ステルスマーケティングに関する件①

こんばんは。からさわです。

最近ネットメディアでは見ない日はないほど≪ステルスマーケティング≫、通称ステマに批判が集まっています。
ステルスマーケティングとは、消費者に宣伝と気づかれないように宣伝行為をすることです。レーダーで捉えにくいステルス戦闘機のステルスですね。
いわゆる、「やらせ」「サクラ」の活用。口コミサイトや、人気ブロガーなどにお金を払って自社の良い評価や記事を書いてもらい、広めてもらうといったやり方です。

私がステルスマーケティングをネット上で聞くようになったのはペニーオークションを芸能人がブログでこぞって勧め始めた2010年頃からだと記憶しています。ペニオクは小額で商品を落札できる一方で、入札するたびに手数料が掛かることからトラブルが多発し、消費者庁から注意喚起があり最近は全然見なくなりました。正に虚構のブームでした。
また、昨年2011年の捏造された韓流ブームの際にもインターネット上ではステマ批判や、サブリミナル批判が相次いでいました。韓流ごり押しは今も続いていますが、だいぶ一般人もそのきな臭さに冷めて来たように思います。
そしてステマがメディアに大きく取り上げられるようになったのが、今年初めの「食べログ」のやらせ業者騒動です。飲食店からお金をもらい、不正にランキングを操作したり、好意的な口コミを書いたりしていたというものです。
また、人気ブログが企業から利益誘導を受けて特定の記事を書いていたことが判明したりと、最近のネットの中はあちこちでステマ、ステマと騒がれています。

そもそも、ネットが登場する以前の世の中では、マスメディアを通じて第三者による意図を持った情報提供がされていました。それが、ネットの登場で情報発信者が爆発的に増えたことで、口コミや消費者の感想・批評の伝播がマスメディアに匹敵するほどの力を持ってきました。当然、これまでがそうなのだからネット上にも第三者による意図を持った情報提供がされるのは予想できるんですけど。
ただし、消費者はメディアを持ったことで、既存メディアに牛耳られ、操作されていた情報を扱えるようになったことで、ネットでポピュリズム的な意識が生まれ高まっていきました。嘘もあるが、消費者の真実が、正義があると言う意識がネットの中にあるように思います。だからこそ、ネット上の情報がお金で買収されていると言うステマに対してアレルギーの様な拒否反応を示しているように感じます。

一方で企業は、口コミや消費者による情報発信力が驚くほど力を持っていることに気付いたのでしょう。口コミとはつまり『消費者の評価』です。通常「評価」と言うものは利用されて初めて付くものなのですが、ステマはその消費者の評価を金で先に買い集めてしまおうと言うものです。いわゆる世論を企業側がつくることができてしまうわけです。ブログや掲示板、SNSやランキングサイトなどの情報は、消費者個人個人の意見と受け入れられがちなので、操作されているとはなかなか気付かないのが普通です。これらを利用したステルスマーケティングの効果は、倫理のほどはともかくかなり効果があると思います。

ということで長くなってきたので、今回は第一部として次回また続きを書きたいと思います。



ステマダメぜったい  からさわ

【ビジネス】日本農業の進む道を考察する

こんばんは。からさわです。

年末年始としこしこと書いていた記事を投稿します。


先日、自民党の石破さんが、「TPPをやっても日本の美味い農産物は負けない!」とピントの外れたことを言っていたと聞きました。
実は私は農学部出身で、日本の農業には強い思い入れがあります。そんな私は、TPP等関税の撤廃に動けば間違えなく日本の農業は負けると思います。

基本的にTPPは絶対反対なのですが、それは農業がダメになるからではなく、農産物の関税撤廃についてはいずれそうなると思います。なので、TPPをやるやらないに関わらず、日本の農業はかなり厳しい時代になるだろうと思います。

「日本人は日本のコメしか食べない!だって美味いから!!」と頑なに語る人もいますが、何を言っているのか分かりません。
ファッションを考えてみれば、ブランド物がオシャレだからそれ以外はまったく着ないという人はほとんど居ません。ユニクロやしまむら等のファストファッションが流行っているのは安くてそれなりのものだからですよね?
日本のコメが5000円/10kgで売っている横で、外国産でも1,000円/kgで買えるなら私は安いものを選びますね。
安ければ買う層はかなり多くいるでしょう。

