【ビジネス】 情報シェアの時代に求められる能力


インターネット、特にソーシャルメディアの普及により集合知の拡大は留まることを知りません。
これまで、経営資源に数えられた「情報」は誰もが簡単に手に入れられる時代になりました。
これまでの「頭がいい」=「知識がある」=「情報を多く持っている」という図式は大きく変わりつつあります。


このような社会変化の中で、求められる能力はより実践的なものに変わりつつあると感じます。




■社会は小さくなった
ソーシャルメディアの普及によるインパクトは社会の在り方自体を変えつつあります。
具体的には、情報空間の爆発的拡大とアクセスの容易さです。
情報空間では、距離、時間、年代、性別の全てがフラット化しています。
誰もが集合知にいつでも、どこでも、容易にアクセスできることで、一つの村社会が形成されています。
これまで時間や距離といった物理的なもので区切られていた複数の小社会が、同一空間上で一つの社会に統合されてきています。


典型的なのは人との会話で、今では北海道と沖縄の人が会話するのに、コストやタイムラグといった大きな障害がなくなっています。
社会そのものが小さくなっているという感覚は皆さん感じられているのではないでしょうか?




■フラット化した社会では優劣判断が困難
物理的要因によって小さく区切られた社会が、情報空間上で一つの社会としてまとめられたことで、「優れている人」を見分けることが困難になっています。


例えば、昔の学校ではクラスで1番成績の良い子供は尊敬を集め、「優れている」と評価されていたと思います。それが、学校で一番、地域で一番、県で一番・・・・といったように物理的要因によって区切られた社会毎に評価が下されていました。
これらの評価が情報空間上の一つの社会では、極端な話いきなり全ての人間が全国もしくは、世界でどうか?という判断をされるのです。
私の学生時代も全国統一模試みたいなものはあり、全国で〇位といった評価をされていました。しかし、その社会が広すぎて正直全く実感が湧かなかったものです。


しかし、現在は情報空間上の社会がより顕在化したことで、たとえ小学生でもその気になれば一つの社会の評価にリアリティを感じてしまうような状況にあります。


ビジネスにしてみてもそうです。あの会社にすごいやつがいるらしい、それに比べて・・・という「噂」でしか物理的空間でシェアできなかった情報が、今やダイレクトに伝わります。
このような社会では、この人物は優れているのか?という判断が、比較対象が膨大であることで評価しづらくなってきているのが現状です。




■同年代という競争の枠も取り払われた
情報空間上に形成された社会では、年齢と言う競争の枠組みも取り払われました。
典型的な例は、今年話題を集めた「京大カンニング事件」です。受験中にyahooの掲示板に受験問題の解答を求めたという事件でした。
賛否両論ある事件でしたが、この事件で私が注目したのが<大学受験と言うある一定の年齢層しか関わりのなかった競争場所に全く別の世代が参入した>という点です。
典型的な世代保護は若い世代は学年と言う枠で守られていました。特に学生時代とはこれまで、学生のみで形成する特殊な社会の中に生きていたのです。
これらの世代保護が破られたことを如実に表したのが「京大カンニング事件」だったと考えています。


情報空間で形成された社会では、年齢も、性別も関係なくフラットです。
同世代の中で優れているという評価基準も取り払われつつあるのが現状ではないでしょうか?




■誰もが知識を得られる時代での競争力①
このようなフラット化された社会の中で「優れた人物」とはどんな人物なのでしょうか?
情報は今後ますます共有化されていくとかんがえられるので、知識量で優劣は付けられません。
これまで学歴が評価された背景には、「学歴」=「知識をつける努力をした証拠」であったと思います。
つまり知識を得る能力に優れた人物が評価されている、つまり新しい知識をどんどん身につけてくれる人が求められている時代でした。


この時代は、情報空間の爆発的拡大で終わろうとしています。
知識は身につけるものではなく、情報空間に存在しそこにアクセスすれば誰もが得られるものだからです。
では、情報空間にアクセスして知識を引き出す能力が求められるのか?
短期的に見ればYES、長期的に見れば誰でもできることになってくるでしょう。


このような社会変化の中で、採用活動をしている企業が求めている能力でよく聞かれるのが「コミュニケーション能力」です。




■コミュニケーション能力は競争力になり得るか?
近年しきりに企業が求めているのが、「コミュニケーション能力」が高い人材ですが、そもそもコミュニケーション能力が競争力になり得るのでしょうか?
コミュニケーションとは他者との関係性を築く能力だと解釈していますが、それが高いだけでは競争力にはならないでしょう。
コミュニケーション能力は基礎能力であり、それを活用しネットワークを構築していける力こそが真に求められている能力だと私は考えます。


