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シェアタウンという可能性は新潟でも実現できるかもしれない

三浦展・著の「第四の消費」をパラパラと見ていたら「シェアタウン」というアイデアを見つけ、これは新潟で実現できるのではないかと思ってしまった。

シェアタウンというのは簡単に言うと

まちを開く。使っていない部屋や庭などを不特定多数の人にシェアすること。

のようなイメージ。シェアハウスが特定の空間を、特定のメンバーでシェアするのに対し、シェアタウンはまちにあるさまざまな個人所有の空間を、不特定多数のメンバーとシェアするというものだと理解した。
カーシェアリングが都会で普及しつつあるなど、シェア経済は確実にその範囲を広げている。その中で、まちに住む個人が所有する資産を広くシェアするという方法は何らかの形で実践されて良いと思う。
家をまるごと使わせてくれというのは難しいかもしれないが、家のキッチン貸しますとか、たまに誰かソファで寝ていいよ!使ってない倉庫をイベント会場として使って良いよ!などという人は存在すると思う。
そんな大きなものでなくてもシェアできるものはたくさんあるともう。例えば私は買ったきり使わないエレキギターを持っているのだけど、これは誰かに貸しても良いと思っている。このように人に貸せるもの、リスト化して共有する。ビデオカメラを持っているけれど年に数回しか使わなかったり何だかんだで所有したが使わない期間が長いというものを、誰だれもがひとつくらい持っているのではないだろうか。
もちろん、家のリビングや畑を貸せると言う人もいていい。
それを所有している人と借りたい人をマッチングする場を作れないだろうか?
わざわざ貸し借りできる人を探すのが面倒くさいという意見もあると思う。それはまったくその通りで、そもそもお金で買うと言うのはコミュニケーションコストがゼロで交換ができる仕組みだからだ。
逆に言えばコミュニケーションコストがさえかければあらゆることが無料でできるはず。
おそらく、まちでお腹へったとまちで見知らぬ人でも20人くらいにまちで声をかければ誰か奢ってくれる。これで夕食代はゼロだ。
極端なことを言えば、日本中の人ひとりひとりに、「お願いですから1円ください」と土下座して回る。そうすれば1億円以上を集めることができる。これを誰もしないのはコストがかかりすぎるからだ。
一方、インターネットやソーシャルメディアが一体何を変えたのか?それは、コミュニケーションコストを大幅に下げたという点に尽きる。誰かにメッセージを送るのにかつては手紙や電話で対一人に対してのみ、しかもコストをかけて行なっていた。しかし、メールはほぼタダでできるようになり、ソーシャルメディアで1対多のコミュニケーションも取れるようになった。
だからこそ、お金を通さないやりとりが間違いなくもっともっと生まれても良いはずだと思う。
これらコミュニケーションを通じたシェア経済を拡げていくために欠かせないものが、シェアを支えるコミュニティだと思う。シェアの思想に同意し、許容するグループを形成できれば、その中でもっと活発にシェアが進むはずだ。
これまでシェア経済がなかったかといえばそんなことはない。ママ同士がおさがりを回しあうコミュニティや、若者が仲間内で何かを貸し借りするといったコミュニティは存在してきた。
それをインターネットを使ってある程度大きなコミュニティで実現できるかどうかを試すというのは非常に面白い試みだと思う。そのためにはある程度基盤になるリアルのつながりを活用する必要がある。私が思うのはやはり特定地域内で、という制限だ。
「新潟という特定地域の中で、異様にシェア経済が発達している」という未来を想像するとものすごく興奮してくる。
シェア経済は助け合いのネットワークでもある。
新潟は自殺が日本でトップクラスに多い県だ。
そんな新潟から、助け合いのネットワークが実現・発達する。
「新潟に行けば何とか生きられる!」そんなイメージを持ってもらえるくらいのネットワークを作る。
これってすごく魅力的ではないだろうか?
私の好きな新潟のストーリーに、日本初の西洋料理店を開いたピリトロ・ミリオーレの話がある。開港の港として知られる新潟だか、彼が開業した明治7年に、新潟には10人少しの外国人しか居なかった。そんな状況なのによそ者の外国人に「お前店やれよ!」と任せる新潟の人はかなりぶっ飛んでる。
だって、10数人しか外国人がいないなら、外国人を見たことのない人の方が圧倒的に多いはずだ。ペリー提督を天狗に例えて恐れおののいたほどの日本人だ。そんな未知の人種に店をやらせる?その店に客が来ると思う?普通は思わない。
しかし、お店は大繁盛したようだ。新潟のまちの人も相当ぶっ飛んでいるんだと思った。
懐の深さなのか、適当なのかわからないけれど、そんなぶっ飛んだ新潟の価値観はきっと今でも生きていると思う。
自殺上位県から救いあいのネットワークが生まれ、全国から逃げ込んでくる先になる。そんな夢を見たい。
ひとつのコミュニティの基盤として、友人である坂爪圭吾氏が取り組んでいる「necoプロジェクト」のつながりを活用できないか提案するつもりだ。
「necoプロジェクト」のnecoは「new communication」の略。

