私事

2015年のテーマ。「巻き込む」

2015年が始まって早くも1週間が経とうとしている。時の流れは年々早くなる一方で、気づいたらもう今年で30歳になる。三十路と言えば、昔はずいぶんと大人なんだろうと思っていたが、結局大人になれないままこの歳になってしまった。いや、そもそも「大人」という生き物自体が幻想で、人間はそう変わらずいつまでも自分勝手でわがままで自制心のない子どものような動物なのだろうと思う。

 

さて、新年を迎え色々と自分がしたいことを考えていたわけだが、なかなか思い浮かばなかった。そんな中、無理矢理にでも絞り出して考えてみた。「2014年を振り返る」でも書いたが、2012年6月に会社を辞めて以来、フリーで仕事をしてきていろいろと思うことがあった。一番は、そもそも僕はフリーランスになりたかったのではなく、どちらかと言うと、仲間と一緒に仕事をする「会社」を作りたかったし、いろんなメディアに書くよりはひとつのメディアを育てる仕事がしたかった。だから、今年は一人で頑張るよりも、もっともっと多くの人をどんどんと巻き込んで「協働」していきたいと思う。

 

2015年はいろんな人を「巻き込む」年にしたい。

 

母体となる活動は2013年12月に一人で立ち上げたウェブマガジン「にいがたレポ」。このサイトは地域に住む住民が自ら市民ライターとして新潟の魅力を発信するメディアで、希望者で50名以上の人が立ち上げからの1年でライターになりたいと手を挙げてくれた。2015年は市民ライターの人数も、投稿数も、もっと多くの人を巻き込み増やしていきたい。さらには、他団体も巻き込み情報発信を強化していきたいと思う。

 

にいがたレポをやっていて思うのは、地方や地域で「情報発信しています」という人の多くが「ニュース」「告知」ばかりを発信しているのではないかということ。「情報」と「読み物」は根本的に違う。「ニュース」と「読み物」と言ったほうがいいかもしれない。地方には「読み物としてのコンテンツ」が、とても少ない気がしているのだが、どうだろうか。

 

これは「行動型メディア」と「消費型メディア」とも言い換えられるかも知れない。「行動型メディア」とは、実際に消費者の行動を促す例えばホットペッパーのようなメディア。お店に来てもらったり、イベントに参加してくれたり、商品を買ってくれたりといった消費者の行動につながるのが目的の情報発信だ。チラシや広告、告知記事、クーポン雑誌などがこれにあたる。一方、「消費型メディア」はコンテンツそのものが消費される、言い換えれば暇つぶしの情報を扱うメディアだ。例えば映画はコンテンツそのものが消費されるので、映画館は消費メディアとなる。文芸雑誌もそうだ。LIFE-magのようなインタビュー雑誌もこれに当たる。

 

僕はこの不足していると感じる「読み物としてのコンテンツ」を配信する「消費型メディア」として「にいがたレポ」を、いろんな人を巻き込みながら育てていきたいと思っている。そして、「読み物としてのコンテンツ」を生産できる人材をどんどんと増やしていきたい。ゆくゆくは「新潟県のことなら、あそこに頼めばコンテンツ化してくれる」と思われるような編集プロダクションになればいいなぁと妄想している。

 

で、他人を巻き込むにあたって何が重要かと考えると、ひとつはマメな「コミュニケーション」。これは大変苦手分野。僕は人にお願いしたりやる気にさせたり、連携したりというのがあまり得意でないと自覚しているのだが、それも徐々に克服していきたいと思う。もう1つは、「お金」だ。お金はコミュニケーションをショートカットできるツールなので、これがあるとコミュ症でも人にお願いが簡単にできる。そして活動を継続していくためにもお金は大変重要だ。人に動いてもらう時間を確保する意味でも、お金というのは結構重要だと思う。僕はお金が欲しいほしいと思っているが、理由はもっといろんな人と一緒に活動したいからで、そのためにはやっぱりお金がいる。ちゃんとお金も回せるようになることが「巻き込む」立場としての責任のひとつだと僕は考えている。

ということで、この2つをバランスよく活用し「巻き込む力」を育てていきたいと思う。どうなるかは、わかりませんがね(笑)