情報空間内では物理的制約はありません。
年齢、性別、地域も全てフラットです。
そのような中では、誰もが出会ったこともない他地域との名前もわからない誰かと簡単に関係性を築くことができます。
つまり、誰もが誰もとつながることができるのです。
これからの人材に求められる能力、競争力となり得る能力は、情報空間というフラットな空間の中で、新しい人間関係のネットワークを次々と生み出していく力だと私は考えます。
コミュニケーション能力はそのベースにしか過ぎません。
ですので、就活中の学生が既存の学生社会の中で発揮したコミュニケーション能力などアピールポイントにならないのではないでしょうか。




■コミュニケーション×実行
情報シェアの時代のコミュニケーション能力とは、世代、地域を超えてネットワークを構築していく力であって、既存の人間関係の中を円滑にするコミュニケーション能力とは根本的に異なります。
さらに言えば、ネットワークもただ情報交換するだけの関係では価値がありません。そんなものは、既存の人間関係で充分なのです。
ここで求められるのは、何か事を成すためのネットワークです。
事を成すには知識も必要ですが、なにより求められるのは「実行力」です。


知識を提供するだけで価値が生み出せる時代はまもなく終わるでしょう。
つまり、頭でっかちと言われる人の評価は急激に下がっていくのではないでしょうか?


その中で求められる人材は、知識や経験を元に、実際に行動する人材だと考えます。
お勉強の質もこれまでの詰め込み型から、変わってくるでしょう。
誰かと協同し、あららしい価値を生み出していくことができる人材、
<コミュニケーション×実行力>
これが情報シェア時代に求められる最も重要な能力だと思います。






からさわ


【ビジネス】 新しいルールを作るのは誰か?

相も変わらず、労働市場には良いニュースを聞かない。
失業者の数はもちろんだが、これから社会に羽ばたこうと言う新卒者の就職難は非常に厳しいものがある。


努力して大学に入り、いざ社会に!と思ったら社会が受け入れてくれない。
これは非常に深刻な事態だと思う。
しかし企業側の視点で見れば、国内はもちろん世界的に不況であり、人を雇う余裕がない。人件費は最も大きな経費であり、即戦力と考えられない新卒者を大量採用していたのでは会社が潰れてしまうので、当然の判断と言える。


■就職難の原因は何か?
就職難の現在各方面で原因が挙げられているが、整理すると以下の3点が中心であるように感じられる。
 1.新卒一括採用主義が悪である。
 2.学生の質が低下している。
 3.政治が悪い。
これらは一見どれも的を得ているようであるが、根本的な原因ではないように思う。
新卒一括採用は企業の人材教育を効率よく、しかも質を高く行えると言う意味では良い仕組みではある。
学生の質については、好景気時と比べて単純に求められるレベルが上がっているだけで、学生の質が低下しているわけではない。
政治については、就職率を上げる直接的な政策など考えようがないので、政府が何かしてくれると思うのが間違いである。
根本的な原因はやはり経済が停滞していることである。
経済と聞くと、経済停滞の原因を政府に押し付けがちではあるがそれは酷である。そもそも、日本の主要産業である製造業のビジネスモデル自体が、人件費の安い発展途上国に勝てないモデルなわけで、資源のない我が国では製造産業での負けはいつか必ず来る事だ。だからといって、新たな産業を確立するのは政府の役割ではない。


■敷かれたレールは未来に繋がっているか?
そのような中、学生の選択肢はほぼ「就職」。しかも、勝ち組と呼ばれる学生は大手企業や公務員、銀行員である。
雇われることを悪いとは言わないが、既存の、しかも成熟産業の中に飛び込んで行った先に道はあるのか?真剣に考えて欲しい。
そもそも大企業の一括採用は、成長期に確立したシステムである。成長期には敷かれたレールはどこまでも続いていたが、成熟期の現在それは当てはまらない。敷かれたレールの先は行き止まりで、また別の方向に進まなければならないかもしれない。
それを認識して、それでも既存のレールの上を歩くかどうかの判断が必要だと思う。