このバッジをつけていると、それは「いつでも気軽に話しかけてOK!」というサインになります。「街全体を社交場に」をコンセプトに、大量に配布をすることでカフェや街中でnecoと出会う可能性を高めていき、今までではあり得なかった新しいコミュニケーションが生まれていく事を目指します。(引用:neco公式facebookページより)

このneco。新潟の若者の中でにわかに広がりつつある。
シェアに違和感のない層を抱えるこのnecoのつながりを基盤に、少しずつ新潟のまちを開いていく。少しずつ「シェアタウン」に近づけていく。
そんなことが直感的に実現できそうな気がしている今日この頃である。
思いついたがままに書きなぐってしまったが、最後に僕の好きな言葉を紹介する。
「世界を変えられないなら世界を増やせ!」
世界を変えようとすると、戦いになる。ウクライナを見ていると悲しくなる。勝ち取る世界には必ず血が流れたり敗者が生まれる。そうではなく、自分たちが生きられる世界を自分たちの手で作りたい。
唐澤頼充

看板を掲げることの大切さ

先日、新潟で有名な某有名ダンスカンパニーの広報の方から突然メールが届いた。「公開リハーサルと囲み取材をします。ぜひ取材してください」とのこと。

これまでまったく接点のなかった方から本当に驚いた。と同時に「ああ、見てくれていた人がいるんだな」と少しだけ報われた気がした。
フリーになってからもうまもなく丸2年が経とうとしている。
これまでは「何をやっている人ですか?」と聞かれると「う、うーん。いろいろ」とズバリ応えられなかった。マーケティング会社出身ということもあり、コンサル、リサーチ、企画を始め、広告・ウェブサイトのディレクション、ライティングなどたくさんのことをやってきた。だからこそ「何でもできます」とついつい言ってしまいがちになる。しかし、何でもできますは何にもできませんとほぼ同義。誰の記憶にも残らない。
フリーになりたての頃は、「自分が看板だ!」などと、某ウサギキャラと同じあだ名の女史と同じようなことを言っていた。けれど、会社という看板の重さと、個人という力の小ささを実感した。まずは気に留めてもらわないことには何も始まらないのだとわかった。
私はそんな状況からようやく脱しつつある。
看板をつくったおかげか、「会いましょう」とこれまで会った事のない方からも声をかけられるようになった。肩書きではない。看板だ。
肩書き「ライター」や「リサーチャー」から、「にいがたレポ」を運営している人。そう言えるようになったことも、そう認識してもらえるようになったことも大変ありがたい。
説明をしておくと、にいがたレポとは私が運営する新潟のローカルウェブマガジンである。新潟の情報を「レポートする」というスタイルで、多くの市民ライターに参加してもらい記事を作成している。2ヶ月半の運営で、ようやく一日500アクセスくらいはコンスタントに集まるようなサイトになった。
にいがたレポ:http://niigata-repo.com/
2/23開催のライターズミーティング。多くの市民ライターが参加してくれた。
自分のプロダクトというのは自分の分身のようなもので、私個人が目に留まるよりも多くの人に目に留まる自分の拡声器のようなものである。
月並みな言葉ではあるが何かプロダクトを作るコストも、発表するコストもインターネットの普及で格段に下がっている。何かを始めたいという方は、自分を表すプロダクトを早めに作るのが吉だ。実績を公開するよりも圧倒的に説得力が増す。
そんなことにようやく気付いた。
自分の言葉以上に、自分の看板となるプロダクトは広く伝わる。会社という看板のないフリーランスこそ、請負ばかりに走るのではなく自身の看板プロダクトを早々に掲げることをお勧めする。
唐澤頼充

結局フリーランスですと言ったっていずれ会社化するんじゃないの?