 

2015年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2014年を振り返る

2014年は個人的に苦悩が多く、非常に大変な一年だった。

僕は2012年6月に5年間勤めた会社を辞めた。最初に取り組んだ事業では組んだ人と方針が合わず2ヶ月で僕が手を引き、大金を損するだけで収入のない2ヶ月となった。それからフラフラと個人で仕事を受けて何とか食いつないでいて、いつの間にか「ライター」を名乗るようになった。ライターを名乗るようになった理由は2013年のはじめ頃に仕事内容を見たら、執筆案件の割合が増えていて、それが自分も一番やりがいを感じる業務だと思ったからだ。そこからは、執筆案件を中心に仕事を受けてきた。

そんな僕が、2014年に力を入れて取り組んだのが「にいがたレポ」というウェブサイトの運営だ。僕はライターと名乗り執筆案件を請け負っていたものの、なかなか署名記事も少なく、自分のやりたい企画と依頼される企画の間にギャップもあった。それであれば自分が好きにできる媒体を持ちたいと思うようになった。インターネットやSNSという誰もが情報を発信できるツールが後押ししてくれ、僕は自分のメディアづくりに取り組んだ。

そもそも僕は「フリーランス」というものに、憧れはあったが、自分がそれで食べていこうという気があったわけではない。いろいろな失敗が重なり、就職先も確保できず、やむを得ず一人で仕事をしているだけである。本当はどちらかと言うと、仲間と一緒に仕事をする「会社」を作りたかったし、いろんなメディアに書くよりはひとつのメディアを育てる仕事がしたかった。

だから「にいがたレポ」は僕だけのメディアにはしないことを最初から決めていた。そして、2013年11月頃にようやく「市民ライターが新潟のまちを紹介する」というコンセプトを思いつき、実行に移すこととなった。時はSNS最盛期。多くの人がFacebookやtwitterで情報発信をしていた。きっと彼らに「もっと読まれる場」を提供することができれば、情報を発信したいという人(=市民ライター)が集まってくるに違いないと思っていた。事実2014年12月までの1年間で50人以上もの市民ライターが「やりたい」と手を上げてくれた。にいがたレポのコンセプトの目論見は間違っていなかったと思う。

一方で、僕は早く自分のメディアだけに集中したいと思い、2014年6月までに「にいがたレポ」のマネタイズを図ろうと思っていた。つまり、立ち上げたメディアを半年で収益化し、自分一人は食べていけるだけのお金を稼げればいいなと思っていたのだ。そのため、にいがたレポには広告費等を含め6月までに数十万円のお金を投資をした。それとは別に毎日記事を更新するのに取材費や労働力を確保した。文字通り身銭を切って、身体を張っていた。

結論から言うと、そんな短期間での収益化は無謀だった。そんなのは当たり前で、地方のローカルウェブメディアが即マネタイズできるわけがないのだ。僕は興奮状態になると周りが見えなくなり、根拠なく「いける!」と思ってしまうのだが、それが悪い方向に出た。2012年に会社を辞めて新しい事業を始めた時と似ている。しかし、2年間一人で仕事をしてきたものの何者にもなれていなかった僕は早く結果を出したいと焦りすぎていた。いち早く結果を出したいと思い、そのためメディア運営に集中しようと、それまで固定的に収入となっていた東京の仕事を断ったりしてしまったり、市場調査案件を受けなかったりと、個人の収入源を大幅に削ってしまっていた。

一方で、新規のメディアという意味では、にいがたレポは順調に読者を増やし、市民ライターも増やし、その存在感を増していった(ように思う)。初月は3,000程度だったPVは数万に届き、SNSフォロワーも4,000人を超えた。初めて会う方に「にいがたレポ読んでます!」と言われた時には涙が出そうになったが、そういう人も増えてきて本当にありがたかった。さらに、にいがたレポで地域情報を発信しているおかげで、ライティングの案件が思わぬところから入ってくるようにもなった。

