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シェアハウスと性欲問題について

前回エントリーからずいぶん時間を開けてしまった。

昨年11月から約8ヶ月シェアハウスに住み始め、シェアハウス生活がどんなものか徐々にわかってきた。

シェアハウス暮らしで本当に気になるのは、

「恋人がいる人はどうなるの?」

「性欲処理はどうするの?」

という問題。

さらに、私の住むシェアハウスは男女混合である。
最大時には男性3名、女性3名の合計6名。現在は男性2名、女性2名の合計4名がひとつ屋根のしたに暮らしている。
ちなみに年齢は20代前半男女2名とアラサー男女2名である。

そうなるとやはり

「やっぱり住人同士の××ってあるんじゃない?」

と言う点が気になるようである。

このあたりはいろいろな人に聞かれる。
やはり人間と性欲は切り離せない以上、共同生活を営む上では切実な問題だと思う。

私の住むシェアハウスは鍵付き個室を住人が持っている。
共同で暮らしている以上、数少ないプライベートな空間は全員が尊重しているように思う。
そのため各自の個室は不可侵となっている。

なので、個人的な性処理はおそらく自室で充分できると思う。
他の住人の状況は知らないが、私はコソコソと自己処理をしている。
たぶん気づかれたことはない。
たぶん・・・
・・・
・・

ちなみに、我が家の壁はものすごい薄いため、ティッシュを引っ張る音にも配慮が必要である。
気分は忍びの者のようだ。

そして、所要時間はかなり短くなった。

もちろんストレスは溜まる。

しかし、今は外にも性処理の場はたくさんある。
深くは書かない。
しかし個室ビデオ屋のコスパは素晴らしい。

恋人については、特に泊めてはいけないというルールは設けていない。
ただ、呼んでも行為に及ばないで欲しいという部分はある。
そこは暗黙の了解になっている。

なので、恋人がいる方は恋人の家もしくはホテル等ですませていると思う。

ここで問題なのは、恋人が実家暮らしだった時など。
この場合、結構ホテル代がかかり、家賃の安いシェアハウスに住むという経済的メリットがなくなる可能性がある。
人によってはこれは大きな問題である。
シェア家賃+ホテル代が一般のアパートの家賃を超えるか超えないか・・・よく考えて欲しい。

ホテル代が5,000円であれば、4回で2万円だ。これは問題だ。

で、最後に住人同士が性的な関係にならないの?という話。

私は今のところない。
ありそうにない。
それっぽい空気もない。

そんな感じである。

なんとなく、うちのシェアハウスに住んでいる住人は世間と比較して、「わりと性欲が少ない」ように思う。
別にしないでも問題ない、平気、そんなタイプの人が多いように思う。
典型的な草食系である。

これは結構重要な問題で、アクティブな方、特に合コンでお持ち帰りをしたり、一夜限りの関係を持ったりなどに楽しみを見出す人というのは、男女混合シェアハウスの環境では我慢できないように思う。

一方、いま私たちが特にトラブルを起こさずやっているのは、この環境にいても特にムラムラこない。だから我慢もしていない。そんな性欲の少ない人種なのではないかなーと思ってしまう。

だからこそ、男女混合のシェアハウスでもまったりと生活できている気がする。

シェアハウスでの性欲問題。

今回はある一人の男性の生活を参考に実情を赤裸々に書いた。
(親に怒られそうである。)

シェアハウスでも特に性に対してストレスなく生活することはできるが、耐えられない人には耐えられないのかもしれない。

ただ、肉食系の方は男女混合生活は辛いと思うので、同性同士のシェアハウスか、一人暮らしをオススメする。

ライター 唐澤頼充

シェアハウスに8ヶ月住んで感じたこと

昨年11月からシェアハウスに住み始め、約8ヶ月が経った。

とは言え、不動産屋が募集し始めた際の、最初の入居者のため、しばらくは一軒家に一人暮らしという状況であった。

同居人が入り2人暮らしになったのは2月末頃だったように記憶している。
その後4月に新しい同居人が2名入り合計4名暮らし。
5月にさらに2名の入居があり、最大時には6名での共同生活を行っていた。