さらに品質についても、日本というコメの大量消費地に関税なしでコメを輸出できるならば、当然売れるように品質の高いものを作るようになるでしょう。1993年の米騒動のようにタイ米がまずくて食べられないなんてことはなく、それなりに美味いものが食べられるはずです。


つまり、価格では圧倒的不利で、品質についてもそんなに日本と変わらないものが今後大量に輸入される流れは変わることはないと思うので、日本の農業はかなりピンチに立っているわけです。
高付加価値化すれば・・・なんてことを言っている人もいますが、高付加価値化でやっていける農家などごく一部です。
200万戸の農家が商売が成り立つようにするには一般マーケットに売るしかないわけですが、そのマーケットでは外国産に勝てる要素がほぼないと言っていいんじゃないでしょうか?だって安くてそれなりだし。


というようなことで、日本の農業はお先真っ暗だろうというのが私の結論です。


しかし、食糧生産は人間が生きていく上で欠かせないものなので、その産業が外国に頼りきりになってしまうと言うのは誰が考えても問題です。安全保障上も困ったものです。
そこで、今後我が国の農業はどうしていくべきか?ということをさっと考えてみました。
前置きが長くなりすみません。


農業に必要なものは基本的に、
 ①太陽
 ②水
 ③空気
 ④栄養
 ⑤土地
 ⑥労働力
と定義しましょう。他にあるかな?
さて、日本が海外の農業に対してどうしても追いつけないものは、⑤土地⑥労働力の2つですね。
大規模農業をするには平地が少なすぎる土地と、非常に高い人件費。基本的にはこの二つのせいで日本の農産物は価格が高くなっています。
①太陽、②水、③空気については基本的に日本ではタダですのでコストには影響ないと思います。
なので、⑤と⑥のコストを如何に削減していくのかが課題となるわけですね。

そこで私は「農業の工場化」を押します。
もう自然の中で作るのは止めて、農業工場で野菜やコメを作ったらいいじゃんということです。
つまり農業に必要な要素を考えると、
 ①太陽 ⇒ 人工太陽
 ②水  ⇒ これまで通り
 ③空気 ⇒ これまで通り
 ④栄養 ⇒ 改良品
 ⑤土地 ⇒何階層にもなる工場(ビルみたいなの)
 ⑥労働力 ⇒機械化
となります。

もう大地の恵みとか、太陽の恵みとか考えない方が良いのではないかと言うことです。
天候や季節に左右されなければコメも野菜も一年中取れるでしょうし、大規模農地に負けない生産量になるのではないかな?と思います。
労働自体も、室内であれば害虫駆除も除草もしなくていいですし、ちょっとした機械操作分だけして後は保守メンテナンスだけしておけばいいので相当削減できると思います。

土地・建物、機械、水道光熱費がどれくらいかかるかはわからないですが、既存農業を保護していくよりはビジネスとして成立しそうだなと思います。豊作・凶作の影響を受けないだろうから価格のコントロールもし易いですし、いっそ国営で複数経営してもいいんじゃないかと思う。

もちろん、そんなの農業じゃない!ちゃんとお天道様の下で、大地の恵みたっぷりの本物の野菜を食べたい!と言う人は、農地で作った値段の高い国産農産物を買えばいいと思います。

じゃあ外国で同じことしたらどうなるの?という疑問もありますが、人件費が安かったり、土地が広い外国では別に農業工場でやらなくても採算取れると思うのでやらないんじゃないかな?やったとしても同じくらいのコストで、同じ味の農産物ができるので、輸送コストを考えれば地元の工場で作った物の方が安いとなるのではないかと・・・


と、そんなこんなで、年末年始と考えていました、自然から農業を切り離す!そんなアイデアを皆さんどう思いますか?



からさわ

からさわが注目した人物2011年

皆さん今晩は。からさわです。

さて、2011年を振り返っていると、この人今年ははまったなーという人がいます。
その前は誰だっけと考えていると毎年違う人が気になっているように思います。

2010年に個人的にはまったのは、
・苫米地英人/脳機能学者
・宮台真司/社会学者
・堀井貴文/元ライブドア社長
・西村ひろゆき/元2ちゃんねる管理人
・孫正義/ソフトバンク社長
・東浩紀/批評家