しかし、サイト単体でのマネタイズはなかなか難しかった。というか僕自身、日々のサイト更新、ライターとのやりとり、取材。もちろんそれらはお金を産んでいないので、自分が食べていくために別のライティング案件もたくさんこなさないといけない。結局、営業に行く時間や気力を確保できなかった。僕には営業力というか新規開拓能力があまりなく苦手なのだが、気持ち面でも余裕がなくなって益々営業から遠ざかってしまっていた。それではマネタイズできるわけがない。結局、アドセンスの広告収入と、いくつかの取材記事の依頼といった所で、2014年中にサイトで上げられた売上は50万円にも満たなかった。

そんな訳で、生活に暗雲が立ち込める。なぜか年始に仕事の整理をし減らしてしまった僕は、夏頃から焦り始め、フリーライターとしての仕事を増やし始めた。にいがたレポという媒体を運営しているおかげで声をかけてもらえる仕事も多かった。そんな中で声をかけてもらったビック案件が、アーススターエンタテイメント社が出版している都道府県のあるあるネタを扱う「おきてシリーズ」の新潟版「新潟のおきて」の執筆だ。初めて本を作る仕事は、本当に多くの人に協力いただき完成することができた。貴重な経験だったし、本を出したというのはフリーランス生活の中でも一つ結果が出せたのではないかと思う。まぁ、ビック案件と言っても「本を出す」という行為が僕にとってビックなのであって、制作の労力と協力者への謝金支払いを考えると初版だけでは正直赤字。増刷がかからないとかなり厳しいのだが……これは来年増刷がかかることに期待しよう。

2014年9月頃から、生活のための仕事が増え「にいがたレポ」にかける時間が徐々に減ってきてしまった。にいがたレポをマネタイズしたいと思う一方で、即収入につながらない。そして、生活のかかっている僕一人が収益化を願っていて、他の市民ライターにとってはマネタイズなどどうでもいい話でもある。更新頻度だって「毎日」である必要性があるのか?マネタイズやPVアップ以外に、僕もあまり理由を説明できず「書いてくれ書いてくれ」とお願いするばかり。何だか市民ライターに悪い気がしてしまい、もともとコミュニケーションは得意でない僕は、市民ライターさんとのコミュニケーションがうまく取れなくなってしまった。それは、今も同じで、どうやって協力をお願いしようかとか、どうやって意見を言ってもらおうかとか、すごく迷っている。人付き合いがヘタで、マメでなく気まぐれで、ケアが下手な僕は市民ライターさんに負担ばかりかけて何も返せていないと、現在進行形でどこか気落ちしている。

ともかく、2014年11月には本を出して、そしてフリーライターの仕事も割りと入ってくるようになっていた。同時に、にいがたレポに割ける時間は減ってしまった。「自分のメディアを収益化させる」という点から言うと、完全に失敗した年になった。始めにも書いたが、僕はフリーライターとしていろんなメディアに露出するよりは、一つのメディアを育てることに興味があった。一人でやるよりも組織化して皆で何かをしたいと思っていた。そういう希望は今年、ついに叶えられなかった。皆でやるという実感もなかなか持てず、自分一人で右往左往していたようにも思う。

ただ、個人的に「にいがたレポ」のコンセプトは好きで、とても可能性を感じている。マネタイズは焦りすぎただけで、じっくりと育てていく方法もあるのではないかと思うようになった。そうなると、「にいがたレポ」は個人活動としてやりつつ、別に生活費を稼がなくてはいけない。と言ってもそれは今までとは変わらないわけだが……。それでも個人の中で「にいがたレポ(=自分のメディア)を長く続けて育てていくために、食い扶持を別に確保する必要がある」と気持ちを整理できたのはよかった。

そんなことに気づいたらもう2014年が終わろうとしていた。個人事業主生活も2年半になった。自分の能力や限界が見えたいい期間だった。2015年には僕も30歳になる。禁煙も達成した。たくさんの人と出会った。きっと2015年が僕の人生の新章がスタートする年になると思う。

 

2014年視聴アニメ一覧。今年はあまりみなかった。

今年見たアニメ一覧。

  • アルドノア・ゼロ
  • 寄生獣セイの格率
  • 残響のテロル
  • シドニアの騎士
  • ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース
  • 世界征服〜謀略のズヴィズダー〜
  • 東京喰種トーキョーグール
  • のうりん
  • 信長協奏曲
  • ピンポン THE ANIMATION
  • Fate/stay night Unlimited Blade Works
  • 鬼灯の冷徹

 

ピンポンと寄生獣はアニメ化してよかった!!すごくよかった!!!