■生存競争を生き残るには
自然界では、動物は子世代が育ってきたら親世代は死ぬ。なぜかと言うと、親世代と子世代が同じ環境で生存競争をしたら、子世代は勝てないからである。種の存続を考えた場合、親世代は早々におさらばするのが理にかなっているのである。
一方人間は、親世代と子世代どころか孫世代までもが同じ環境で生存競争をしている。これは、人間が社会性を持っているからであり、様々な環境に対応できるからだと言われている。
人間の生存競争はビジネスである。
しかし、現在は親世代から孫世代までが同じ土俵で生存競争を繰り広げているように思える。
子世代は、同じ土俵で親世代に勝てない。それを認めるべきだ。
労働論争の一つとして、団塊世代vs若者世代が語られることを目にするが、そもそも同じフィールドでは若者世代は経験も人脈も知識も、さらには金もある世代には勝てないことに気づかなくてはいけない。
では、生存競争で若者が勝つためにはどうすれば良いのか?
それは、違うフィールドに立てば良いのである。


■既存のルールで戦うな、新しいルールを作れ
年上世代と違うフィールドで戦い、勝った良い例にソフトバンクの孫正義氏が挙げられる。彼は、コンピューターという、それまでなかったフィールドで勝負を挑み、今では日本を代表するグループ会社のトップに立っている。
それでも、孫正義氏は既存のルール、つまり組織であったり、会社であったり、株式であったり、通信であったりといった分野にも勝負を挑んだ。その勝負に勝ってきたのはたぐいまれな才能と努力のなせることだと思う。それを万人に行えと言っても無理であろう。
今、経済も、企業も、社会も、政治も大きな転換期を迎えている。
既存のルールでこの国が、いや世界が豊かで幸せなものになるとは思えない。
この大きな転換期に置いて、新しい社会のルール、ビジネスのルール、政治のルールを作るのは若者で会って欲しいし、そうでなくてはならない。
既存の価値観をそのまま受け入れてしまえば、今の若者は、次の世代に旧時代の生き残りと言われてしまう可能性もある。
消費も金融も、働き方も、子育ても、政治も、そもそもお金そのものの価値も変わってくるかもしれない。


就職難はいわば、今のルールがうまく機能していない証拠である。
新しいルールを作る。
若い世代の多くの人は、そんな転換期に生きていることを肝に銘じてほしい。
そしてその新しい時代を切り開くステージにいられることに幸せを感じてほしい。


からさわ


【社会】 安定志向を打ち破れ!

311の被害を受け、私にできる唯一のことと思いした義援金の金額は1万円・・・。自分の生活を犠牲にすればもっと支払えるのですが、自分の生活に何の影響もない範囲と考えて試算した金額がそれでした。今後、追加募金すると思いますが、非常に無力感を覚えました。


私にもっと力があれば義援金を捻出し、復興計画に加わり、産業再生に加わり・・・等もっともっと貢献できたと悔やんでいます。その点、震災後大活躍している孫正義氏には尊敬と共に羨ましい気持ちも抱いています。


今回の教訓として「多くを救いたければ、多くを得よ」です。


■安定志向は自己中心志向
「若者の安定志向化」というキーワードはここ数年来使い続けられている言葉です。「若者」と言われるのは、若い方が社会の影響を最も受けやすく、最も再現する層であるからです。なので若者、若者と連呼し、若者が悪いという風潮をつくるメディアや識者は知恵不足だと思います。社会全体が安定=現状維持をしなくてはいけないと言う風潮にとらわれているわけです。


安定の定義とは何なのか?明確なものはないと思いますが、「生活に困らない程度のお金を稼ぐ」「リスクは冒さずローリターンを得る」といったところでしょうか。つまり、「自分もしくは家族が生活に不自由しないようにしましょうね」といった考え方であり、大げさに言えば、「他の人は知りません。」とも捉えられます。安定志向とはまさに<最小幸福思考>であるのではないでしょうか?
最小幸福では他人を救う余裕がないのことは、3.11で個人として痛感しました。


■野心を持てる社会を
安定思考とは自己保身であり、社会・集団としての発展どころか、維持もままなりません。日本社会に蔓延する「金儲け害悪思考」、「身の丈志向」を打ち破らなくてはいけないと強く思います。野心を持った人、それは若者に限らず、引退した層でも、バブル世代でも団塊世代でもかまいませんが、野心行動に移せるような雰囲気を社会全体で作っていかなくてはいけないと思います。「2番でいいわけがない、1番にならなきゃ意味がない!」そう思える人、そう思える社会をつくっていかなくては、集団としての幸せや安定は訪れないのです。
そのためのツールとして「金」が必要です。
「金」は目的ではなくあくまでも、ツールです。
そのツール集め(=金儲け)を否定してはいけないです。
節約志向は道具を使わないことを選択している、つまるところ思考停止している状態ではないでしょうか?日本では無償の奉仕が賛美されますが、お金を使って事を成すことをもっと尊重すべきではないでしょうか?


