2014年を振り返る

2014年は個人的に苦悩が多く、非常に大変な一年だった。

僕は2012年6月に5年間勤めた会社を辞めた。最初に取り組んだ事業では組んだ人と方針が合わず2ヶ月で僕が手を引き、大金を損するだけで収入のない2ヶ月となった。それからフラフラと個人で仕事を受けて何とか食いつないでいて、いつの間にか「ライター」を名乗るようになった。ライターを名乗るようになった理由は2013年のはじめ頃に仕事内容を見たら、執筆案件の割合が増えていて、それが自分も一番やりがいを感じる業務だと思ったからだ。そこからは、執筆案件を中心に仕事を受けてきた。

そんな僕が、2014年に力を入れて取り組んだのが「にいがたレポ」というウェブサイトの運営だ。僕はライターと名乗り執筆案件を請け負っていたものの、なかなか署名記事も少なく、自分のやりたい企画と依頼される企画の間にギャップもあった。それであれば自分が好きにできる媒体を持ちたいと思うようになった。インターネットやSNSという誰もが情報を発信できるツールが後押ししてくれ、僕は自分のメディアづくりに取り組んだ。

そもそも僕は「フリーランス」というものに、憧れはあったが、自分がそれで食べていこうという気があったわけではない。いろいろな失敗が重なり、就職先も確保できず、やむを得ず一人で仕事をしているだけである。本当はどちらかと言うと、仲間と一緒に仕事をする「会社」を作りたかったし、いろんなメディアに書くよりはひとつのメディアを育てる仕事がしたかった。

だから「にいがたレポ」は僕だけのメディアにはしないことを最初から決めていた。そして、2013年11月頃にようやく「市民ライターが新潟のまちを紹介する」というコンセプトを思いつき、実行に移すこととなった。時はSNS最盛期。多くの人がFacebookやtwitterで情報発信をしていた。きっと彼らに「もっと読まれる場」を提供することができれば、情報を発信したいという人(=市民ライター)が集まってくるに違いないと思っていた。事実2014年12月までの1年間で50人以上もの市民ライターが「やりたい」と手を上げてくれた。にいがたレポのコンセプトの目論見は間違っていなかったと思う。

一方で、僕は早く自分のメディアだけに集中したいと思い、2014年6月までに「にいがたレポ」のマネタイズを図ろうと思っていた。つまり、立ち上げたメディアを半年で収益化し、自分一人は食べていけるだけのお金を稼げればいいなと思っていたのだ。そのため、にいがたレポには広告費等を含め6月までに数十万円のお金を投資をした。それとは別に毎日記事を更新するのに取材費や労働力を確保した。文字通り身銭を切って、身体を張っていた。

結論から言うと、そんな短期間での収益化は無謀だった。そんなのは当たり前で、地方のローカルウェブメディアが即マネタイズできるわけがないのだ。僕は興奮状態になると周りが見えなくなり、根拠なく「いける!」と思ってしまうのだが、それが悪い方向に出た。2012年に会社を辞めて新しい事業を始めた時と似ている。しかし、2年間一人で仕事をしてきたものの何者にもなれていなかった僕は早く結果を出したいと焦りすぎていた。いち早く結果を出したいと思い、そのためメディア運営に集中しようと、それまで固定的に収入となっていた東京の仕事を断ったりしてしまったり、市場調査案件を受けなかったりと、個人の収入源を大幅に削ってしまっていた。

一方で、新規のメディアという意味では、にいがたレポは順調に読者を増やし、市民ライターも増やし、その存在感を増していった(ように思う)。初月は3,000程度だったPVは数万に届き、SNSフォロワーも4,000人を超えた。初めて会う方に「にいがたレポ読んでます!」と言われた時には涙が出そうになったが、そういう人も増えてきて本当にありがたかった。さらに、にいがたレポで地域情報を発信しているおかげで、ライティングの案件が思わぬところから入ってくるようにもなった。