ぱっと思いつくだけでこんな感じです。
当然この人たちは今年もできる限りチェックしているのですが、2011年にこの人面白いと思ったのは

・三橋貴明/経済評論家
 TPP問題に関心を持ったことをきっかけにブログ読むようになりましたが、理路整然とした、また根拠をしっかりと持った意見は見事の一言!日本が幸せな国であると再認識させてくれた一人。私の経済政策等への意見はこの人の影響受けまくり。
 ブログ⇒http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

・中野剛志/社会学者
 こちらもTPP問題から。「トクだね!」での解説が面白すぎて、この人の出ている動画を見まくりました。クソ正論でクソ面白い。この人を知ったからTPPのやばさを再認識しました。マスメディアの洗脳が解けました(笑)
 youtube⇒http://www.youtube.com/watch?v=9amjatPD_l4

・石田純/行動科学マネジメント研究所所長
 続ける技術等のビジネス書を読んで、行動科学マネジメントの考え方になるほどな~と感心しました。続かないのは、情熱とか人間性の問題ではなく続け方を知らないだけで、知れば誰でも何でも続けられるようになるという考え方は、あまり物事が長続きしない私にはうってつけの方法論で大好きです。
 ホームページ⇒http://jun-ishida.com/
 
・岡田斗司夫/評価経済社会提唱者
 今年一番のドハマり。ニコニコ動画でなんか見つけて、しゃべりを聞いてから「なんだこの天才は・・・」と感心しました。従業員に給料を払わずに、従業員が給料を社長に払うという面白い会社の社長もやっている。この人の思考方法はとにかくすごい。その発想力は著名人の中でもトップクラスだと思う。ビジネス界では知名度は低めですが、神田昌典との対談等を見ても、岡田斗司夫の方が押しまくり!気になってしょうがない時に新宿駅で本人を見かけたので、なんか運命感じてます。
 ホームページ⇒http://otaking-ex.jp/

ですかね。
来年はどんな著名人の考えを吸収できるのかまた楽しみにして過ごしたいです。

さて、皆様はどんな方に注目していますか?


からさわ

2011年自分総括

こんばんは。からさわです。

2011年も残りわずかとなってまいりました。
今年を振り返るとなかなか達成できなかったことが多く悔やまれます。
「来年こそは…」と毎年思っているような気がするのは私だけではないでしょう。

今年は読書とネットでの情報発信をがんばろうと思っていました。
ちなみに読書は100冊が目標でしたが、結局40冊くらいしか読めなかったような気がします・・・

ネットでの情報発信は主にfacebookではやっていましたが、双方向コミュニケーションは十分に取れなかったように思います。また、twitterやブログなどで知らない人に情報発信をしていくということも十分にはできませんでした。

これらが行き詰まった要因は何といっても3.11の東日本大震災及びそれに伴う原発事故だったように思います。自分の価値観というか、これから生きていく上での大前提となっていた世界や社会と言うものに確信を持てなくなり、「何をしていいのかよくわからない」といった状態が自分の中でずいぶん続きました。
特にビジネスというものに対しては、世界不況もあり様々な面で確信、自分の中で拠になるものを見失ってしまっていました。
まさに迷子の2011年。


そんな中、よくわからないままアニメばかりたくさん見ていんた気がします 笑


一方、よかったことは、ストレッチの習慣が定着したこと。筋トレが習慣化しそうなことでしょうか。また様々な思想にも触れ、今後自分の中でもどうやって生きていくかがぼんやりと見えてきたようにも思います。

年末の時間を使って自分の考えを詰めて、年始には目標をブログで公表できたらなと思います。

今年の個人的な一文字はやはり「迷」でしたね。
来年は心の迷子から抜けられるように足元を固めたいと思います。



からさわ

セミナー「日本発新資本主義経営」 鳥内浩一氏 感想

ご無沙汰しております。
久しぶりのブログ更新です。

本日、東京でセミナーを受けてまいりました。
講師は鳥内浩一氏の
『次世代を生き抜き、世界を変える 日本発新資本主義経営 いま最も必要な、3つの経営革新」というテーマでした。

特に311以降、我が国の状況は大きく変わり、また世界もWW2前のような大不況に見舞われています。
その中で、これからのビジネスがどうなっていくのか、最近個人的に色々と勉強しておりましたので非常にタイムリーなセミナーで迷いなく参加を申込みました。