道具を使えば簡単に人助けができます。
道具を使えばより多くの人助けができます。
道具を使えばより効率的に人助けができます。


その道具を手に入れるためには、野心が欠かせないと思いますし、それを社会が歓迎しなくてはいけないと思います。


■チャレンジする人を称えよう
しかし、私の受けて来た教育の中では、ツールの集め方(=金儲けの仕方)も、ツールの使い方(=投資の仕方)も教わっていません。与えられたことをこなす教育、つまりサラリーマンになるための練習ばかりをしてきたように思います。
それは仕方のない事ですし、多くの皆さんが私と同様でしょう。なので、私は全ての人が安定志向を捨てるべきだとは思いません。優秀な人が安定志向になっているのが問題であって、全員がチャレンジしなくては社会が豊かにならないとは考えていません。
だから、安定志向の人々は、自身が教育されたルールの外で戦っている人(お金儲けしている人など)を否定するのではなく、必要なことだと、むしろ彼らの行動が社会の安定につながると思い、賞賛しなければいけません。
彼らはチャレンジャーであるのです。チャレンジを認める社会、そしてチャレンジが失敗した場合にもチャレンジしたこと自体を認める社会を私たちは作っていかなければいけないと思います。


先日、堀江貴文氏の実刑が確定しました。チャレンジした若者を社会が潰した象徴だったと思います。
しかし、事件当時とは変わり、ソーシャルメディアの発達により、あの事件に「何か変だぞ?」と感じた方は多かったと思います。
「何か変だぞ?」が「チャレンジした人を潰すな!」という声に代われば、日本の社会はもっと幸せな社会になると思います。


からさわ

【アニメ・ビジネス】 もしドラ感想。ビジネスアニメの需要は?

ゼロ年代後半から勢いを増してきた、ビジネス書ブーム。
個人スキルのアップを必要に感じ読んでいる方が増えた背景があると言われている中、2011年冬アニメで、ベストセラー書籍の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」、通称もしドラ をNHKがアニメ化、放送しました。
一挙放送だったので、内容を忘れないうちに見れたのは良かったです。


はたして、ビジネス書ブームのニーズはアニメ映像作品として定着できるのか?
アニメ、もしドラを期待半分、疑問半分で見た感想は・・・ターゲットは誰だったの?というのが一番強かった。


■アニメ作品として
近年のヒットアニメの傾向としては、①キャラ、②日常系orセカイ系、③悲劇、④癒し、⑤リアリティ、⑥恋愛、⑦ギャグなどのキーワードが存在していると思う。
そのなかで、もしドラは、キャラは立っておらず、リアリティに乏しく、癒し、恋愛があるようなアニメではなかった。
アニメ作品としての特徴を箇条書きで挙げてみた。
 ・キャラクターデザインは中途半端(書籍のパッケージの方がキャラが立っていた)
 ・リアリティはない。(野球部の人が見たら怒りそう)
 ・日常系の青春モノ。(深夜アニメではあまり例がない?)
 ・準ヒロインの死という山場あり。魅せ方も上手かった。(さすがNHK!)
 ・恋愛要素はゼロ。
 ・スポ根
 ・テンポよし
 ・萌えない。燃えない。
というわけで、アニメとしての見せ場は登場人物の感情が一番揺れた準ヒロインの死の場面で、それ以外は並のない、ダイジェストを見ているような印象を受けるつくりであった。
青春、全力、成長と言う意味では近年の夜アニメにはない作品には仕上がったが中途半端であった。
結論として、アニメ視聴層がターゲットではない作品だと思う。


■ビジネスとアニメの融合作品として
題材はドラッカーの『マネジメント』。扱われた理論で印象に残っているものを箇条書きにしてみた。
 ・マネジメント
 ・マーケティング
 ・イノベーション
 ・人材活用
 ・社会貢献
 ・成果
これくらいかな。知識としてはビジネスマンにとっては当たり前。新しい知識が入ってくるわけではないし、理論の深堀もしていないのでビジネスマンにとってはやはり中途半端な印象。
学生や、アニメ視聴層にとって魅力的に説明されていたかと言うと・・・そうでもないと思われる。入門アニメとしても中途半端の域を出ないのではないか・・・