しかし、サイト単体でのマネタイズはなかなか難しかった。というか僕自身、日々のサイト更新、ライターとのやりとり、取材。もちろんそれらはお金を産んでいないので、自分が食べていくために別のライティング案件もたくさんこなさないといけない。結局、営業に行く時間や気力を確保できなかった。僕には営業力というか新規開拓能力があまりなく苦手なのだが、気持ち面でも余裕がなくなって益々営業から遠ざかってしまっていた。それではマネタイズできるわけがない。結局、アドセンスの広告収入と、いくつかの取材記事の依頼といった所で、2014年中にサイトで上げられた売上は50万円にも満たなかった。

そんな訳で、生活に暗雲が立ち込める。なぜか年始に仕事の整理をし減らしてしまった僕は、夏頃から焦り始め、フリーライターとしての仕事を増やし始めた。にいがたレポという媒体を運営しているおかげで声をかけてもらえる仕事も多かった。そんな中で声をかけてもらったビック案件が、アーススターエンタテイメント社が出版している都道府県のあるあるネタを扱う「おきてシリーズ」の新潟版「新潟のおきて」の執筆だ。初めて本を作る仕事は、本当に多くの人に協力いただき完成することができた。貴重な経験だったし、本を出したというのはフリーランス生活の中でも一つ結果が出せたのではないかと思う。まぁ、ビック案件と言っても「本を出す」という行為が僕にとってビックなのであって、制作の労力と協力者への謝金支払いを考えると初版だけでは正直赤字。増刷がかからないとかなり厳しいのだが……これは来年増刷がかかることに期待しよう。

2014年9月頃から、生活のための仕事が増え「にいがたレポ」にかける時間が徐々に減ってきてしまった。にいがたレポをマネタイズしたいと思う一方で、即収入につながらない。そして、生活のかかっている僕一人が収益化を願っていて、他の市民ライターにとってはマネタイズなどどうでもいい話でもある。更新頻度だって「毎日」である必要性があるのか?マネタイズやPVアップ以外に、僕もあまり理由を説明できず「書いてくれ書いてくれ」とお願いするばかり。何だか市民ライターに悪い気がしてしまい、もともとコミュニケーションは得意でない僕は、市民ライターさんとのコミュニケーションがうまく取れなくなってしまった。それは、今も同じで、どうやって協力をお願いしようかとか、どうやって意見を言ってもらおうかとか、すごく迷っている。人付き合いがヘタで、マメでなく気まぐれで、ケアが下手な僕は市民ライターさんに負担ばかりかけて何も返せていないと、現在進行形でどこか気落ちしている。

ともかく、2014年11月には本を出して、そしてフリーライターの仕事も割りと入ってくるようになっていた。同時に、にいがたレポに割ける時間は減ってしまった。「自分のメディアを収益化させる」という点から言うと、完全に失敗した年になった。始めにも書いたが、僕はフリーライターとしていろんなメディアに露出するよりは、一つのメディアを育てることに興味があった。一人でやるよりも組織化して皆で何かをしたいと思っていた。そういう希望は今年、ついに叶えられなかった。皆でやるという実感もなかなか持てず、自分一人で右往左往していたようにも思う。

ただ、個人的に「にいがたレポ」のコンセプトは好きで、とても可能性を感じている。マネタイズは焦りすぎただけで、じっくりと育てていく方法もあるのではないかと思うようになった。そうなると、「にいがたレポ」は個人活動としてやりつつ、別に生活費を稼がなくてはいけない。と言ってもそれは今までとは変わらないわけだが……。それでも個人の中で「にいがたレポ(=自分のメディア)を長く続けて育てていくために、食い扶持を別に確保する必要がある」と気持ちを整理できたのはよかった。

そんなことに気づいたらもう2014年が終わろうとしていた。個人事業主生活も2年半になった。自分の能力や限界が見えたいい期間だった。2015年には僕も30歳になる。禁煙も達成した。たくさんの人と出会った。きっと2015年が僕の人生の新章がスタートする年になると思う。

 

2014年視聴アニメ一覧。今年はあまりみなかった。

今年見たアニメ一覧。

  • アルドノア・ゼロ
  • 寄生獣セイの格率
  • 残響のテロル
  • シドニアの騎士
  • ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース
  • 世界征服〜謀略のズヴィズダー〜
  • 東京喰種トーキョーグール
  • のうりん
  • 信長協奏曲
  • ピンポン THE ANIMATION
  • Fate/stay night Unlimited Blade Works
  • 鬼灯の冷徹

 

ピンポンと寄生獣はアニメ化してよかった!!すごくよかった!!!