さて、セミナーの内容としては、貨幣資本の経営から「信」資本の経営へというのが大きなテーマでした。
「信」とは信頼や信用であり、利益追求型の経営から脱却し、いかに信頼を集めることができるか?ということが今後のビジネスを大きく左右するのではないかというのが鳥内氏の投げかけだったと捉えました。
3部構成で、第一部は「信」の重要性を説くイントロダクション。
第二部は「信」を資本と見た際のマーケティング。
第三部は「信」を資本と見た際のマネジメント。
全体的に概念的な話が中心でしたが非常にタメになりました。


ただし、鳥内氏がビジネス畑の方であるせいか、まだまだ貨幣にとらわれている傾向があり、言いたいことはわかるのですがもっと価値観が変わる新しい時代を論じて欲しかったなというのが個人的な感想です。
最後に、「信」の貯蓄や見える化、流通について鳥内氏と少々お話させていただいて、もっと深く語らいたかったな~という気持ちがありました。
お忙しい方で私のために時間を割いていただくことは難しいと思いますが、いつか対等の立場で議論したいと思います。頑張るぞ!


私は、FREE経済と、岡田斗司夫氏の提唱する評価資本経済社会というものを最近勉強して強い影響を受けております。その中で自分の理論を構築していた段階ですが、今回のセミナーでかなり自分の考えが整理されてきました。

私、からさわが想像する今後の経済は、
物々交換から貨幣と物との交換へと変化した時代があったように、
これからは貨幣の上に何かより優位な概念が流通する経済になると予想しています。

しかしそれは、鳥内氏にも少し伝えたとおり、貯蓄性があり、可視性があり、流通が可能でなければならないと考えています。
物々交換の時代は物、例えば食料については毎回その場で交換するとなると、一年中現物があるわけではないし、とっておいたら腐ってしまいます。
そこで、より保存性や貯蓄性に優れた貨幣がとって変わり、貨幣経済が出来たわけです。
しかし、現在は世界不況もあいまり、貨幣も紙くずになってしまうかもしれない。つまり、貯蓄性に問題が発生しているのです。
その貨幣にとって変わる概念には、やはり現在の貨幣を超える貯蓄性や保存性、変わらぬ価値が求められると思います。


具体的に何が貨幣に変わる価値なのかは私も明確にはできていませんが、これからの時代を皆さんと楽しみながら観察していきたいと思います。



からさわ

【ビジネス】 情報シェアの時代に求められる能力


インターネット、特にソーシャルメディアの普及により集合知の拡大は留まることを知りません。
これまで、経営資源に数えられた「情報」は誰もが簡単に手に入れられる時代になりました。
これまでの「頭がいい」=「知識がある」=「情報を多く持っている」という図式は大きく変わりつつあります。


このような社会変化の中で、求められる能力はより実践的なものに変わりつつあると感じます。




■社会は小さくなった
ソーシャルメディアの普及によるインパクトは社会の在り方自体を変えつつあります。
具体的には、情報空間の爆発的拡大とアクセスの容易さです。
情報空間では、距離、時間、年代、性別の全てがフラット化しています。
誰もが集合知にいつでも、どこでも、容易にアクセスできることで、一つの村社会が形成されています。
これまで時間や距離といった物理的なもので区切られていた複数の小社会が、同一空間上で一つの社会に統合されてきています。


典型的なのは人との会話で、今では北海道と沖縄の人が会話するのに、コストやタイムラグといった大きな障害がなくなっています。
社会そのものが小さくなっているという感覚は皆さん感じられているのではないでしょうか?




■フラット化した社会では優劣判断が困難
物理的要因によって小さく区切られた社会が、情報空間上で一つの社会としてまとめられたことで、「優れている人」を見分けることが困難になっています。


例えば、昔の学校ではクラスで1番成績の良い子供は尊敬を集め、「優れている」と評価されていたと思います。それが、学校で一番、地域で一番、県で一番・・・・といったように物理的要因によって区切られた社会毎に評価が下されていました。
これらの評価が情報空間上の一つの社会では、極端な話いきなり全ての人間が全国もしくは、世界でどうか?という判断をされるのです。
私の学生時代も全国統一模試みたいなものはあり、全国で〇位といった評価をされていました。しかし、その社会が広すぎて正直全く実感が湧かなかったものです。


しかし、現在は情報空間上の社会がより顕在化したことで、たとえ小学生でもその気になれば一つの社会の評価にリアリティを感じてしまうような状況にあります。


ビジネスにしてみてもそうです。あの会社にすごいやつがいるらしい、それに比べて・・・という「噂」でしか物理的空間でシェアできなかった情報が、今やダイレクトに伝わります。
このような社会では、この人物は優れているのか?という判断が、比較対象が膨大であることで評価しづらくなってきているのが現状です。