■もしドラのメッセージは何だったのか?
コンセプトは「アニメでわかるドラッカー」だったと思うが、このアニメの成果を①ビジネス書市場の拡大、②アニメ視聴層の拡大と考えた場合、その二つが達成されるのかどうかは正直難しいと思う。
個人的にこの作品で一番気づかされたことは「行動をする」というメッセージであった。
ビジネス書ブームの中、知識を仕入れて安心感を得ている人が多い。そんな中、野球部という一見ビジネス知識が活用できない状況の中で、工夫をし実践していくという取組みを表現している点は情報社会へのアンチテーゼであると評価できる。
優秀な人の定義は「知識アリ・行動力アリ」>「知識ナシ・行動力アリ」>「知識アリ・行動力ナシ」>「知識ナシ・行動力ナシ」であると思う。そういう意味では、<行動力>の重要性は強烈にメッセージングされていたような気がする。


■ビジネスとアニメの親和性は如何に?
アニメもしドラは非常に面白い試みだったと思うが、誰に見てもらいたいのかターゲティングが不十分だった所為で、評価は高いものにならないと思う。この作品を見て私がビジネスアニメを制作する場合のポイントを箇条書きで挙げてみた。
 ・ビジネス入門アニメとする
 ・対象は、アニメ視聴者+学生
 ・ビジネス理論は最小限に抑え、テクニック要素を強くする
 ・ストーリー性を重視する
 ・変動するのは人間感情ではなく企業の業績、もしくは個人の営業成績
 ・ビジネスマンは娯楽程度にみる
といった感じだろうか。ビジネスマンがノウハウを蓄積するには、アニメよりセミナーや音声教材の方が今のところ効果が高いだろう。
もしドラは成功とは言えないと思うが、これにめげずビジネスアニメや社会派アニメの制作にどんどんチャレンジしていってほしい。


からさわ

【高齢社会】 老人に埋もれていく日本

久しぶりに実家に帰り、両親と祖父母の暮らす生活をゆっくりと眺めていました。
祖母は要介護者であり、私の両親が世話をしています。
地元の様子を聞いていると、老人介護の話題が多く非常に考えさせられた帰省でした。


■長寿は善か悪か?
日本は屈指の長寿社会になった。私の出身の長野県はその中でもトップクラスの長寿県である。今回の帰省で感じたのは、本当に老人が多い事。さらに要介護者が多い事である。高齢者福祉の増加はいつごろから急増したがデータはあさっていないのでわからないが、介護が必要になるまで長寿化したのは90年代とかなのかなと思う。私の母の祖父母(私の曾お爺さん、曾お婆さん)は、母が高校生の時には亡くなっており、介護は行わなかったそうだ。長生きすることは倫理的に考えれば喜ばしい事であるが、人の手を借りて生き続けることははたして善なのだろうか?


■介護、高齢福祉による損失
・介護に向かう労働力
・介護する家族の時間(労働時間、消費時間)
・介護による心労
・子供福祉への投資金額の減少
ドラスティックに考えると、社会的に大きな損失である。私の母もまだ働ける年齢ながら介護のために仕事をやめた。


■長寿社会は経済を回すか?
諏訪中央病院名誉院長蒲田實氏の講演にて蒲田氏が以下のことをおっしゃられていたとか
「老人はお金をかなり貯めている。経済の活性化のためにもお金を使うべきだと思い、在宅訪問時にお金を使うように言ってみる。すると”老後が心配だから・・・”と80歳、90歳の老人が言うんです。」
日本の個人資産の80%近くを持っている老人はお金を使わない。
老人に金を持たせても経済は回らないようだ。


■長寿化は止められない。
とは言え、長生きするなとは言えない。
国は老人にガンガン年金を払い、ガンガン保険料を払っている。
企業は企業年金を老人にガンガン払い、老人福祉施設など産業として発展性が高いと思えない分野にガンガン投資をしてる。
その背景で、日本の経済力は衰え、若者は満足なお金を得られず、少子化は加速していく。
まさに、日本が老人に埋もれていくように感じる。


■他人の高齢者と私の祖父母
私は長寿は悪だと思うし、私は自分で身の回りの管理ができなくなるほど長生きはしたくない。70代で逝けたらいいと思っている。
しかし、同じセリフを私の祖父母には言えない。むしろ長生きしてほしいと思うし、介護されていても元気に過ごして欲しい。家族だけは特別視してしまう非常に複雑で難しい気持ちを抱いた。


