インプット

12/5「にいがた移住シンポジウム」のツイートまとめ【表】

12月5日に「にいがたイナカレッジ」がアオーレ長岡交流ホールBCで開催した「にいがた移住シンポジウム」に参加した。

 

第一部「里山資本主義から若者移住を考える」14:05~15:35

講 師:藻谷 浩介(日本総合研究所調査部主席研究員)

第二部 藻谷浩介×移住女子トークセッション 15:50~16:55

「若者が移住しやすい・したくなる地域づくりを考える」

◆スピーカー:

・藻谷 浩介

・坂下 可奈子(移住女子/Iターン)

・渡辺 紗綾子(イナカレッジインターン生/Iターン)

・栗原 里奈(移住女子/Iターン)

◆進行:

・金子 知也(イナカレッジ事務局/Iターン)

 

藻谷氏は「里山資本主義」で話題になった人。

 

当日の自分のツイートを記録しておく。

 

 

読書メモ― 資本主義卒業試験 山田玲司

新潟市西区内野、内野駅の目の前にある本屋「ツルハシブックス」といえば今や全国の本屋好きの間でも認知度の高い本屋だ。そこの店主・西田卓司さんに貸してもらった一冊。
現代社会の仕組み、つまり資本主義の仕組みに疑問を持ったマンガ家の主人公が、資本主義システムの幻想を解き明かしていくというストーリー仕立ての内容。登場するキャラもキャラ立ちしており、話の展開もスムーズで、「マンガで分かる資本主義」的な解説本のようにサクサクと読めた。

資本主義に疑問をもつ主人公達が、資本主義のシステムとしての欠陥をズバズバと追求していく前半から中盤にかけては、なかなかに痛快である。「そうだ!社会は間違っているんだ!」と賛同したくもなる。しかし、後半に語られる「人間の性(さが)」というか動物としての人間の特性を論じた辺りから一気にトーンダウン。結論はそれはもう非常に物足りなく残念な本であった。

本書の最後は、「人間がなくしてはいけない3つ」が挙げられている。それは「からだ」、「師」、「自分」だそう。それを個人個人が守って大切にして、自分なりに資本主義から卒業しようというような結論だ。これでは、資本主義という大きな社会システムから目を背けて、自分なりの幸せを探そうぜというクソみたいな話ではないか。そして、そもそも資本主義事態がそういうシステムなんだから、最後まで読んで、「え?これは遠回しに“やっぱ資本主義っしょ”と言っているのと変わらないのでは?」と思ってしまった。

私は常々「社会全体を語る時と、人間個々の活動をいっしょくたに語るのは難しい」と思っている。個人の幸せと、社会の幸せが一致しないことがこの世にはままある。というか、人間はある程度の人数が集まり、社会になった瞬間に、社会という別の生き物を生み出す気がする。その生き物と人間個人の幸福は完璧にイコールになることはないのだ。この本は前半は資本主義全体の話、つまり社会システムの話をしている。その解明の仕方は痛快でわかりやすく面白い。だが、解決の段階では個人の問題にすり替えてしまって、結局社会システムに対する提案はしていない。その辺りに夢がないなぁと思ってしまう。

それにしても、こういう本で個人の生き方の結論として出る「自分を大切に」「身の回りを守る」といったものは、既にヤンキーが生活の中で実現していることである。ヤンキーは家族とか仲間を大切にして、資本主義社会の中での競争は程々に、バーベキューしたり釣りしたり、クラブで騒いだり、人生を謳歌している。それこそ資本主義や社会、政治などにも目もくれず。彼らこそが社会の勝者かもしれないと最近強く思う。

読書メモ― 弱いつながり 検索ワードを探す旅 東浩紀





ネットは階層を固定化する。頭のなかにあるものしか検索できない。

検索ワードを探す。→場所を変える               


インド空港の話。バックパッカーの情報しかネットに書かれていない。→ネットに全ての情報があるわけではない。
ネットに情報があっても検索キーワードが分からなければ情報にたどり着くことはない。