7月現在は、男性2名、女性3名の共同生活となっている。

私の住むシェアハウスであるが、同居人同士は誰も事前の面識は全くない。
入居時に初めて顔を合わせた者同士が生活している。
職業もバラバラである。
私はフリーライターであるが、他には肉体労働系、事務職、営業マン、サービス業など、あまり接点のないもの同士が一緒に暮らしている。

「シェアハウスに住んでいるよ!」と知人に話すと、大抵は「楽しそう!」と興味を持ってもらえる。
しかし、その相手が住もうと思うかは別問題のようだ。

ネットの中では流行しているように感じるシェアハウスではあるが、こと保守的な新潟県の人にとっては、まだまだ手を出しにくいカルチャーのようである。

さて、シェアハウスでの生活であるが、今のところ特にトラブルを抱えたりということはない。
むしろどちらかと言うとマイナス面よりもプラス面の方が多いように感じる。

私の入居するシェアハウスは、鍵付き個室があるため基本的にプライベートな空間は所有できる。
誰とも話をしたくないときは基本的に部屋にいれば良い。
誰かと話したかったり、寂しかったりすれば共用スペースでゴロゴロしていれば良い。

居間、キッチン、風呂、トイレ、洗濯機、冷蔵庫等が共用となっている。
使うときは適当にタイミングを見計らって各自利用している。
一言声を掛ければいいだけなので、別段不自由はない。

特に住人同士、会議や共同作業をスケジュールを決めてすることはない。
誰かが突然お菓子作りを始めたり、映画を見始めたり、パソコンをいじっていたり、たこ焼きパーティーをしていたりと、バラバラで行動している。

個人的には、そのように他人の生活感が感じられるというのは刺激があって良い。

住人同士の距離感であるが、節度ある距離を保っている。
家族との暮らしの場合は、距離が近いぶん協調性を重視し、それが不満や衝突につながる。
しかし、私たちはどこか「結局他人」と思っているのか、同居人の生活への干渉は最低限だ。

かと言ってそっけないわけでもない。
一緒にご飯を食べたりもするし、出かけたりもする。
飲み会に行ったり、テレビを見たり、友人を連れてきて紹介し合ったりもする。

まさに絶妙な距離感だと感じる。

自分が絶対見ない本があったり、自分が絶対見ないTV番組がハードディスクに溜まっているのに気づくのも面白い。

私たちは何か特別な目的や、共通の趣味、嗜好を持って集まったメンバーではない。
むしろ何も接点がない面々である。

その人たちが一緒に住めている。そしてどちらかと言うと楽しい。
誰かと一緒に住んでいると、それだけで孤独感が和らぐ。
それだけで非常に価値があると思う。

同居人に共通しているのはちょっとした価値観くらいだろうか?

 ・潔癖症じゃない

 ・節度ある距離感を保てる

 ・異文化を認められる

こんなもんである。
(異文化とは、思いもよらぬ料理を作ったり、変わった趣味にはまったりだ。また家のかなかでの振る舞いは誰もが自分の普通を持っていて、まさに異文化を感じる場となる。)

そういうものを持っている人たちであれば初対面の人同士でも一緒に住めることがわかった。

実はこれは大きな可能性だと思う。

ちなみに新潟県は自殺率が日本でトップクラスだ。
自殺の理由は様々だろうが、「孤独感」や「居場所がない」といった理由も大いにあると感じる。
ものすごい投げやりな言い方になってしまうが、これらは結構誰か他人と住めば解決するような気がする。
家族ではない、友人でもない、恋人でもない、「他人」と住むのだ。

6名くらいのシェアハウスの良いところは、別にシェアハウス内で競争がない点だ。
6名の中で地位もないし、存在感を示す必要もない。
ただ、それぞれが存在しているだけだ。