先日、クラウドソーシング事業を営むランサーズ株式会社が主催する「47都道府県おじゃまします!フリーランス交流会 in 新潟」というイベントにパネラーとして登壇した。

私は2012年秋口頃からランサーズをライターとして利用させてもらい、ある程度まとまった仕事をさせていただいた。その結果、今ではライティング分野では認定ランサー(ランサーズの審査通過した最高ランク)にしていただいている。おそらく新潟ではそういうユーザーは珍しく、そのご縁で今回パネラーとしてお声がけ頂いたのだと思う。
登壇し、フリーランスに関するさまざまな質問に回答していく中で、結局フリーランスの人が「最終的に目指すのは、組織化だよな」と思ってしまった。時間や場所に縛られずに自由に働けるのがフリーランスのひとつの特徴であり、魅力であるとは言え、結局将来的にはそれを手放していく方向が一番安定すると気付く。そんなストーリーがフリーランスにはあるように感じている。
私自身、会社員と現在のフリーランスの両方を経験しているわけだが、フリーランスの方が圧倒的にデメリットが多いように感じている。メリットと言えば「ボスは自分」ということだけだろうか。
フリーランスの定義は、「組織に所属しない請負業」だ。請負業である以上、業務を回している間しか金が入ってこない。もちろん、営業、制作、総務、その他をバランスよくまわしていける人なら問題ないのだろうが、果たして何歳までそれが続けられるのだろうか?
確かに体が動く若いうちは、スキルのある人間であれば、フリーになったほうがそのときの収入は多くなると思う。しかし、年を取るにつれて体は動かなくなり、家庭や子育てによって時間確保も限定的になる。さらに言えば、企業の発注担当が若い人間に代わった場合、外注先に年上の人間と、若くて機動力があり何でも言うことを聞く人間のどちらに発注しやすいだろうか?
もちろん、年を取ってきてそうならないように、フリーランスはリスク分散を図る必要がある。
ひとつは、専門分野の絶対的存在になり、ブランド価格で仕事を得ること。仕事の単価が高ければ仕事の量が減っても対応は可能だ。しかし、価値があるということは、希少であるということ。つまり自分をブランド化できる人間は本当に一握りしか居ないということだ。
もう一つは、効率化すること。もちろん業務スピードを上げる、リピートを増やし営業効率を良くするなどで効率化ができる。しかし、最大の効率化は「分業」。つまり、人を増やしてそれぞれの業務を分業していくということになる。結局多くのフリーランスが自分で食べていくためには、こちらの手段を選ばざるをえないように思う。
仮に会社化し、その社長になったとして、そうなればかつてフリーランスとしてあった「時間や場所に縛られずに自由に働ける」環境を手放すことになる。まるで若い頃に一人でやっていた時間はモラトリアムだったかのようだ。
このように考えていくと結局、フリーで組織に属さず自由に働くということ自体、幻想ではないかとも思う。目指すべき方向は組織化なのだから。いやいや有名になって自分のブランドを作れば・・・という方もいるかもしれない。しかし、糸井重里さんのよう有名になっても結局自分の事務所を作って組織化するものだ。
こうなると、フリーランスになる人と、雇われのままでいる人との違いは「誰がボスか」、の一点につきるのではなかろうか。いずれ自分がボスになりたいから、フリーになるという決断ならわかりやすい。一人でやりたいんだ、では限界がすぐ見えると思う。
ボスになる。社長になる。いずれ人を使うんだ。そういう熱い思いを持った、ある意味では我が強い人がフリーランスになったほうが、何となく成功するような気がする。
逆に、やりたいことをするためにフリーになりたいといった場合には、企業の中にそういう場所を探すほうが道が開けると思っている。もちろんわずらわしいことも多いのは私も会社員だったのでよくわかるが、自分でやるにしたってわずらわしいことはクソみたいに多い。だったら、給料をもらいながら。仕事をしつつ、副業で。といったスタンスの方が満足度が高いような気がする。
と言うことで、私は早くフリーランスを辞めて、会社化をしたくて仕方がない。だが、なにぶん給料を支払えるほどの余裕がまだないという非常にモヤモヤした状況なのだ。こんな局面を早く乗り越えて、会社化するか。もしくは、自分がボスではない組織に所属するか。一体どうなることやら。早くOLと働きたい。今後のいちライターの行く末を生暖かく見守って欲しい。