アルドノア・ゼロはただのバットエンドルートだったけど、結構好きだった。でもアルドノア・ゼロってタイトルが覚えられないから人に伝えられなかった。残念。

シドニアの騎士は熱かった!特に宇宙船の急な方向転換のせいで、Gが変な方向にかかり、人が壁に打ち付けられてぺちゃぺちゃって潰れていく描写が素晴らしかった。一人でうおー!と叫んでしまった。

トーキョーグールと信長協奏曲はアニメ見てから原作のマンガ読んで好きになった。ありがとう。

 

来年は「ジ・オリジン」!!!それだけが楽しみです。

情報の流通量が地域の豊かさにつながる

(2014年1月14日の記事を修正し再掲:元記事

レポアイコン

 

まちの豊かさとは、情報流通量の多さであるとも言える。京都が、歴史があり、今も人気がある都市である理由のひとつは、どんな時代でも京都に関する情報の流通量が多かったからではないだろうか?

例えばAKB48のことを私はよく知らない。しかし、ニュースやネットコミュニティなどで話題になっている=情報量が多くなっていると盛り上がっているのだと思ってしまう。

もちろん、これらには元々あるコンテンツが持つ魅力が不可欠だと思う。しかし、情報の流通量が多いがゆえ、注目が集まり、コンテンツが育てられてきたとも言える。

このことから「新潟が豊かなまちになるためには?」の問いに対して、ひとつの回答として、「情報の流通量を増やす」ことが挙げられる。もちろん、中央メディアで話題になるに越したことはない。しかし、新潟県内だけでも地元情報の流通量が多ければ、新潟のまちはにぎやかになると思う。自分の住む地域の情報量が多い、それだけでそこに住む人の心の豊かさにつながるのではないだろうか。

かつては、情報発信者には一部の人しかなれなかった。しかし、今はインターネットという無限の空間に、誰もが情報を発信することができる。しかもほぼ無料で。

だからもっとインターネットに新潟人がたくさん情報を流すべきだと、私は考えている。ソーシャルメディアでも良いが、できれば蓄積するようなブログ、ホームページなどが良い。メディア側の人間だけでなく、市民がもっともっと自分のまちのいいところや面白いところ、楽しみ方を発信していくことで、まちの豊かさにつながると思う。

しかし、世界中に情報を届けられるインターネットは、誰にも見てもらえない可能性がある。誰にも見てもらえなければ情報は存在しないも同然だ。

また、読者が少ないということは、情報を発信し続ける上でのモチベーションに大きく影響する。誰にも見られていないのに、情報を発信し続けるのは苦行以外の何者でもない。

とは言え、一般の人がネットで注目を集めるのには技術がそれなりにいるし、サイトを育てていくのにも手間がかかる。だから、ふつうの市民が、多くの人に情報を届けられるプラットフォームが必要だと考えた。

「ネットに新潟の情報を増やし、蓄積する」「ふつうの人が発信力を持てるプラットフォームを作る」この2つを考え、「にいがたレポ」(http://niigata-repo.com/)と言うサイトをはじめた。

 

レポロゴ-01

 

初めて本を書いた

あっという間に10月が終わろうとしている。2014年になって、もう10ヶ月も過ぎてしまったと思うと時間のあまりの早さにため息をつきたくもなる。

10月を振り返って。10月前半は初めての本を書いていた。
ほとんどそればかりで、随分苦労していた。多くの人に協力してもらい何とか締め切りに間に合わせることができたが、こんなに苦労するものだとは思ってもいなかった。

とは言え、書いたのは5万字に満たないし、僕のやっている地域ウェブマガジン「にいがたレポ」http://niigata-repo.com/で言ったら50記事くらいだし、そんなにヒーヒー言うほどのものでもない。何がそんなに大変だったんだろうかと思うが、とにかくそればかりをやっていた気がするし、常に追い詰められていた。