しかし、家族内や恋人同士では無意識のうちに「貢献」が求められる。
友人内では「役」や「存在感」が、社内や学校では「競争」が求められる。

シェアハウスというコミュニティ内にはそれがない。
これがシェアハウスの特徴なのかもしれない。

このどこか冷めた、けれど同じ空間を共有し、互を認め合う人間関係がシェアハウスの良さなのだと思うし、多くの人にとって救いの場になる可能性を感じずにはいられない。

100%自由を求めるよりも、30%の不自由を受け入れて得られるゆるいつながりに目を向けて欲しい。

さて、今度は気になるシェアハウスでの性欲問題について記事を書こうと思う。

ライター 唐澤 頼充

雨上がり、夕暮れ時、虹

「虹のふもとには宝が埋まっている」

追いかけても、追いかけても追いつかない。
そんな届かぬものへの思いがそんな伝説を生んだのかもしれない。

いつまでも届かないからこそ、綺麗に輝き続けるのか。

唐澤 頼充

宗教化する日本コンテンツの展望

先日放送された本田圭祐選手がNHK のプロフェッショナル仕事の流儀で「神様が見てくれている」「神様からのプレゼント」という言葉を使っていた。
日本人は無宗教と言うが、超越した何か。運命のようなものが、無意識にきっとあると感じているんだと思う。

共通する倫理観的なものが日本人的宗教なのかと感じた。

宗教はある時代、社会的共通価値観を共有するために重宝された。
かつてキリスト教が世界の覇権を握った際には、キリスト教的共通価値観をベースに侵略が進んだ歴史がある。

さて、今の時代、どうやって社会倫理を皆が共有しているのだろうか?

子供の頃にみんなが読む昔話や童話というのは、少なくともそう言う役割の一部を担っていると思う。
その物語の中で、私たちは社会倫理的な何かを学んでいるのではないだろうか?

とは言え、浦島太郎やかぐや姫が。桃太郎が持つメッセージ性というのは言語化されていない。
それぞれのメッセージはもちろん、あの物語たちに共通する価値観。倫理観とは何なのだろうか?

そこに日本人が日本人である社会倫理があるような気がする。

僕は日本という国は素晴らしい国だと思う。
それは日本人という素晴らしい価値観を持った人々が暮らす国だからだと考えている。

その日本人の価値観を作り出したのは、昔話をはじめとした物語たちではないか。

現代その物語が、アニメや漫画という形で表現法方を変え世界に広まっている。

特に、ポケットモンスターやアンパンマン、ドラえもん、クレヨンしんちゃんと言った児童向けアニメは世界の子供に親しまれていると聞く。

このコンテンツを通じて、世界中の人が子供の頃から日本人的な価値観を物語を通じて学べる。
その価値観が世界に広まればもっと平和な世界になると期待している。

また、実利的なことを言えば、日本の児童アニメ・漫画を共有した子供たちは、大人になっても日本人の作り出すコンテンツを受け入れやすいのではないか?と期待できることだ。

ここに、日本コンテンツの復権を期待している。

日本はものづくりの国だと自負してきた。何かをつくる情熱を、これからはコンテンツづくりに集中するしかない気がする。

そのコンテンツを世界に受け入れてもらいやすくする土壌に、児童アニメ漫画にもっと注目し、大切にしていくことが重要だと思う。

国内を見渡すと、日本人の価値観がバラバラになってしまったと感じる場面も多い。

良き日本人を作るためにも、大人向けの小説、ドラマ、映画、マンガ、アニメにも、背景に浦島太郎やかぐや姫が。桃太郎が持つメッセージ性を再び潜ませることが大切なのかもしれない。

ただし、繰り返しになるが、そのような物語に共通する価値観は現代というのは言語化されていない。
現在はクリエーターの想いだけに頼っているのが現状である。

物語には教訓や登場人物の行動原理といった他人の意図がふんだんに盛り込まれている。
それは、かつて宗教が聖書などの経典を元に説いた教訓に似たものがある。
聖書や教会という媒体が、漫画やアニメ、映画といった媒体に変わっただけのように感じる。