アルドノア・ゼロはただのバットエンドルートだったけど、結構好きだった。でもアルドノア・ゼロってタイトルが覚えられないから人に伝えられなかった。残念。

シドニアの騎士は熱かった!特に宇宙船の急な方向転換のせいで、Gが変な方向にかかり、人が壁に打ち付けられてぺちゃぺちゃって潰れていく描写が素晴らしかった。一人でうおー!と叫んでしまった。

トーキョーグールと信長協奏曲はアニメ見てから原作のマンガ読んで好きになった。ありがとう。

 

来年は「ジ・オリジン」!!!それだけが楽しみです。

【お知らせ】コムズタリアンの会を発足いたしました

コムズタリアンの会を発足いたしました。

 

なかなか日常生活ではできない小難しい話をしたい。

ついつい理屈っぽいことを話し始めて周りに引かれてしまったことはありませんか?そんな理屈っぽい小難しい話が大好きな人、所謂「コムズタリアン」が集まり交流する。そんなコミュニティです。

 

みなさまの入会をお待ちしております。

 

facebookグループ:https://www.facebook.com/groups/770742559685745/

 

【今日どう?通信】「寄付」は社会と心への投資

今日どう?通信 2014年12月25日寄稿

まちがイルミネーションに彩られたクリスマスシーズン。皆さんのところにはサンタクロースは来ましたか?

クリスマスと言えば「タイガーマスク運動」!と言いたいところですが、覚えている方はいらっしゃいますか?2010年12月25日に「伊達直人」(タイガーマスクの主人公)を名乗る30代のサラリーマンから、群馬県の児童相談所へランドセルが送られました。これをきっかけに、全国各地の児童養護施設へ「伊達直人」の名前で寄付がと広がり、タイガーマスク運動と呼ばれるようになりました。全国に善意の輪が広がった素晴らしい運動でしたね。

一方で「寄付をした」というだけで、ここまでニュースになるということは、「日本は諸外国に比べて寄付文化が根付いていない」と指摘する人もいます。専門家の中には「日本では寄付は恥ずかしいという気持ちが出る」と指摘。実は慈善活動をしたいが、照れくさかったり、方法がわからなかったりする人が多いのではとの分析もありました。
タイガーマスク運動は「匿名」という点、そして「児童養護施設へ寄付」と慈善活動の方法までわかりやすかったからこそ、一気に広がったのかもしれません。もちろん日本人的な「祭り」の要素も多分にあったのでしょうが……。

せっかく全国に広がった「寄付」ですが、一過性のブームにしてはいけませんね。社会性の高い市民団体やNPO団体などに寄付をすることは、その活動の継続を支え、必ず社会にポジティブな影響を与えてくれるはずです。

しかし、寄付の効果はそれだけではありません。実は、最新の心理学の研究などでは、「ほかの人にお金や物を与えることにより、自分が使う以上の幸福感が得られる」ことが実証されてきました。つまり、寄付をすると自分も幸せになれるんですって!

日本初の寄付本『世の中を良くして自分も幸福に慣れる「寄付」のすすめ』では、著者の近藤由美さんが初めての寄付にチャレンジ。その体験から「良いことをしたという記憶がポジティブに働き、心が豊かになる」と語っています。誰かを助けたり、手伝ったりしたことが自己肯定感につながるというのは納得できそうな話です。

寄付と言っても、提供するのはお金とは限りません。物品や労働力、知識や専門的なスキルなどを提供するのも立派な寄付と言えるそうですよ。

「寄付をすることで社会も良くなるし、自分も幸せになれる」なんて聞くと、何だか心がほっこりしてきますね。「自分の心に投資する」。そんな寄付文化が日本にも広がりますように。

 

お金の魔力は「価値貯蔵」。これを壊せばベーシック・インカムも行ける気がする!?