からさわ

【社会】 311による情報新時代の幕開け

東日本大震災により被災した多くの皆様に、心よりお見舞い申し上げます。


メディアの在り方やマスメディアの問題についてはインターネットの拡大と共に緩やかな変化が起こっていました。その流れの中、このたびの震災により変わりつつあった日本の情報流通の形態が大きな転換期を迎えたように感じます。


■マスメディアの情報加工の露呈
これまで、新聞テレビに代表されるマスメディアの情報は信頼性の高い情報であると、絶対的な信仰がありました。しかし311という我が国にとって未曽有の天災があったことで、マスメディアが行っている情報の加工が多くの人の目にさらされたように感じます。
これまで、一次情報に接することができる人間は非常に限られていましたが、ユーストリームやニコニコ動画によってこれまで限定されていた記者会見などの様子を一般人が直接目にすることができることが、多くの人に認識されたのではないでしょうか?一次情報に一般人が接触でき、自身の感想や解釈を持った今回、マスメディアの解釈と自身の解釈のかい離を感じた方が多いように思います。テレビや新聞が本当のことを伝えているのか、疑問を持った方が増えたと信じています。
特に東京電力関係のマスメディアの報道は、両者に利害関係があるため一般人には納得のいかない情報提供がマスメディアから垂れ流されていました。
「マスメディアの情報は加工されている。」当たり前のことですが、それに気づいた人が増えた。それがこの311以降の大きな変化だと思います。
また、”ニュース”(最新の情報)の仕入れ先がマスメディアだけではなかったことも大きな変化だと思います。


■ソーシャルメディアの躍進
マスメディア神話に疑問が投げかけられる中、発言権を強めたのはソーシャルメディアでした。今回はtwitterが特に力を発揮しましたが、情報を個人が発信できるyoutubeなどの動画投稿サイトもマスメディアでは見られない現場の真実や、専門家の生の声を一般人に届け続けました。
嘘やデマも発信されたとは言え、新しい情報流通の光を見せたことは間違いないと思います。


■マスメディアの役割はどうなるか?
今回の震災で、情報流通のあり方は、大きな転換期を迎えていると言えます。私たち一般人はソーシャルメディアの発達により情報発信者になれるとともに、膨大な情報の海の中に投げ込まれたと言えます。ネット上の言論統制(?)といった馬鹿げた国の動きもありますが、ソーシャルメディアによる情報量の爆発はますます加速するでしょう。一方で、ソーシャルメディアは万能ではありません。人により必ず情報が偏ったり、裏付けデータのない情報を信じる可能性も高いです。
一次情報や、より地域に密着した情報を得やすいのはソーシャルメディアでしょう。その部分で今後マスメディアが勝つこと、スクープを飛ばすことは難しいと思います。そのような流れはこれまでもありましたが、スクープを重視するあまり捏造やヤラセを行ってしまっているのが現在のマスメディアであるように感じます。
今後のマスメディアの在り方として、一次情報にこだわるのではなく、ソーシャルメディアで関心の高い事象の検証や、専門的見解、より深い解釈の提供などが求められるのではないでしょうか?
それが果たしてマスメディアしかできないか?と問われると何とも言えませんが・・・


■一般人は情報にどう立ち向かうか
双方向性どころかあらゆるところから情報が発信される時代になったことが改めて証明された中、一般人はどのように情報に対じすれば良いのでしょうか?一番重要なのは、「自分で情報を咀嚼する力を付ける」ことです。誰かがAだと言ってもそのまま信じるのではなく、本当にそうか必ず自分の頭で考えるようになることです。情報リテラシー、自分でなぜそうなのか考える力を意識的に付けるとともに、教育面でもそのような力をつけるための施策が必要だと思います。


からさわ

【アニメ】 視聴アニメ短評 2010-2011年 冬

2010年~2011年冬に視聴したアニメを短評します。
忙しい中よく見てたな・・・


(あいうえお順)
■「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」 萌?ギャグ?
笑いました。AGE探検隊、男子高校生のノリってあんなんですね。
笑いましたがくだらないです。
しかし、18禁コーナーに高校生が平気で入る描写増えてますね・・・
これはOKなんでしょうか?