唐澤頼充


都知事選を終えて。家入一真候補への失望と希望と

東京都知事戦が終わった。
猪瀬知事でよかった私としては最初から最後まで興味の持てない選挙だった。その中でもネット界隈で話題になったのが、家入一真さんの出馬。しかし、結局9万票には届かず、泡沫候補からは抜け出せなかった。

インターネットなんてホント、ごく一部の人にしか届いていないということと、インターネットはものすごく広大だということを改めて認識した。
私は、家入さんについてはどちらかと言うとアナーキーな人だと思っていた。これまでの活動は個人的には、「政府や大人に頼らず、自分たちの居場所は自分たちで作っていくんだぜ」というものだったと受け取っている。
しかし、今回の都知事戦で、政治家になろうと決意した。
それは、きっとコミュニティや繋がりだけでは救えない現実に直面してしまったからだと思う。本人に聞いてないから予想でしかないが。
けれど、家入さんを取り巻くコミュニティでは9万人に届かない投票数が限界だった。政治家になるにはもっと多くの支持基盤を集めなきゃいけないということになる。
彼は自分たちのコミュニティ作りはしてきてはいたが、政治的な支持基盤作りはこれまでやってこなかった。結果がこれだ。改めて、政治の遠さを感じずにはいられなかった。
個人的には家入さんのコミュニティの代表として今回の得票数で終わったのであれば別に良かったのではないかと思う。
ただ問題だったのは、「ネットの代表」「若者の代表」的な立場で出馬してしまったことだ。
家入さんの「僕らの」は、今回間違いなくネットユーザー全体を指すものと捉えられてしまった。
これは大きな問題だ。
実際のところ家入さんはネット上にアンチも多い。フォロワーだって特別多いわけではない。所詮10万フォロワーに届かない程度の認知度だ。
確かにフォロワーにとってはカリスマかもしれないが、それ以外の人にとっては元々ただの泡沫候補に過ぎないはずだった。
それなのに、周りの期待と、家入陣営の発言によってネット代表、若者代表に祭り上げられてしまった。
家入さんがネット代表、若者代表と見なされ選挙に望んだ以上、今回の結果は完全な敗北と言っていいと思う。
しかも、悪影響しか残さないほどの敗北だ。
フォロワーは満足したかもしれない。しかし、ネットと若者には、また届かなかったという失意しか残らなかったからだ。
最後まではっきりとしなかった「ぼくら」。しかし、きっとあったであろう家入支持層。わたしは、その「ぼくら」を明確にし、「ぼくら」のための選挙戦を戦って欲しかった。
ネットや若者の代表などと大風呂敷を広げるべきではなかったと思う。
事実、若いネットユーザーの代表的な候補となったのが、結果的に田母神氏だったのも見逃せない。家入さんはまったく若者代表になっていなかったと、結果から見て取れる。
確かに、家入さんを取り巻くコミュニティだけを代表するのであれば、今回のような出馬で良かったと思う。きっと家入陣営の中で、手ごたえはあっただろうし、次こそはという気概も生まれたと思う。
しかし、風呂敷を広げすぎたがために、家入さんに関わりのなかった若者やネットユーザーには、「力がない」という風評被害だけが残る結果となってしまったのではないか。
自分たちのコミュニティを背負ってか、それともネットユーザー全体を背負ってか、この違いは本当に大きい。
ネットを背負って出馬するのであれば、本気で勝つ準備をするべきだった。
選挙で勝つ準備とは、選挙期間中だけでなく、その前から根回し、支持基盤作りをすることなど本気だったらやらなくてはいけないことはたくさんあった。
最初から前者の出馬であったら、僕は家入氏を手放しで賞賛したと思う。しかし、努力不足の後者であり、かつ結果が伴わなかったから失望している。
しかし、希望が残らなかったわけではない。
家入陣営は、政治団体「インターネッ党」を設立し、続く区長選へ候補者擁立することを決めた。家入さんの取り組みが、一時の祭りではなく、本当の政治活動をしようという動きにつながったことだ。
彼の言う「ぼくら」が誰を指すのかはわからない。だが、「ぼくら」のための政治活動を継続的に行なっていくことを決めたのは本当に素晴らしいことだと思う。「ぼくら」が「誰か」を明確にし、その「誰か」が受益者となるために政治活動を行なうというのは、清廉潔白でわかりやすい。ぜひ早い段階で「誰か」を明確にして欲しいと思う。
「誰か」さえ明確になれば、その後の政治活動の戦略も立てやすい。それは政党活動に限らず、この層の受益のためならNPOでもいいじゃない?という道も見えてくると思う。
繰り返しになるが家入さんはこれまで、自ら居場所を作り続けてきた人だと思う。そして、きっと自ら居場所を作ることができない本当の社会的弱者に出会ってしまったのではないか。だからもう、そいつらを救うには政治しか手段がないと判断したんだと思う。その意思は本当に素晴らしいし、実際行動まで移した成果も大きい。
だから、選挙戦以外にも戦う道を見つけ、継続して政治活動を続けて欲しい。
確かに、家入敗北で若者やネットの力のなさへの偏見、社会的評価ができてしまったダメージはある。しかし、「ぼくらが誰か」を明確にして、その人たちのためにどこまで戦えるのかチャレンジを続けることで、きっと次のステージも見えるのではないか、と期待したい。
唐澤頼充