私たち日本人が、日本に誇りを持ち、日本の良い価値観を守っていくためには、もっともっと物語、コンテンツが消費されるようになることが必要だと思う。

それと同時にそのしかけの根本となる価値観をもう少し見直してもいいのではないかと感じる。

ライター 唐澤頼充

空間づくり(@新潟市西区内野 内野カフェ イロハニ堂さん)

お店作り。空間づくり。

何かを作るとき、
何かを形にするとき、
何かを言葉にするとき、

どんなに隠しても作り手の人柄がにじみ出てしまうもの。

この空間には、店主さんの人柄が表現されています。

それに少しでも気づくこと。

それが心の豊かさにつながる。

唐澤頼充

山形県羽黒山

山形県鶴岡市の羽黒山。
山岳信仰の山。
修験道。

ガタペンタ

海辺の田舎の振る舞い

磯の香りと、炭火の音。
日に焼けた黒い顔と、覗く白い歯。

その土地と、海の恵み。

ひとつお裾分け。

ガタペンタ

経営者になりたい新潟大学3年生とお話してきた

知人から紹介されて、現在リレー形式で人の話を聞いて回っているという新潟大学の学生さんが会いたいとのことでしたので、お会いしてきました。

彼の最終目標は経営者。

そのために今何をすべきかを探しているとのことでした。

現在彼の描いているプランは下記のとおり。

【経営者←コンサルタント←下積み←学生の今何をすべきか模索中】

そんな彼に自分なりのアドバイスをしてきたので、その内容をまとめたいと思います。

経営者になるのは手段に過ぎない

私が気になってたのは、経営者になることは手段に過ぎないことです。
社長になりたいと漠然と思っている方も多いとは思います。
しかし、私は先にビジネスプランがあると思います。

「こういうビジネスをしたい。」

「それを実現するために、選択肢として社長になる。」

といった具合です。

これは社会貢献事業でも同じです。
なんとなく社会貢献に関わりたいでは不十分。

どんなプランで社会貢献をしたいのかによって選択肢は大きく変わるはずです。

「●●で社会貢献したい。」

「それを実現するためには、××するのが良いのではないか。」

と視点が変わるはずです。

まずはやりたいビジネスを探しましょう。

「技術」と「発想力」

では、ビジネスプランはどのように練るのか?
ひとつの回答として「既存にある技術」と「新しい発想」の組み合わせがあると思います。

例えば、プログラミング(技術)を活用して新しいカタチのWEBサービス(発想)を作る。

新しい発想で、既存の飲食(技術)にはない新しい付加価値(発想)をつけた飲食店を立ち上げる。

美容師(技術)が美容室以外で活躍できる場(発想)を作る。

などがパッと考えられます。

どのような技術を活用して、どんな革新的なビジネスを生み出すのか?
経営者を志す人には、そういう視点が欠かせないように思います。

なので、自分のビジネスプランを練る領域は、「発想しやすい業界・業種」を選ぶことが大切です。

それを本当のビジネスにしていくためにはひとつは人をお金で雇う。

もしくは、自分が技術を身につける。

といった選択肢が生まれます。

ちなみに、発想が得意でないという方は技術を活かして人の下につくのが良いと思います。

興味ある分野を見つけ、必要な技術を身につける

そんなこんなでローコストで経営者になるには、発想が出やすい興味ある分野を見つけ、修行としてその分野に必要な技術を身に付け、とりあえず自分だけでスモールスタートを切るということが良いのではないでしょうか?

そのためには、発想力と技術が必要になります。

 1.どの分野で自分の発想力を活かせるのかをよーく考え、

 2.ビジネスモデルが沢山湧き上がるようであれば、

 3.必要な技術を身につけに下積みする

といった流れがスムーズではないでしょうか。

そう考えると、コンサルタントを経由する必要があるかどうかも変わってきますね。

まずは、自分の思想に近い分野を見つけ出してほしいなと思います。

短い時間でしたが学生さんの熱意にあてられ、私も気合を入れ直しました。

ありがとうございました。

ライター 唐澤頼充