意見は多くあると思います。
しかし、計測できるもののうち何を重視して得るのが良いのでしょうか?

ここのポイントは「再投資可能なもの」だと私は思います。

「知識」や「情報」は次の機会に再利用可能。
「技術」もそう。
「お金」は別のものに交換が可能。
「人間関係」は自分のセーフティーネットとなる。
このように考えられます。

再投資可能な経験とは?

上記で挙げたものがすべて再投資可能かと言うとそんなことはありません。
例えば、学校の課題でボランティアでどこかの施設に行ったとします。
その施設の運営方法や、財務情報などを知ったとしても知識としての再投資性はありません。
また、二度と会わない人との人間関係を築いても再投資性はありません。

一方で、施設入居者との接し方や、話の聞き方といった知識は次に何かしらの場面で再投資可能です。

技術や人間関係も同じです。

受験勉強なども実はそうで、教科書に書いてある知識は社会人になったらほとんど使いません。
しかし、情報を覚えるノウハウや、答えを導き出すための思考プロセスなどの知識は再投資可能であり、これが「学力の高い人の方が応用力が効く」という大きな要因になっています。

再投資可能なものを効率的に得るためは

ある体験や行為から、再投資可能なものを効率的に得るためには、事前にどのようなものを得たいのか「仮説」を立てることが需要です。
以前、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ を実践するということ」というブログでも書きましたように、経験をPDCAサイクルの中にしっかりと組み込むことが大切なのです。

再投資可能な知識を得たいと思えば、その体験から得られるであろう知識と、その中で自分に今後必要だろう知識を、事前に考えてから実行するのです。

ただ闇雲に経験を重ねればいいというものではありません。
しっかりとした「仮説」を持って何かに取り組むことで、自分の吸収力は全く違います。

もし、「おなじ体験をしているのに他人の得ているものの方が大きい」と思う方は、事前に何を得たいか決めてから実行することをお勧めします。
そうすると、「○○だと思って△△したら□□だった。だから××なんですね。」みたいな課題レポートがうまく書けますよ(笑)

それよりも、僕は感情を大切にして他人とあまり比べない方がいいと思いますけどね。

ライター 唐澤 頼充



地方都市である新潟でフリーランスになったわけ

僕は5年くらいマーケティング会社に就職していて、そこでコンサルティングやリサーチ、執筆、WEBや広告のディレクション、事務全般、営業などビジネス業務全般に関わってきました。
働き始めた時にその会社が創業1年目だったこともあり、サービス開発から内部組織づくりに等の社内プロジェクトにも多くかかわりました。

そんな僕が独立をしたのが2012年の6月だったのですが、もっと仕事がある首都圏に行こうとは思いませんでした。

東京にはきっと仕事はたくさんあるけれど・・・

5年程度だけれども、これまでやってきた自分のスキルセットを見ると、まず都心に行ったほうが仕事はあるんだと思います。
今も新潟で細々と食べているのが現状です。
それでも東京に出ないのにはいくつか理由があります。
その中でも最大の理由は、「もう時間やスキルを売るのは嫌だなー」ということです。

時間やスキルを売らなくて済む収入源を確保したい

以前にブログで「複数の収入源を得るために考えなくてはならない3つの視点」というブログをアップしました。http://karasawayorimitsu.com/post-0-92/
その中で収入の分類を以下のようにまとめています。
 1.時間・スキルを売って得る収入
 2.コンテンツを売って得る収入
 3.ファンコミュニティによる収入

東京に行って得られる仕事の多くが、おそらくスキルや時間を切り売りして得られるものではないかと思っています。
それは僕の今のスキルセットから言えばそうなってしまいます。
僕はそれ以外の道を切り開きたい。そう考えた時に地方にいたほうが可能性があると思ったのです。

地方のほうが目立つ

単純に東京は人が多いので仕事も多いですが、競合も多くいます。
同じ空間の中で尖がっている人は既に大量にいます。
その点地方は、変なことや新しいことをやっている人が少ないです。
なので、地方で変なことやっていたほうが自然と注目が集まります。

コンテンツを売るにしろ、コミュニティによる収益を上げるにしろ、この「注目」というのは非常に重要です。
東京で注目を集めようとしたら全国区になって一人前ですが、ローカルコミュニティの中ならば、その中だけでメジャーになれば、換金するのに十分な注目が集まっているとも言えます。

東京で成立するビジネスは横展開が難しい

もう一つ重要なのが、新しいサービスやビジネスモデルを作った際に、東京で成立するものが地方で必ず成立するとは言えない点です。
有名な例では「オイスターバー」牡蠣ばかり出すバーです。
もちろん「ネットサービスなら場所は関係ない」と言う方もいると思います。

しかし、ネットサービスの競合は世界です。
facebookやAmazonと戦える人などごく一部です。

多くの人が土着のリアルな人間関係の仕事をしていかなくてはいけないのが今後の社会です。
その中で、東京の膨大な人口によって支えられているビジネスモデルは所詮東京でしか成立しないものです。

その点、新潟市の80万人(実質人口50万人程度だろう)で成立するビジネスモデルは全国の様々な場所で成立するはずです。

東京という特殊環境にローカライズしたモデルではない、横展開できるビジネスを生み出すならば地方でやっていたほうが可能性があると感じたのです。

リアルで濃密な人間関係に支えられるビジネスを

「エリート以外の99%はコミュニティが仕事場」(http://toyokeizai.net/articles/-/11602)になるという記事が東洋オンラインにあったように、仕事を取り巻く環境は大きく変わってきています。
本当に大きな、グローバルで戦う人材がいる一方で多くの人が地域などの狭いコミュ二ティの中で仕事をしてくことになると思います。

人と人とのコミュニケーションコストは郵便の発明から始まり、電信電報、電話、FAX、パソコン通信、Eメール、チャット、SNSなどの技術革新によりどんどんと低下しています。

情報伝達コストが下がるということは、情報の差異で利幅を稼ぐということが難しいということです。
しかし、これまでは多くのビジネスがその情報の差異による利ザヤで利益を上げていました。
それが不可能になると、現実空間で人が出会い、関係性を築き、生活していくということ、つまりコミュニティを仕事場にしていくしかありません。

そうなったときには、「特定範囲で「注目」されており、それを「換金するモデル」を持っている」人が最強です。

単純に僕が狙いたいのはそこなのです。

別に新潟でなくてもよかったのですが、5年間新潟で仕事をしてきて、リアルな人間関係が一番濃いところにそのまま留まり、ここでフリーランスとして、コンテンツによる収入やコミュニティによる収入をあげられるよう工夫してやっていこうと思います。

ライター 唐澤 頼充