2014年10月のnote日記一覧

日記帳

noteというサイトで日記をつけている。

と言っても10月31日からつけはじめたので、最近だ。なので全然アクセス数もないので寂しく思っている。なのでこのブログからも日記への誘客を図っていこうと思う。

 

【2014年10月の日記一覧】

noteの使い方迷っていたけれど日記でも書こうかなと思った

2014/10/31 初めて本を書いた

 

ということで10月は2記事のみ。11月は気が向いた時に書いているのだが、今は気が乗っている時期なのか既に6記事くらい日記を書いている。想定読者は未来の自分なので、人に読んでもらうものでもないのかもしれないが、結構私小説っぽくて面白い人には面白いと思うので、気に入ってくれた人は是非noteをフォローしてほしい。

 

【お知らせ】独自ドメインを取りました

10月末に独自ドメインを取得しました。これまでBloggerで「からさわブログ(http://y-karasawa.blogspot.jp/)」というブログを個人ホームページのように使っていたのですが、なんとなく「やっぱ独自ドメインっしょ」と思い立ち個人サイトを持つことにしました。

とりあえず簡単なプロフィールページ(http://karasawayorimitsu.com/profile/)ができました。徐々にこのサイトもいじっていこうと思います。

一応主に動かしているアカウントのリンクを張っておきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

初めて本を書いた

あっという間に10月が終わろうとしている。2014年になって、もう10ヶ月も過ぎてしまったと思うと時間のあまりの早さにため息をつきたくもなる。

10月を振り返って。10月前半は初めての本を書いていた。
ほとんどそればかりで、随分苦労していた。多くの人に協力してもらい何とか締め切りに間に合わせることができたが、こんなに苦労するものだとは思ってもいなかった。

とは言え、書いたのは5万字に満たないし、僕のやっている地域ウェブマガジン「にいがたレポ」http://niigata-repo.com/で言ったら50記事くらいだし、そんなにヒーヒー言うほどのものでもない。何がそんなに大変だったんだろうかと思うが、とにかくそればかりをやっていた気がするし、常に追い詰められていた。

この経験からわかったことが2つあって、ひとつは僕の致命的な筆の遅さ。もうひとつは「本」という媒体の怖さだった。

一つ目は何なのだろう。「ライター」を名乗りながら5万字がさらっと書けない力不足。これは慣れや訓練でどうにかなるものなのだろうが、我ながら唖然とした。実際に書く時間というのはそんなに取っていないのだが、脳みそのバッファの大半を本づくりが占めてしまって、日常生活までボロボロだった。でも自分の現状がよく分かる貴重な経験だったと思いたい。

ふたつめは、「本」というか紙媒体の怖さ。もちろんこれまでに紙媒体のしごとには関わってきたが、200ページ弱の本づくりが、まるごと自分の手に委ねられる経験というのは初めてだった。本には当然ながら「始まり」と「終わり」があり、「誌面量」も決まっている。僕はインターネットで書きごとをスタートさせたから、この始まりと終わり、ページ制限に馴染みがない。インターネットは垂れ流しメディアだし、情報の追加がいくらでもできる。「あそこを載せたから、こっちは載せられない」なんてことは基本発生しないのだ。しかし、本は違う。ここをカットしたら、もう二度とこの項目は、このエピソードは追加することができないという制約がある。これはものすごく怖いと思った。もう、本を作っている段階から、これを削ったから叩かれるかな?と発売後のバッシングが怖かった。発売は11月25日の予定だが今から胃が痛くて仕方がない。

始まりと終わりを決めるということは、時間を止めるということだ。そして、創作を止めるということでもある。それは、完成させるということだ。

インターネットというのはどこか完成のないメディアのように思う。僕のブログにしろウェブマガジンにしろ、後からいくらでも追加変更や削除できるウェブは、完成がない。紙媒体は完成してしまえば、消せないし、残り続ける。それは怖いことだなぁと改めて思った。

大体、今回は新潟県の「あるある本」という面白本の一種だが、これは僕の「思想」や「ノウハウ」など個人の考えを書くテーマではない。客観的事実を面白おかしく紹介するというものだ。しかし、ご当地あるあるとなると、一見軽そうだが、多くの人の地元への愛憎の念が渦巻く非常に難しいテーマなのだ。これがあるあるだ!と言うのは結構責任とストレスを負ったし、プレッシャーが筆の進むスピードを大きく遅らせたとも言える。
まぁ、そんなに気負うことはないのだろうし、バッシングを受けたら「じゃあ貴方が書きなさいよ!」と言ってやればいいや。とようやく開き直ってきたことろで10月が終わる。