■同年代という競争の枠も取り払われた
情報空間上に形成された社会では、年齢と言う競争の枠組みも取り払われました。
典型的な例は、今年話題を集めた「京大カンニング事件」です。受験中にyahooの掲示板に受験問題の解答を求めたという事件でした。
賛否両論ある事件でしたが、この事件で私が注目したのが<大学受験と言うある一定の年齢層しか関わりのなかった競争場所に全く別の世代が参入した>という点です。
典型的な世代保護は若い世代は学年と言う枠で守られていました。特に学生時代とはこれまで、学生のみで形成する特殊な社会の中に生きていたのです。
これらの世代保護が破られたことを如実に表したのが「京大カンニング事件」だったと考えています。


情報空間で形成された社会では、年齢も、性別も関係なくフラットです。
同世代の中で優れているという評価基準も取り払われつつあるのが現状ではないでしょうか?




■誰もが知識を得られる時代での競争力①
このようなフラット化された社会の中で「優れた人物」とはどんな人物なのでしょうか?
情報は今後ますます共有化されていくとかんがえられるので、知識量で優劣は付けられません。
これまで学歴が評価された背景には、「学歴」=「知識をつける努力をした証拠」であったと思います。
つまり知識を得る能力に優れた人物が評価されている、つまり新しい知識をどんどん身につけてくれる人が求められている時代でした。


この時代は、情報空間の爆発的拡大で終わろうとしています。
知識は身につけるものではなく、情報空間に存在しそこにアクセスすれば誰もが得られるものだからです。
では、情報空間にアクセスして知識を引き出す能力が求められるのか?
短期的に見ればYES、長期的に見れば誰でもできることになってくるでしょう。


このような社会変化の中で、採用活動をしている企業が求めている能力でよく聞かれるのが「コミュニケーション能力」です。




■コミュニケーション能力は競争力になり得るか?
近年しきりに企業が求めているのが、「コミュニケーション能力」が高い人材ですが、そもそもコミュニケーション能力が競争力になり得るのでしょうか?
コミュニケーションとは他者との関係性を築く能力だと解釈していますが、それが高いだけでは競争力にはならないでしょう。
コミュニケーション能力は基礎能力であり、それを活用しネットワークを構築していける力こそが真に求められている能力だと私は考えます。


情報空間内では物理的制約はありません。
年齢、性別、地域も全てフラットです。
そのような中では、誰もが出会ったこともない他地域との名前もわからない誰かと簡単に関係性を築くことができます。
つまり、誰もが誰もとつながることができるのです。
これからの人材に求められる能力、競争力となり得る能力は、情報空間というフラットな空間の中で、新しい人間関係のネットワークを次々と生み出していく力だと私は考えます。
コミュニケーション能力はそのベースにしか過ぎません。
ですので、就活中の学生が既存の学生社会の中で発揮したコミュニケーション能力などアピールポイントにならないのではないでしょうか。




■コミュニケーション×実行
情報シェアの時代のコミュニケーション能力とは、世代、地域を超えてネットワークを構築していく力であって、既存の人間関係の中を円滑にするコミュニケーション能力とは根本的に異なります。
さらに言えば、ネットワークもただ情報交換するだけの関係では価値がありません。そんなものは、既存の人間関係で充分なのです。
ここで求められるのは、何か事を成すためのネットワークです。
事を成すには知識も必要ですが、なにより求められるのは「実行力」です。


知識を提供するだけで価値が生み出せる時代はまもなく終わるでしょう。
つまり、頭でっかちと言われる人の評価は急激に下がっていくのではないでしょうか?


その中で求められる人材は、知識や経験を元に、実際に行動する人材だと考えます。
お勉強の質もこれまでの詰め込み型から、変わってくるでしょう。
誰かと協同し、あららしい価値を生み出していくことができる人材、
<コミュニケーション×実行力>
これが情報シェア時代に求められる最も重要な能力だと思います。






からさわ


【ビジネス】 新しいルールを作るのは誰か?