この経験からわかったことが2つあって、ひとつは僕の致命的な筆の遅さ。もうひとつは「本」という媒体の怖さだった。

一つ目は何なのだろう。「ライター」を名乗りながら5万字がさらっと書けない力不足。これは慣れや訓練でどうにかなるものなのだろうが、我ながら唖然とした。実際に書く時間というのはそんなに取っていないのだが、脳みそのバッファの大半を本づくりが占めてしまって、日常生活までボロボロだった。でも自分の現状がよく分かる貴重な経験だったと思いたい。

ふたつめは、「本」というか紙媒体の怖さ。もちろんこれまでに紙媒体のしごとには関わってきたが、200ページ弱の本づくりが、まるごと自分の手に委ねられる経験というのは初めてだった。本には当然ながら「始まり」と「終わり」があり、「誌面量」も決まっている。僕はインターネットで書きごとをスタートさせたから、この始まりと終わり、ページ制限に馴染みがない。インターネットは垂れ流しメディアだし、情報の追加がいくらでもできる。「あそこを載せたから、こっちは載せられない」なんてことは基本発生しないのだ。しかし、本は違う。ここをカットしたら、もう二度とこの項目は、このエピソードは追加することができないという制約がある。これはものすごく怖いと思った。もう、本を作っている段階から、これを削ったから叩かれるかな?と発売後のバッシングが怖かった。発売は11月25日の予定だが今から胃が痛くて仕方がない。

始まりと終わりを決めるということは、時間を止めるということだ。そして、創作を止めるということでもある。それは、完成させるということだ。

インターネットというのはどこか完成のないメディアのように思う。僕のブログにしろウェブマガジンにしろ、後からいくらでも追加変更や削除できるウェブは、完成がない。紙媒体は完成してしまえば、消せないし、残り続ける。それは怖いことだなぁと改めて思った。

大体、今回は新潟県の「あるある本」という面白本の一種だが、これは僕の「思想」や「ノウハウ」など個人の考えを書くテーマではない。客観的事実を面白おかしく紹介するというものだ。しかし、ご当地あるあるとなると、一見軽そうだが、多くの人の地元への愛憎の念が渦巻く非常に難しいテーマなのだ。これがあるあるだ!と言うのは結構責任とストレスを負ったし、プレッシャーが筆の進むスピードを大きく遅らせたとも言える。
まぁ、そんなに気負うことはないのだろうし、バッシングを受けたら「じゃあ貴方が書きなさいよ!」と言ってやればいいや。とようやく開き直ってきたことろで10月が終わる。


最近、中越地域との縁が濃くなってきた。中越の山の中では滅びゆきそうな限界集落に多くの若者が入ってきている。写真は旧小国町(現長岡市)で小国和紙の紙漉きをする若者の姿だ。小国和紙は今はもう誰も住んでいない山野田集落で盛んだった伝統産業だ。集落が滅んでも、誰かが技や記録を残しつづけていれば、集落は生き続けるのかもしれない。限界集落の「終わらせ方」や「記憶の残し方」に興味がある今日この頃だ。

週末は昨年の出生率がゼロだった旧山古志村(現長岡市)に牛の角突きを見に行ってくる。闘牛を追う勢子として若い人たちがたくさん入ってきたようだ。どんな気持ちで飛び込んできているのか、話を聞くのが楽しみだ。

2014年10月31日

2014.8.22-8.25熊本旅行メモ

822日、新潟空港からFDA(フジドリームエアラインズ)で福岡空港へ。飛行機に乗るのは4年ぶり4回目。
4列シートの飛行機に乗ったのは始めてかもしれない。思った以上に飛行機は怖かった。離陸と着陸時は手汗がひどい。
高速バスで福岡から熊本市へ。路面電車の発達と、繁華街から見える熊本城に驚いた。城の見える街は強い。松下修さんに、花立ファミリーハウス(http://maison821.wix.com/hanatate-family)、有機生活(http://yuukiseikatsu.com/)、エココミューン山ノ神を案内してもらう。松下さんの幅広い活動に感服。しっかりと調べたい。
夜は一人で熊本の街へ。紅蘭亭で熊本市のローカルメニュー「太平燕(タイピーエン)」を食べた。どんな料理かと思っていたら、春雨ヌードルのようだった。これでは腹にたまる気がしない。セットメニューにしておいて良かった。