知伝子に殺される遺伝子。社会に殺される個人。

最近の社会はとても生きにくく息苦しいと感じている人が多いそう。ただ生きるためだけには生きられないような社会。なぜ社会はこうまで人を雁字搦めにするのだろうか。
人間と動物の大きな違いに「言葉」を持っているか否かがある。

年末年始に実家に帰った際、母から愛犬のとんでも話をいろいろと聞いた。変なものを食べて具合が悪くなった、散歩中に事故に合いそうになっただの、変な虫にちょっかいを出して返り討ちにあっただの、そんな話だ。
「バカだからねぇ~」と笑って話す母。しかし、犬は言葉を持たないため、何が危険で何が安全なのかを、全て体験で学習するしかない。その個々の体験を、遺伝子に少しずつ残しながら、本能で危険なものをかぎ分けられるようになる。先祖から遺伝子によって伝えられた情報か、自分の体験でしか物事を判断することができないのだ。
その点、言葉を持つ人間は便利なものである。「これは危ないよ」「こうするといいよ」など、他人からアドバイスをもらうことができる。本能でかぎ分けられないものを、ひとつひとつバカみたいに体験して学習する必要がない。先人の知恵という記憶を、外部から調達することが可能だ。
犬が何代にも渡って、痛い体験を繰り返して遺伝子に刻み込む情報を、人間は「言葉」にすることで一瞬にして他の個体に共有できてしまう。言葉とはとんでもなくすごいツールだと思う。
このような、遺伝子ではなく、共有される知識のことを「知伝子」と呼ぶ。DNAに対してmeme(ミーム)と。
人間がここまで発展してきたのは、このミームによるところが大きい。「これは危険」「こうしたほうがいい」という共通概念は、やがて社会を形成する。個々では弱い多くの人間が、この社会というものに守られて、どこまでも発展してきた。
ミームが作り上げた社会。しかし、この社会が「より良い」と選択したことは、必ずしも「個人にとって良い」とは限らない。集団として生き残る選択が、個人を殺すことがある。「合理性」とは言葉によって作られ、社会によって適用される。
この社会の合理性と個人の都合が、今、ずいぶんと乖離してしまったと感じる。言葉とミームが生み出した社会が、どこまでも大きくなり、今ではまるで一つの生き物のようだ。社会という生き物が生きるうえで、個人を切り捨てることが増えてきたのではないか。ミームを守るために、DNAが殺されている。
SFの世界ではアンドロイドvs人間という物語が扱われることも多い。これはまさにミームvsDNAだ。今の世界ではミームはアンドロイドではなく資本主義システムのようにも感じる。
言葉を操ることができるからこそ発展してきた人間が、言葉が作った社会という生き物と共存が難しくなってきている。それが今なのだろうか。社会を持続させるため、個人を切り捨てることが善とは私には思えない。どこかで、社会と個人の新しい共存関係を再構築する必要があるし、それが見つけ出せると信じている。

ミームで出来上がった巨大人口知能と人間がいつか殺し合いをするようなSF的未来はごめんこうむりたい。


唐澤頼充

情報の流通量が地域の豊かさにつながる

まちの豊かさとは、情報流通量の多さであるとも言える。京都が、歴史があり、今も人気がある都市である理由のひとつは、どんな時代でも京都に関する情報の流通量が多かったからではないだろうか?