お金について考えてみた。

 

お金の役割は、「価値尺度」、「流通手段」、「価値貯蔵」の3つ。

 

このうち価値尺度は言い換えれば価値の単位。ダイコン1本とカニ一杯の価値を比較する際にそれぞれの価値を数値化し、最後に「円」とつければ比較できる。ダイコン150円、カニ4000円なら、カニの価値はダイコンの約26本分とわかる。じゃあエビは?牛は?とそれぞれの価値を図る尺度になるのがお金だ。物々交換は大変だけど、お金に換算すれば一発OK!という感じ。

 

「流通手段」は軽くて持ち運びに便利ということ。金銀やダイヤは重いしかさばる。物は言わずもがな。しかし、お金は軽い。しかも、今はお金はただの数値のやりとりでしかないため、クレジットカードや電子マネー、ATMの振込でも現金を持ち歩かなくても取引できるなど、超流通しやすいのだ。便利~

 

最後の「価値貯蔵」はいつまでも使えるということ。魚は日が経つと腐って価値がなくなるが、お金は価値を貯めておくことが出来る。だから先に頑張ってお金を稼げば、後で働かなくても何かを買うことができる。お米よりもずっと貯めておける。ダイコンを10本売って得た1500円は、いつでも好きな時に1500円分の価値交換を行使できる権利を得たことになる。

 

で、個人的にこの「価値貯蔵」は結構厄介だと思う。

というかこれがお金の魔力の源だと思うからだ。貯めておける=いざという時=保険。いつか◯◯な時に備えて。そういう心理を生むし、それは当たり前だ。不安の解消や危険からの回避は生き物の本能だもの。

しかし、恐怖からくる出し渋り=貯蓄が、投資や消費を控えさせ経済を不況にする現況になっている。

 

とは言え「不況になるから皆使え!!!」では、みんな絶対に使わない。

というか、皆がお金をじゃんじゃん使っている時に、こっそりと少しずつでも価値貯蔵を増やしていくと、そいつが一人だけ周りを出し抜いて将来楽ができるようになる。アリとキリギリスのアリが得するのが資本主義だというのは自明で、キリギリスは冬(=トラブル)があるとそれを乗り越えられない。

お金は社会の血液で、入ってきた分全部使ってしまうのが本当はいいはずなんだけど、皆が「いつか◯◯の時に」と思って、貯めたがる。言ってしまえば、そうやって「ズルする奴が得する」のが今の社会で、そのシステムを創りだした根源がお金の持つ「価値貯蔵」の機能なのだ。

 

正直な所、一時的な頑張りで得た対価が、永久に価値が貯蔵されていくというのは原理的に考えておかしいように思う。運もあるし、時代性もある。遺産だってそうだし、たまたま金持ちの家に生まれただけで、勝手に価値を行使することができるのは、果たして正当な対価と言えるかは微妙だと思う。

 

では、その価値貯蔵に対応するためにこれまで何が行われてきたかというと、ゆるやかな「インフレ」を起こすこと。インフレとは物の値段が上がり続けることで、そうすると貯蔵した価値が目減りする。

つまり、「昔の10円」の価値は今と比べるとたいそう高かった、というのは聞いたことがある人が多いと思うがそういうことだ。かつて大金だった10円を貯蓄していても、将来10円では何も買えなくなるかもしれない。じゃあ早くに使っちゃおう。と心理を動かすのがインフレだ。

逆に今の時代問題視されている「デフレ」は、物の価値が下がること。これまで200万円で自動車を買えていたのが、10年後に物の価値が下がり50万円で買えるようになったとする。そうすると200万円をずっと貯金して使わなかった人は10年後に自動車を4台も買えるようになる。これじゃあヤバイ。日本の失われた20年と言われる期間は、このデフレが続いた期間でもある。アベノミクスで躍起になってインフレを目指しているのはそのせい。

 

 

前段の說明が面倒くさくなってきた……

言いたいのはこの「価値貯蔵」の機能をテクノロジーでいじることが可能ではないかと思ったのだ。

 

例えばお金を全て下記のように置き換えてみてはどうだろう?