■「みつどもえ 増量中!!」 ギャグ
2期。
笑いの取り方は上手いです。
下ネタですが間や、勘違いの作り方などテクニックを感じます。


■「これはゾンビですか?」 ?
すみません。全く受け付けませんでした。


■「レベルE」 SF
ハンターハンターの富樫さん原作のアニメ。
話の作りが上手い。富樫さんは天才だと思った。
エンターテイメント性高し!


■「ドラゴンクライシス!」 ?
え?ダメだ・・・


■「君に届け 2期」 青春 学園
青春ストーリーの王道。
良いんじゃないでしょうか。


■「IS<インフィニット・ストラトス>」 キャラ
可愛い女の子が出てくるバトル物だが、王道中の王道!
ある意味ここまで基本に忠実に作るのはすごい。
ストーリーは面白かったかどうかわからないけれど、
アニメ化で原作は馬鹿売れ。クロスメディア戦略の大勝利!
キャラマーケティングとしては最高の出来では?


■「フラクタル」 SF
一番期待していたのに・・・
設定の勝利だと思っていたが、その設定を活かしきれず・・・残念っ
ベーシックインカムやネット依存へのアンチテーゼとなるかと思っていたのに、
お花畑をふわふわしている印象しかない。
本当に残念。もう一回やって欲しい。


■「放浪息子」 人生
多感な中学生を描いた異色作品。
心理描写は上手く、リアリティがあった。
リアルすぎる分、どこか心が痛く単純に楽しめなかったのは年をとった所為だろうか。
男女の境目はこれからますます見分けがつかなくなってくると思う。
そういう意味ではセンセーショナルだった。


■「とある魔術の禁書目録Ⅱ」 ファンタジー
展開早すぎ。これはこれでありだが夜アニじゃない。


■「フリージング」 バトル
中途半端だった。二期があるのか?


■「魔法少女まどか☆マギカ」 魔法少女
一人勝ち!社会現象になるのではないでしょうか?
希望と絶望、奇跡と代償、力と犠牲、理不尽な暴力、まさにこの世界の残酷さを表していたと思う。
正義も悪もなく、ハッピーエンドはない。変えられたものは一部だけ。救えたのは一部だけ。不を消し去ることはできない。そんな当たり前をアニメと言う形で目の前に突き付けられたように感じた。
夢を見させるのもアニメや映画の仕事だが、
現実の社会を見せるのもアニメや映画の重要な仕事だと思う。
そういう意味では、このアニメは今後重要な位置づけになるのだろうと思う。




個人的に、このクールの当たりは「魔法少女まどか☆マギカ」くらいでした。
どうしようもない世の中の不条理を伝えることって大切だと思います。
そんなアニメが増えて欲しいです。


からさわ

【サッカー】 継続と組織力と人材 アルビVS神戸2011年J1第9節

J1第9節のアルビレックス新潟対、ヴィッセル神戸の試合をテレビ観戦しました。
東日本大震災の影響で延期され、リーグ戦は4試合目。
アルビは1勝2分、ここ2試合は先制するも追いつかれてドロー。相性の良い神戸に対して、ホームで勝ち星が欲しいところ。


アルビのシステムは4-4-2。メンバーは、GK東口、DFは右から藤田、鈴木、千葉、酒井。MFは右から今季初先発の小暮、三門、本間、チョ。FWはブルーノ・ロペス、ミシェウの2トップ。


■ブルーノ・ロペスの今季3点目でアルビが勝利!
連戦にも関わらず、前半から両チームとも非常にコンパクトな陣形を保ち、攻守に渡って締まった展開となる。
両チームとも決定機を作るがなかなかゴールを決められない。激しい試合展開が続く中、74分に右サイドの藤田のスローインからチョ・ヨンチョルがペナルティエリア内で受けたボールをヒールキックでダイレクトにさばき、落としたボールを今シーズンからアルビに加入したブルーノ・ロペスがボレーシュートで叩き込みアルビが先制する。
その後、両チームとも決定機を作るが決め切れず、アルビが1-0で勝利。ブルーノ・ロペスの今季3点目でアルビが2勝2分けの勝ち点8とした。