相も変わらず、労働市場には良いニュースを聞かない。
失業者の数はもちろんだが、これから社会に羽ばたこうと言う新卒者の就職難は非常に厳しいものがある。


努力して大学に入り、いざ社会に!と思ったら社会が受け入れてくれない。
これは非常に深刻な事態だと思う。
しかし企業側の視点で見れば、国内はもちろん世界的に不況であり、人を雇う余裕がない。人件費は最も大きな経費であり、即戦力と考えられない新卒者を大量採用していたのでは会社が潰れてしまうので、当然の判断と言える。


■就職難の原因は何か?
就職難の現在各方面で原因が挙げられているが、整理すると以下の3点が中心であるように感じられる。
 1.新卒一括採用主義が悪である。
 2.学生の質が低下している。
 3.政治が悪い。
これらは一見どれも的を得ているようであるが、根本的な原因ではないように思う。
新卒一括採用は企業の人材教育を効率よく、しかも質を高く行えると言う意味では良い仕組みではある。
学生の質については、好景気時と比べて単純に求められるレベルが上がっているだけで、学生の質が低下しているわけではない。
政治については、就職率を上げる直接的な政策など考えようがないので、政府が何かしてくれると思うのが間違いである。
根本的な原因はやはり経済が停滞していることである。
経済と聞くと、経済停滞の原因を政府に押し付けがちではあるがそれは酷である。そもそも、日本の主要産業である製造業のビジネスモデル自体が、人件費の安い発展途上国に勝てないモデルなわけで、資源のない我が国では製造産業での負けはいつか必ず来る事だ。だからといって、新たな産業を確立するのは政府の役割ではない。


■敷かれたレールは未来に繋がっているか?
そのような中、学生の選択肢はほぼ「就職」。しかも、勝ち組と呼ばれる学生は大手企業や公務員、銀行員である。
雇われることを悪いとは言わないが、既存の、しかも成熟産業の中に飛び込んで行った先に道はあるのか?真剣に考えて欲しい。
そもそも大企業の一括採用は、成長期に確立したシステムである。成長期には敷かれたレールはどこまでも続いていたが、成熟期の現在それは当てはまらない。敷かれたレールの先は行き止まりで、また別の方向に進まなければならないかもしれない。
それを認識して、それでも既存のレールの上を歩くかどうかの判断が必要だと思う。


■生存競争を生き残るには
自然界では、動物は子世代が育ってきたら親世代は死ぬ。なぜかと言うと、親世代と子世代が同じ環境で生存競争をしたら、子世代は勝てないからである。種の存続を考えた場合、親世代は早々におさらばするのが理にかなっているのである。
一方人間は、親世代と子世代どころか孫世代までもが同じ環境で生存競争をしている。これは、人間が社会性を持っているからであり、様々な環境に対応できるからだと言われている。
人間の生存競争はビジネスである。
しかし、現在は親世代から孫世代までが同じ土俵で生存競争を繰り広げているように思える。
子世代は、同じ土俵で親世代に勝てない。それを認めるべきだ。
労働論争の一つとして、団塊世代vs若者世代が語られることを目にするが、そもそも同じフィールドでは若者世代は経験も人脈も知識も、さらには金もある世代には勝てないことに気づかなくてはいけない。
では、生存競争で若者が勝つためにはどうすれば良いのか?
それは、違うフィールドに立てば良いのである。


■既存のルールで戦うな、新しいルールを作れ
年上世代と違うフィールドで戦い、勝った良い例にソフトバンクの孫正義氏が挙げられる。彼は、コンピューターという、それまでなかったフィールドで勝負を挑み、今では日本を代表するグループ会社のトップに立っている。
それでも、孫正義氏は既存のルール、つまり組織であったり、会社であったり、株式であったり、通信であったりといった分野にも勝負を挑んだ。その勝負に勝ってきたのはたぐいまれな才能と努力のなせることだと思う。それを万人に行えと言っても無理であろう。
今、経済も、企業も、社会も、政治も大きな転換期を迎えている。
既存のルールでこの国が、いや世界が豊かで幸せなものになるとは思えない。
この大きな転換期に置いて、新しい社会のルール、ビジネスのルール、政治のルールを作るのは若者で会って欲しいし、そうでなくてはならない。
既存の価値観をそのまま受け入れてしまえば、今の若者は、次の世代に旧時代の生き残りと言われてしまう可能性もある。
消費も金融も、働き方も、子育ても、政治も、そもそもお金そのものの価値も変わってくるかもしれない。


就職難はいわば、今のルールがうまく機能していない証拠である。
新しいルールを作る。
若い世代の多くの人は、そんな転換期に生きていることを肝に銘じてほしい。
そしてその新しい時代を切り開くステージにいられることに幸せを感じてほしい。


からさわ


【社会】 安定志向を打ち破れ!

