インターネット、特にソーシャルメディアの普及により集合知の拡大は留まることを知りません。
これまで、経営資源に数えられた「情報」は誰もが簡単に手に入れられる時代になりました。
これまでの「頭がいい」=「知識がある」=「情報を多く持っている」という図式は大きく変わりつつあります。
このような社会変化の中で、求められる能力はより実践的なものに変わりつつあると感じます。
■社会は小さくなった
ソーシャルメディアの普及によるインパクトは社会の在り方自体を変えつつあります。
具体的には、情報空間の爆発的拡大とアクセスの容易さです。
情報空間では、距離、時間、年代、性別の全てがフラット化しています。
誰もが集合知にいつでも、どこでも、容易にアクセスできることで、一つの村社会が形成されています。
これまで時間や距離といった物理的なもので区切られていた複数の小社会が、同一空間上で一つの社会に統合されてきています。
典型的なのは人との会話で、今では北海道と沖縄の人が会話するのに、コストやタイムラグといった大きな障害がなくなっています。
社会そのものが小さくなっているという感覚は皆さん感じられているのではないでしょうか?
■フラット化した社会では優劣判断が困難
物理的要因によって小さく区切られた社会が、情報空間上で一つの社会としてまとめられたことで、「優れている人」を見分けることが困難になっています。
例えば、昔の学校ではクラスで1番成績の良い子供は尊敬を集め、「優れている」と評価されていたと思います。それが、学校で一番、地域で一番、県で一番・・・・といったように物理的要因によって区切られた社会毎に評価が下されていました。
これらの評価が情報空間上の一つの社会では、極端な話いきなり全ての人間が全国もしくは、世界でどうか?という判断をされるのです。
私の学生時代も全国統一模試みたいなものはあり、全国で〇位といった評価をされていました。しかし、その社会が広すぎて正直全く実感が湧かなかったものです。
しかし、現在は情報空間上の社会がより顕在化したことで、たとえ小学生でもその気になれば一つの社会の評価にリアリティを感じてしまうような状況にあります。
ビジネスにしてみてもそうです。あの会社にすごいやつがいるらしい、それに比べて・・・という「噂」でしか物理的空間でシェアできなかった情報が、今やダイレクトに伝わります。
このような社会では、この人物は優れているのか?という判断が、比較対象が膨大であることで評価しづらくなってきているのが現状です。
■同年代という競争の枠も取り払われた
情報空間上に形成された社会では、年齢と言う競争の枠組みも取り払われました。
典型的な例は、今年話題を集めた「京大カンニング事件」です。受験中にyahooの掲示板に受験問題の解答を求めたという事件でした。
賛否両論ある事件でしたが、この事件で私が注目したのが<大学受験と言うある一定の年齢層しか関わりのなかった競争場所に全く別の世代が参入した>という点です。
典型的な世代保護は若い世代は学年と言う枠で守られていました。特に学生時代とはこれまで、学生のみで形成する特殊な社会の中に生きていたのです。
これらの世代保護が破られたことを如実に表したのが「京大カンニング事件」だったと考えています。
情報空間で形成された社会では、年齢も、性別も関係なくフラットです。
同世代の中で優れているという評価基準も取り払われつつあるのが現状ではないでしょうか?
■誰もが知識を得られる時代での競争力①
このようなフラット化された社会の中で「優れた人物」とはどんな人物なのでしょうか?
情報は今後ますます共有化されていくとかんがえられるので、知識量で優劣は付けられません。
これまで学歴が評価された背景には、「学歴」=「知識をつける努力をした証拠」であったと思います。
つまり知識を得る能力に優れた人物が評価されている、つまり新しい知識をどんどん身につけてくれる人が求められている時代でした。
この時代は、情報空間の爆発的拡大で終わろうとしています。
知識は身につけるものではなく、情報空間に存在しそこにアクセスすれば誰もが得られるものだからです。
では、情報空間にアクセスして知識を引き出す能力が求められるのか?
短期的に見ればYES、長期的に見れば誰でもできることになってくるでしょう。
このような社会変化の中で、採用活動をしている企業が求めている能力でよく聞かれるのが「コミュニケーション能力」です。
■コミュニケーション能力は競争力になり得るか?
近年しきりに企業が求めているのが、「コミュニケーション能力」が高い人材ですが、そもそもコミュニケーション能力が競争力になり得るのでしょうか?
コミュニケーションとは他者との関係性を築く能力だと解釈していますが、それが高いだけでは競争力にはならないでしょう。
コミュニケーション能力は基礎能力であり、それを活用しネットワークを構築していける力こそが真に求められている能力だと私は考えます。
情報空間内では物理的制約はありません。
年齢、性別、地域も全てフラットです。
そのような中では、誰もが出会ったこともない他地域との名前もわからない誰かと簡単に関係性を築くことができます。
つまり、誰もが誰もとつながることができるのです。
これからの人材に求められる能力、競争力となり得る能力は、情報空間というフラットな空間の中で、新しい人間関係のネットワークを次々と生み出していく力だと私は考えます。
コミュニケーション能力はそのベースにしか過ぎません。
ですので、就活中の学生が既存の学生社会の中で発揮したコミュニケーション能力などアピールポイントにならないのではないでしょうか。
■コミュニケーション×実行
情報シェアの時代のコミュニケーション能力とは、世代、地域を超えてネットワークを構築していく力であって、既存の人間関係の中を円滑にするコミュニケーション能力とは根本的に異なります。
さらに言えば、ネットワークもただ情報交換するだけの関係では価値がありません。そんなものは、既存の人間関係で充分なのです。
ここで求められるのは、何か事を成すためのネットワークです。
事を成すには知識も必要ですが、なにより求められるのは「実行力」です。
知識を提供するだけで価値が生み出せる時代はまもなく終わるでしょう。
つまり、頭でっかちと言われる人の評価は急激に下がっていくのではないでしょうか?
その中で求められる人材は、知識や経験を元に、実際に行動する人材だと考えます。
お勉強の質もこれまでの詰め込み型から、変わってくるでしょう。
誰かと協同し、あららしい価値を生み出していくことができる人材、
<コミュニケーション×実行力>
これが情報シェア時代に求められる最も重要な能力だと思います。
からさわ