例えばAKB48のことを私はよく知らない。しかし、ニュースやネットコミュニティなどで話題になっている=情報量が多くなっていると盛り上がっているのだと思ってしまう。
もちろん、これらには元々あるコンテンツが持つ魅力が不可欠だと思う。しかし、情報の流通量が多いがゆえ、注目が集まり、コンテンツが育てられてきたとも言える。
このことから「新潟が豊かなまちになるためには?」の問いに対して、ひとつの回答として、「情報の流通量を増やす」ことが挙げられる。もちろん、中央メディアで話題になるに越したことはない。しかし、新潟県内だけでも地元情報の流通量が多ければ、新潟のまちはにぎやかになると思う。自分の住む地域の情報量が多い、それだけでそこに住む人の心の豊かさにつながるのではないだろうか。
かつては、情報発信者には一部の人しかなれなかった。しかし、今はインターネットという無限の空間に、誰もが情報を発信することができる。しかもほぼ無料で。
だからもっとインターネットに新潟人がたくさん情報を流すべきだと、私は考えている。ソーシャルメディアでも良いが、できれば蓄積するようなブログ、ホームページなどが良い。メディア側の人間だけでなく、市民がもっともっと自分のまちのいいところや面白いところ、楽しみ方を発信していくことで、まちの豊かさにつながると思う。
しかし、世界中に情報を届けられるインターネットは、誰にも見てもらえない可能性がある。誰にも見てもらえなければ情報は存在しないも同然だ。
また、読者が少ないということは、情報を発信し続ける上でのモチベーションに大きく影響する。
誰にも見られていないのに、情報を発信し続けるのは苦行以外の何者でもない。
とは言え、一般の人がネットで注目を集めるのには技術がそれなりにいるし、サイトを育てていくのにも手間がかかる。
だから、ふつうの市民が、多くの人に情報を届けられるプラットフォームが必要だと考えた。
「ネットに新潟の情報を増やし、蓄積する」「ふつうの人が発信力を持てるプラットフォームを作る」
この2つを考え、「にいがたレポ」(http://niigata-repo.com/)と言うサイトをはじめた。まだ1ヶ月しか経っていないが、早く一般市民の情報がちゃんと地域のためになるというメディアに育てたい。
もし、既にブログを書いている人や、何か新潟のことを紹介したい人で、にいがたレポに協力してくれる方は連絡をもらえればと思う。市民と一緒に新潟の価値を高めていく仕事をしたいなぁ。