(1)発行時間が記録された電子マネーに置き換える。

(2)電子マネーは時限的に一定の割合で目減りしていく。(100万円が1ヶ月毎に0.5%ずつ減っていく 等)

これで早く使わなきゃ損をするので消費が伸びる。

 

インフレの時は年収が伸びなければ生活が苦しくなる一方だ。アベノミクスの危険はここだと言われていて、物価が上がるのに給料が上がらないという最悪のパターン(スタグフレーション)が起こる可能性を指摘されている。しかし、この「減る電子マネー方式」だと、物の価値はそのままで、お金そのものが時間軸に比例して減っていくだけなので、給料は今のままでOKとなる。

そして、お金を貯金しているのは不利なので、より減り幅の少ない金融商品に投資をさせるように誘導する。

そんなふうになる気がするんだけどなー、という壮大な妄想。

 

例えばこの減る電子マネーは、ベーシック・インカムとして国が社会保証に使ってもいい。

ベーシック・インカムの話をすると、必ず「労働意欲が削がれる」と怒る人が居るのだけれど、ベーシック・インカムとして配られたお金は目減りしていく電子マネーに。一方、ちゃんと働いて得たお金は目減りしない「現金」とすればいい。

ベーシック・インカムは減る電子マネー。それが嫌なら働こうとすれば労働意欲も保たれるのでは?と思う。

東浩紀氏は、「ベーシック・インカムは電子マネーで配布し、使用データを全て政府がログを見れるようにすればいい。働いて得たお金は用途がわからず匿名性の有るお金にする。そうすると匿名の金を得るためにみな労働する」と言っていたが、さらに「減る」となれば結構インパクトが加わるはずだ。

 

ということで、古来より「価値貯蔵」という魔力を持ってきたお金。テクノロジーの力で、どうにかその魔力を軽減できないものだろうか?「お金がない世界を!」っていう人もいるけれどそれは無理だと思うので、現実的な解を探して行きたいです。

長々妄想を読んでくれてありがとうございました。

12/5「にいがた移住シンポジウム」のツイートまとめ【表】

12月5日に「にいがたイナカレッジ」がアオーレ長岡交流ホールBCで開催した「にいがた移住シンポジウム」に参加した。

 

第一部「里山資本主義から若者移住を考える」14:05~15:35

講 師:藻谷 浩介(日本総合研究所調査部主席研究員)

第二部 藻谷浩介×移住女子トークセッション 15:50~16:55

「若者が移住しやすい・したくなる地域づくりを考える」

◆スピーカー:

・藻谷 浩介

・坂下 可奈子(移住女子/Iターン)

・渡辺 紗綾子(イナカレッジインターン生/Iターン)

・栗原 里奈(移住女子/Iターン)

◆進行:

・金子 知也(イナカレッジ事務局/Iターン)

 

藻谷氏は「里山資本主義」で話題になった人。

 

当日の自分のツイートを記録しておく。

 

 

豊かさを考える

経済とは交換の規模のことで、交換が活発な方が「豊か」であるようだ。

人間一人が生きていくのに必要な食料や住居を一人で作って自給自足して生きているのは「豊か」とは違うみたいで、この辺りが面白い。

 

仮に10人の村が2つあるとする。

一つの村は全員がそれぞれに自分の食料や家、衣服を作り道具を作り暮らしている。食事も各々が作る。

もう一つの村は、それぞれに担当がいて、それを交換しあって暮らしている。農業をする人や家を作る人、それぞれが役割分担している。

この2つの村は後者の方が交換が盛んな分、豊かだという。そして、多くの人を養うことができるのも後者の村だ。交換が富の分配にもなり、効率化ができ、生産力も向上するからだ。

何となく10人規模だと分かりやすい。

 

だが、この分業の規模を広げて県や国、あるいは世界全体でしようとすると一気にわけがわからなくなる。というかマイナスに働くこともある。

特にグローバル化をした結果の今の不況がそうだ。

全ては規模の問題なのだろうか?

それとも資源の有限性が決めるのか?

豊かさとは一体何なのだろう?

 

お金は、この交換の量を数値化したもののように見える。GDPとは「国内でどれだけ交換があったか?」でその単位が「円」。

「お金を稼ぐ」ことは「交換をする」こと。

 

交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ交換しろ

 

これで本当に社会は豊かになるのか?人は幸せになるのか?

全ては規模が決めるのか?

どの規模が最適か?

 

もやもやは続く。

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よかったらぜひ!!