最近、中越地域との縁が濃くなってきた。中越の山の中では滅びゆきそうな限界集落に多くの若者が入ってきている。写真は旧小国町(現長岡市)で小国和紙の紙漉きをする若者の姿だ。小国和紙は今はもう誰も住んでいない山野田集落で盛んだった伝統産業だ。集落が滅んでも、誰かが技や記録を残しつづけていれば、集落は生き続けるのかもしれない。限界集落の「終わらせ方」や「記憶の残し方」に興味がある今日この頃だ。

週末は昨年の出生率がゼロだった旧山古志村(現長岡市)に牛の角突きを見に行ってくる。闘牛を追う勢子として若い人たちがたくさん入ってきたようだ。どんな気持ちで飛び込んできているのか、話を聞くのが楽しみだ。

2014年10月31日

【仕事】“環境会議2014年秋号”ライティング

環境会議2014年秋号のスープストックトーキョーの特集執筆を担当しました。

環境会議は事業構想大学院大学出版部が発行。

社会貢献クラスを目指すすべての人に役だつ情報発信を行っています。企業が信頼を得るために欠かせないCSRの本質を環境と哲学の二つの視座からわかりやすくお届けします。

とのこと。
ぜひご一読下さい。

http://www.sendenkaigi.com/books/back-number-kankyoningen/3004

読書メモ― 資本主義卒業試験 山田玲司

新潟市西区内野、内野駅の目の前にある本屋「ツルハシブックス」といえば今や全国の本屋好きの間でも認知度の高い本屋だ。そこの店主・西田卓司さんに貸してもらった一冊。
現代社会の仕組み、つまり資本主義の仕組みに疑問を持ったマンガ家の主人公が、資本主義システムの幻想を解き明かしていくというストーリー仕立ての内容。登場するキャラもキャラ立ちしており、話の展開もスムーズで、「マンガで分かる資本主義」的な解説本のようにサクサクと読めた。

資本主義に疑問をもつ主人公達が、資本主義のシステムとしての欠陥をズバズバと追求していく前半から中盤にかけては、なかなかに痛快である。「そうだ!社会は間違っているんだ!」と賛同したくもなる。しかし、後半に語られる「人間の性(さが)」というか動物としての人間の特性を論じた辺りから一気にトーンダウン。結論はそれはもう非常に物足りなく残念な本であった。

本書の最後は、「人間がなくしてはいけない3つ」が挙げられている。それは「からだ」、「師」、「自分」だそう。それを個人個人が守って大切にして、自分なりに資本主義から卒業しようというような結論だ。これでは、資本主義という大きな社会システムから目を背けて、自分なりの幸せを探そうぜというクソみたいな話ではないか。そして、そもそも資本主義事態がそういうシステムなんだから、最後まで読んで、「え?これは遠回しに“やっぱ資本主義っしょ”と言っているのと変わらないのでは?」と思ってしまった。

私は常々「社会全体を語る時と、人間個々の活動をいっしょくたに語るのは難しい」と思っている。個人の幸せと、社会の幸せが一致しないことがこの世にはままある。というか、人間はある程度の人数が集まり、社会になった瞬間に、社会という別の生き物を生み出す気がする。その生き物と人間個人の幸福は完璧にイコールになることはないのだ。この本は前半は資本主義全体の話、つまり社会システムの話をしている。その解明の仕方は痛快でわかりやすく面白い。だが、解決の段階では個人の問題にすり替えてしまって、結局社会システムに対する提案はしていない。その辺りに夢がないなぁと思ってしまう。

それにしても、こういう本で個人の生き方の結論として出る「自分を大切に」「身の回りを守る」といったものは、既にヤンキーが生活の中で実現していることである。ヤンキーは家族とか仲間を大切にして、資本主義社会の中での競争は程々に、バーベキューしたり釣りしたり、クラブで騒いだり、人生を謳歌している。それこそ資本主義や社会、政治などにも目もくれず。彼らこそが社会の勝者かもしれないと最近強く思う。