新潟で地域ウェブメディアの可能性を試したい


昨年、12月中旬に「にいがたレポ」という名前のブログをスタートさせた。
にいがたレポ:http://niigata-repo.com/

ライターとして活動している中で、他媒体に文章を買ってもらうだけでなく、自分でもメディアを持ちたいという試みのひとつの形としての取り組みだ。

新潟は、タウン誌やフリーペーパーは非常に多く発行されている。一方で、新潟で熱心に読まれている、アクセスを集めているウェブメディアってあまりないなぁという印象。
30年前に新潟ではタウン誌が各所で立ち上がり盛り上がりを見せた。10年前頃にはフリーペーパーブームが来た。きっとその次はウェブメディアが来る。だけど、本気で取り組んでいる人がいるのかどうか。正直見えてこない。
そんな中、にいがたレポをスタートさせた。私はウェブデザインや、プログラミングのスキルがないため、本当に最低限、wordpressのテーマをインストールしてひたすらに記事を書き続けているのが現状。本当はもっとかっこいい、見やすいデザインのサイトにしたいと思っているのだが、そこはお預け状態となっている。
コンテンツを作るうえで考えたのは、更新し続けられるスタイルと、メディア企業と差別化できるスタイルの2点。
更新し続けられるというのは、新潟には観光情報サイトなど、情報がストックされているサイトはたくさんあるからだ。現状はバラバラに分散してしまっているが、たくさんのコンテンツを持っているサイトは存在している。しかし、更新を続け、情報を流し続けているサイトとなるとほとんどない。マガジン風のサイトは新潟にはないため、そこでオリジナリティを出せると考えた。現在約1ヶ月間毎日更新を続けているが、ソーシャルメディアが普及した今、情報を常に流し続けるスタイルというのは、アクセスを集めやすいと感じている。
もうひとつの、メディア企業と差別化できるスタイルは、「主観」に基づく記事にするというスタイルのこと。既存媒体に載っているお店情報やイベント情報は、商業コピーの側面が強い。コンテンツが発信側の都合で作られていたり、客観的に書くから多くの記事が同じ内容に見えてしまう。そこで、「市民」がそれぞれの視点で「体験」したことを「主観」に基づき書くというレポートスタイルをとることにした。これであれば、同じ店、同じ観光地でも、人によって体験する視点が異なるので、毎回違ったコンテンツが生み出せると考えた。
そういった考えが市場に受けたのかどうかはわからないが、スタート1ヶ月にしてはそこそこの滑り出しができたと思う。
1ヶ月間は、大半の記事を私一人で書いてきたが、今後はもっと外部から記事を集めたい。そして、サイトデザインをもっとウェブマガジン風にリニューアルすること。マネタイズへの取り組みをスタートさせること。2014年に取り組まなくてはいけないことはたくさんある。
地方でウェブメディアを成立させる。しっかりとマネタイズをする。そんな目標を持って今後とも「にいがたレポ」を育てて行きたいと思う。
ライター 唐澤頼充

2013年を振替って

一年が経つのは早いもので、2013年も最終日。今年は何ができただろうか?振り返ると年明けと比べなかなか成果が出たとは言えない状況のような気がする。

今年は、正式に「ライター」を名乗り始め、個人事業主として細々とではあるがさまざまな仕事にチャレンジをしてきた。ただ、大きな成果や、今後発展性のある取り組みができていたかというと、正直なところ首を傾げざるを得ない。
私は、前職を辞め独立するに当たり「30歳までに将来的な展望が見えなければ、あきらめる」という約束をした。あれから既に1年半が経ち、将来的な展望は見えてきていない。確かに、受託業務を取り、生活費を稼いでいくことはそれなりにではあるができている。受託業務は働けば働いた分だけ、自分の収入になる。しかし、走り続けなければキャッシュが入ってこない仕事だ。ハムスターの回し車のように走り続けなければ止まってしまう。
受託業務は確かに手っ取り早く収入になる。しっかり営業して、ある程度の量の仕事をさばくことができれば、フリーランスとしてはやっていける。ただ、それを5年後、10年後もやっていけるのかというと疑問が残る。フリーランスの収入は時間に大きく縛られる。一方で、例えばコンビニなどは、同じ時間でも1万円しか売上が上がらないこともあれば、100万円の売上をあげる可能性もある。受託業務と、自分のビジネスを回す大きな違いだ。
私は独立をしてから、受託業務だけでなく、自分なりのビジネスをまわし、定期的なキャッシュが入ってくるような仕組みを持ちたいと、ずっと考えている。そのような面で、2013年はビジネスの仕組みを生み出すことはできなかった。
12月に入ってから、「にいがたレポ」というブログメディアの運営を始めた。

メディアと言ってもまだお金を生み出すことはできていない。しかし、自分のビジネスを作るという取り組みの一つだと思ってチャレンジしている。ライターとして、人のメディアに書くだけでなく、自分のメディアを持つ。そのメディアが広告収入なりを得ることができるようになれば、受託業務とは違う収入源になってくれるのではないかと期待している。

にいがたレポ:http://niigata-repo.com/
難しいチャレンジだとは思うが2014年は、自主メディアのマネタイズに向けて努力してみようと思う。受託業務と平行しながらやるというのは、体力・気力・時間の面でも負担がかかるが、「将来的な展望」は自分のビジネスを作れるかどうかにかかってくると思っている。残り一年と少ししか時間はない。この挑戦が大きな一歩になるよう、努力していきたい。