検索力が重要。
検索できる幅が人の能力。
新しい検索ワードはリアルな体験で得る。


チェルノブイリ博物館の主観的な展示。情報の開示だけでなく、感情に訴えてくる。

検索の欲望をいかに喚起させるか。


移動時間にこそ、旅の本質がある。仮想現実との違い。日常からの切断。拘束。

ツーリズムの語源は宗教の聖地巡礼。新しい情報に出会う必要はない。情報は複製できる。時間は複製できない。

モノと言葉。モノを残す。
憐れみと性。


最終的に終わりを決めるのは体力

エヴァ展の衝撃。ビジネスマンはもっと真剣にディテールまで考えなきゃいけない

先日、新潟市中央区万代に用事があったので、空き時間にエヴァンゲリオン展を見てきた。私は元々アニメ作品が好きなのと、エヴァもそれなりに好きで、せっかく新潟に来たのだからとずっと思っていた。
結論から言うと、エヴァ展は本当に感動した。展示と言ってもオタッキーな展示物や萌え萌えの演出があるわけでない。ただ単に、エヴァンゲリオンのアニメができるまでの製作過程を原画やら絵コンテやらで紹介しているというだけのものだ。


企画書から始まり、脚本や設定資料、原画、セル画。といったアニメ製作現場では当たり前かもしれないものが展示してある。しかし、出来上がったアニメーションしか見たことのない私にとってはどれも新鮮だった。
細かい設定からはじめ、アニメーションの作りこみの細かいこと細かいこと!ここまでしっかりと手間を掛けて、途方もないほどの作業の果てにアニメ作品はできているだと感慨深くなった。クリエーターとはここまでディテールにこだわり作りこんでいるのだと。
特に庵野秀明さんが書いたと言うエフェクト。爆発で起こる煙や、吹き飛ばされる町などの細かい書き込みにため息が出た。映像にしてしまえばほんの一瞬。いや、気付かない人の方が多いかもしれないほどディテールまで作りこんでいる。
ここまで作りこんで初めて、大ヒットを飛ばせる作品ができるのか。作りこんできてもヒットできない作品もある。なんて厳しく、孤独で、忍耐の必要な仕事なのだろうか。
一方で、振替って自分の仕事はどうか?ここまで詳細に設定をしているだろうか?
ライティングや地方メディア作りをしている私は、正直「地方の設定」をもっとよく考えないといけないと痛感した。その地域の歴史、人、風土全てをひっくるめてしっかりとストーリーをつくらなくてはいけない。それはメディアの役割だし、まちづくりの第一歩だとも思う。
私以外のビジネスパーソンもそうだ。企業が、町の商店が、農家が、職人が、何か情報発信するときに、エヴァほどストーリーの背景となる設定を決め手からやっているだろうか?そこまで物語をつくりこんでから、理解してから情報を発信しているだろうか?うすっぺらの言葉だけを投げかけてないだろうか?
私を含めもっとディテールをよく考えなくてはいけない。
エヴァでは、世界観、舞台、登場人物、メカ、使途などそれぞれにしっかりと意味を込めている。ディテールまでしっかりと設定している。ぼくらのまちづくりや情報発信はどうか?しっかりと歴史や文化のうえに立って地方の生活や魅力を語っているだろうか。そこまで情熱はあるだろうか。
感情マーケティングや共感マーケティング、ストーリーマーケティングと言う言葉が氾濫しているが、本質はどこにあるのか。エヴァという作品を作ったガイアックスほど、自分の伝えたいものを真剣に考えただろうか。
私は、ライターとして、編集者として、メディアメーカーとして。もっともとお細部を考え尽くし、設定をし、そうしてから文章を書いたり情報発信をしていかなくてはならない。

新潟という物語をどう表現していくかはエヴァのように設定にどこまで情熱を注ぐかにかかっている気がした。
唐澤頼充