311の被害を受け、私にできる唯一のことと思いした義援金の金額は1万円・・・。自分の生活を犠牲にすればもっと支払えるのですが、自分の生活に何の影響もない範囲と考えて試算した金額がそれでした。今後、追加募金すると思いますが、非常に無力感を覚えました。


私にもっと力があれば義援金を捻出し、復興計画に加わり、産業再生に加わり・・・等もっともっと貢献できたと悔やんでいます。その点、震災後大活躍している孫正義氏には尊敬と共に羨ましい気持ちも抱いています。


今回の教訓として「多くを救いたければ、多くを得よ」です。


■安定志向は自己中心志向
「若者の安定志向化」というキーワードはここ数年来使い続けられている言葉です。「若者」と言われるのは、若い方が社会の影響を最も受けやすく、最も再現する層であるからです。なので若者、若者と連呼し、若者が悪いという風潮をつくるメディアや識者は知恵不足だと思います。社会全体が安定=現状維持をしなくてはいけないと言う風潮にとらわれているわけです。


安定の定義とは何なのか?明確なものはないと思いますが、「生活に困らない程度のお金を稼ぐ」「リスクは冒さずローリターンを得る」といったところでしょうか。つまり、「自分もしくは家族が生活に不自由しないようにしましょうね」といった考え方であり、大げさに言えば、「他の人は知りません。」とも捉えられます。安定志向とはまさに<最小幸福思考>であるのではないでしょうか?
最小幸福では他人を救う余裕がないのことは、3.11で個人として痛感しました。


■野心を持てる社会を
安定思考とは自己保身であり、社会・集団としての発展どころか、維持もままなりません。日本社会に蔓延する「金儲け害悪思考」、「身の丈志向」を打ち破らなくてはいけないと強く思います。野心を持った人、それは若者に限らず、引退した層でも、バブル世代でも団塊世代でもかまいませんが、野心行動に移せるような雰囲気を社会全体で作っていかなくてはいけないと思います。「2番でいいわけがない、1番にならなきゃ意味がない!」そう思える人、そう思える社会をつくっていかなくては、集団としての幸せや安定は訪れないのです。
そのためのツールとして「金」が必要です。
「金」は目的ではなくあくまでも、ツールです。
そのツール集め(=金儲け)を否定してはいけないです。
節約志向は道具を使わないことを選択している、つまるところ思考停止している状態ではないでしょうか?日本では無償の奉仕が賛美されますが、お金を使って事を成すことをもっと尊重すべきではないでしょうか?


道具を使えば簡単に人助けができます。
道具を使えばより多くの人助けができます。
道具を使えばより効率的に人助けができます。


その道具を手に入れるためには、野心が欠かせないと思いますし、それを社会が歓迎しなくてはいけないと思います。


■チャレンジする人を称えよう
しかし、私の受けて来た教育の中では、ツールの集め方(=金儲けの仕方)も、ツールの使い方(=投資の仕方)も教わっていません。与えられたことをこなす教育、つまりサラリーマンになるための練習ばかりをしてきたように思います。
それは仕方のない事ですし、多くの皆さんが私と同様でしょう。なので、私は全ての人が安定志向を捨てるべきだとは思いません。優秀な人が安定志向になっているのが問題であって、全員がチャレンジしなくては社会が豊かにならないとは考えていません。
だから、安定志向の人々は、自身が教育されたルールの外で戦っている人(お金儲けしている人など)を否定するのではなく、必要なことだと、むしろ彼らの行動が社会の安定につながると思い、賞賛しなければいけません。
彼らはチャレンジャーであるのです。チャレンジを認める社会、そしてチャレンジが失敗した場合にもチャレンジしたこと自体を認める社会を私たちは作っていかなければいけないと思います。


先日、堀江貴文氏の実刑が確定しました。チャレンジした若者を社会が潰した象徴だったと思います。
しかし、事件当時とは変わり、ソーシャルメディアの発達により、あの事件に「何か変だぞ?」と感じた方は多かったと思います。
「何か変だぞ?」が「チャレンジした人を潰すな!」という声に代われば、日本の社会はもっと幸せな社会になると思います。


からさわ