熊本市の下通り、上通りと呼ばれる中心市街地を歩いた。夜なのにものすごい人出だ。



そして、子連れの人も多い。自由奔放なのは暖かい気候の地域の人柄だろうか?新潟との差はすごい。風俗街、特にソープ街の華やかさも特徴的だと思った。性のエネルギーが街に与える活気は無視できないと思う。

823日、熊本城へ。感じるのは強さ。「この城は落とせねぇ」と思った。名物観光地が街中にあるのも、熊本の強みだと思う。新潟には絶対にない環境。すごい。



宮本武蔵が晩年に五輪の書を書いたという場所「霊巌洞」に行ってきた。金峰山の麓、雲巌禅寺の裏山にある洞窟で、洞窟までの道中にあった五百羅漢像もすごかった。宮本武蔵が晩年5年を過ごした熊本。ここで執筆活動をしていたと思うと、感慨深いものがあった。この空気を感じることができてよかった。



水俣市へ向かい、久木野の愛林館へ。館長・沢畑亨さんの話を聞く。棚田の景色、素晴らしかった。


824日、水俣病資料館へ。熱量の高い展示に感動。目頭が熱くなる。川本輝夫氏を初めて知った。宝子さんのストーリーも。とにかくこの資料館は客観的な事実を並べたような展示ではなく、行動への明確な意志を秘めた恣意的な展示のように感じ、それが何よりも良かった。新潟の水俣病資料館ももう一度行ってみようと思う。
昼に入った水俣ちゃんぽんの店で、日本文理の準決勝戦7回裏が流れていた。熊本まで来て新潟の高校の試合を見られるとは。感謝。
そのまま上天草市へ向かう。天気は悪かったが天草の景色は最高だった。この島々はかつては本土からの橋がなく、舟で行き来するしか無かったそうだ。道路が出来て生活が変わったと現地のおばあさんが言っていた。交通がまちの姿や生活スタイルをも帰る。考えさせられるドライブだった。


825日、熊本市へ戻り、細川忠興の墓を見て、早々にバスで福岡へ。飛行機で新潟に戻る。
非常に頭を使った考えさせられるいい4日間になった。




禁煙始めました

最近タバコの吸い過ぎで常に体調が悪く、ぐったりしていた。
タバコを減らせばすっきりすることは分かっているのだが、ぐったりから抜け出したいがためにさらに頻繁にタバコを吸うという悪のスパイラルが止まらず、いよいよ禁煙を決意した。

とても自分の意志では止められないと思い、迷わず「禁煙外来」へ。
私「たばこ、止めたいんですけど」
医者「お薬出しときますね~」
くらいの軽いやりとりでチャンピックスという薬を手に入れた。2014年7月11日のことだ。
そこから私のウキウキ禁煙生活が始まった。
チャンピックスという薬は簡単に言うと「タバコを吸っても美味しいと感じなくする薬」だ。服用から最初の1週間は準備期間として好きに吸ってもいい。2週間目から完全に禁煙を始めなさい、という。
1日40本近く吸っていた私が、一週間で止められるのか・・・と半信半疑にチャンピックスの服用を始めた。
しかし、私の不安をよそに、最初の1週間で確かにタバコの本数がみるみる減っていく。
タバコがまずいのだ。とにかく吸うと気持ち悪くなる。
1週間で完全に禁煙とはならなかったけれど、チャンピックス服用10日目くらからは完全にタバコを断つことができた。
ひとまず吸わないでいられることは出来た。後はタバコを吸わない日々が普通になるようにすれば禁煙達成となりそう。今も日々、口が寂しいし、イライラもする時もある。しかし、吸わないで平気というのはヘビースモーカーだった自分には信じられなかった。チャンピックス恐るべしである!
ただ、本当に副作用が辛い。。。この副作用の辛さで、チャンピックスでの治療を諦める人が多々いるらしい。吐き気、便秘、頭痛。もう体調不良のオンパレードだ。
この副作用に耐え、チャンピックスを服用せずともタバコを吸わないでも平気な日々が訪れるまで苦しい戦いはまだまだ続く。