■ボールの収まらない落ち着かないゲーム
アルビ、神戸共に、中盤をコンパクトに保ち、最後まで運動量が落ちることなく攻守の入れ替わりの激しいナイスゲームを演じた。共に組織的なプレッシャーが効いており、隙のない展開であったが、攻撃は一本調子で変化に乏しかった。
神戸はアルビのFWミシェウやMF本間にうまくプレッシャーをかけ、ゲームを作らせなかった。一方で神戸もMFに入った大久保がアクセントとなろうとしていたがうまくボールが集まらず、変化を付けられなかった。両チームとも試合をコントロールできる選手がいなかったことで、全体的に落ち着かないゲームになってしまった。
上位チームになるとリズムをつかめない時間帯でも、ゲームをコントロールする選手がボールを落ちつけて主導権を渡さず、相手の勢いをそぐことができる。しかし、戦力的にも中位のアルビと神戸は、ゲームコントロールができず、リズムの良い時、悪い時の差がはっきりと出てしまうのは課題と言える。


■2011年アルビの戦力は?①
アルビは今シーズン、昨シーズンからレギュラーではDF永田、西、MFマルシオ・リシャルデスが抜けた。CBは一昨年の千代反田に引き続き、永田が移籍したことで、2年でCBコンビが総入れ替えとなる異例の事態となった。また、4シーズン在籍したMFマルシオ・リシャルデスは、まさに新潟のキングと呼べる選手であり、アンタッチャブルな存在であったが、とうとうアルビを離れることになった。見方によっては飛車角落ちともいえる状況の中、黒崎監督がどのようなチームづくりを行ってきたのか、実際目にするのは今回が初めてで楽しみであった。
守備陣は右サイドバックに札幌から移籍してきた藤田が収まり、センターバックは同じく札幌から移籍の石川、89-90年組みの鈴木が起用されている。今日の試合は大きな破綻はなかったが、局面での連携や対応などまだまだ若さが見えそうではある。しかし、チーム全体でプレスが効いていることで大きな戦力ダウンになっていない。
一方攻撃陣は、マルシオ・リシャルデスの抜けた右MFには三門、今日は小暮が入り、FWにはブルーノ・ロペスが起用されている。ブルーノ・ロペスはアルビが待ち望んだエジミウソン以来の本格派ストライカーといった印象で、日本に馴染んでこればもっと活躍が期待できそうである。しかし、マルシオの穴は埋めきれていないようであった。


■2011年アルビの戦力は?②
攻撃面では、マルシオの穴が大きい一方で、期待できる面も見つかった。昨シーズンからブレイクしていた左MFのチョ・ヨンチョルが今年もさらにスケールアップしそうな期待を抱かせてくれた。また、今シーズン途中出場のチャンスを与えられている89-90年組のFW川又も、戦力として期待できそうになってきた。シーズン途中で川又がスタメンを取れるほどレベルアップしてこれば、ミシェウをMFで使うことができマルシオの穴はふさがりそうでは?と感じた。鈴木、小暮、川又といった89-90年組と言えば、アルビが初めて高卒選手を大量獲得したシーズンのメンバーであり、彼らが育ってきたのはどこか感慨深いものを感じる。
2011年は力を付けるシーズンと位置付けることができれば、今のメンバーを維持できた場合、来シーズンはかなり好成績を期待できる素材はそろっていると感じた。しかし、ここ数年はレギュラーが毎年引き抜かれているが・・・


■継続と組織力と人材【アルビスタイル】
ここ数年、レギュラークラスの移籍が絶えないアルビであるが、しぶとくJ1の舞台に喰らいついている。今日の試合を見て、改めてアルビの戦術の継続性のたまものであることを感じた。始まりは2004年の鈴木淳監督就任からであるが、4-4-2をベースとし、プレッシングとサイドバックの攻撃参加がベースの戦術は2011年にも繋がっている。
サッカークラブは監督が変わるたびにスタイルが変わることの方が多いし、同じ監督であっても成績によってチームのスタイルを変えることも少なくない。そんな中、成績の上下に関わらず、同じやり方を貫き通してきた、鈴木監督(現大宮)、黒崎監督には頭が下がる思いである。
アルビの経営規模を考えると有力選手を長期間契約することや、新たに獲得し続けることは難しい。そんな中、戦術を継続し続けたことで、他のクラブにはない組織力をクラブとして身につけて来た。その結果、どんな人材が来ても、ベースは同じであり、人材に左右されない共通認識を植え付けることに成功している。これが毎年主力を奪われても戦えているアルビの強さ、アルビスタイルである。
組織をつくるとき気を付けるべき点は、「誰かが抜けたら働かなくなる組織作り」になってしまわない点である。これはサッカーだけでなくどのような組織にも当てはまる。人材によってパフォーマンスは上下するけれど、組織として機能する機能美、組織力が今のアルビを支えているのだと感じた。




からさわ