にいがたレポを3ヶ月運用してみて

以前からブログでも記事にしているが、私は「にいがたレポ」という新潟県全域対象のローカルウェブマガジンを運営している。


始めたのは昨年12月中旬。ウェブ構築の知識がまったくないため、デザインやサイト表示スピードなど非常に不満が多いのだがとりあえずやってみようとスタートしてみた。果たして、ネット通販の利用が全国最低の新潟県でウェブメディアは成立するのか?一緒の実験のようなものだと考えていた。
それから3ヶ月経ち思った以上に反響があったという感想。ページビューも順調に伸び、SNSのフォロワーも増えてきた。にいがたレポは、「市民ライター」が参加してまちをレポートするというスタイルでやっている。地域の生活者自らがまちの魅力を発信するのが一番説得力があるというコンセプトでライター募集を始めた。その市民ライターとして参加したいという声もいろいろなところから頂くようになっている。


雑誌にできないこと、大きなメディアにできないこと、インターネットにしかできないことをいろいろと考えながら仕掛けをしているわけだが、スタート時はもちろんまったくアクセスがなかった。

ゼロからウェブメディアをやるにあたって、非常に助けになったのはやはりSNS。記事数も少なく、検索流入がなかなか増えない中でも、SNSで既存につながりのある人たちが面白い記事を書けば見に来てくれる。この基盤がなかったら早々に心が折れていただろう。また市民ライター制度もこのSNSと相性が良かった。私のフォロワーだけでなく、市民ライターが自分の書いた記事をそれぞれのフォロワーに紹介してくれる。おかげで、私のつながっていないユーザーにも認知してもらえる結果となった。
ページビューに関しては2ヶ月目で月間1PVを達成。2月中旬ころからは検索流入も増えて、3月は2PV行くかもしれないと言う規模になってきている。しばらくは右肩上がりで推移することを期待したい。
これまでに苦労したことはやはり記事作り。最初の頃はほとんど一人で毎日更新していたし、お金もあまりないので取材費も全然かけられない。お金をかけられないのは今も一緒なんだけど、当時は果たして需要があるのかどうかわからない状況のせいで思い切った行動がなかなかとれなかったのだ。ネタ集めにいけない、書くの大変で孤独だったが、ライターとして参加してくれる人が増えてきて「方向性は間違っていないかな」と思うことができたのが大きかった。やはり孤独は敵。仲間がいると何倍も力が出る。ライターさんは20名近くが集まってくれて、それぞれ味のある記事を書いてくれていて本当にありがたい。
開始から3ヶ月が経過。このまま地道に記事を更新し続け、市民ライターを増やし、フォロワーがもっと増えてくれば、新潟県内でもかなり影響力のある媒体になるのではないかと手ごたえを感じている。
早急の課題はサイトの表示速度。マジで遅い。ロリポップを嫌いになった。
そもそも安いサーバーと思ってロリポップにしたのだが、後から調べると表示速度の不満が各所で見つかった。即サーバーを引越し!と言いたいのだが、サーバー移行のやり方がぜんぜんわかっていないので、誰かに教えてもらうしかない。「誰か助けてください!」
次にデザイン。とりあえず有料のwordpressテーマを買って入れただけの現状から、ちゃんとメディアとして見られるようなかっこいいデザインにしたい。しかし、私にはデザインも、プログラミングの知識もないので自分ではどうすることもできない。私は書くことしかできないのだ。「誰か助けてください!」
そしてマネタイズ。現実的には広告になるのだろうけど、しっかりとメディアとして独り立ちし、ライターさんに謝金を支払えるくらいには早くしたい。企業にとってもきっといいプロモーションになるはず。「パートナーになってください!」
最近、ようやくメディアとしての基盤が固まり、方向性も見えてきたと感じている。これからもっと新潟のまちを面白くするべく本腰を入れていこうと思う。このプロジェクトはいろんな人と協同して盛り上げて行きたいと思っているので、コラボしたいと言う方や企業さん大歓迎!お気軽にご連絡いただければありがたい。
唐澤 頼充