新潟市古町には古き良き日本が今も生きている 「女子だって花街(かがい) Part2」参加レポート

9月14日(土)に開催された、「女子だって花街(かがい) Part2」に参加した。
このイベントは、新潟まち遺産の会が主催するイベントで、歴史的な建物やお芸や文化が楽しめる新潟市古町を知ってもらおうという狙いだ。
イベント自体は昼の部の「シンポジウム」、夕の部「街歩き」、夜の部「お座敷体験」の3部立て。夜の部の参加費12,000円(男性)が財布に厳しく、昼の部と夕の部に参加した。

芸妓(げいぎ)さんは、サラリーマン!?:

昼の部のシンポジウムは新潟三業会館で開催された。
ちなみに、「芸者置屋」、「料理屋」「待合」の3業者のことをまとめて「三業」と呼ぶ。三業会館とはこの3業者が共同で建てた会館のため三業会館という名称になっている。さらにこの三業を指して「花柳界(かりゅうかい)」と呼ぶ。


プログラムは新潟大学教授による「花街のいろはと古町の取り組み」、対談「芸妓さん×FM PORTアナウンサー遠藤麻里さん」、京都女子大学教授西尾先生による「おもてなし産業の伝統と革新」と盛りだくさんであった。花街については、歴史も文化も触れたことない私にとっては多くの学びになった。
そもそも花街(かがい)とは、芸妓遊びのできる区域を指す名称。新潟市古町は古くから遊郭があったことで有名である。多くの人が遊郭と花街を同じものと勘違いしがちであるが、遊郭は遊女、花魁などと遊ぶ今で言う風俗と同義と言える。一方の花街とは芸妓さん、今で言うコンパニオンを呼べる区域のことを指す。
新潟市は空襲の被害に遭わなかったことから、歴史的な建築が多く残る地域である。
古町花街の特徴として、料亭がお座敷遊びの場になっている点が挙げられる。古くからある料亭は、建物の趣もあり、室内の装飾も和風だ。そこでお座敷遊びという伝統芸能が楽しめる。建物、インテリア、料理、遊び、と日本の昔ながらの伝統が今も存在するのが古町花街の独自性なのだという。いまや日本最後の純日本空間が新潟市古町には生きているそうだ。
新潟の芸妓(げいぎ)さんは、なんと柳都振興株式会社に所属する会社員。つまりはサラリーマンだ。新潟の就職イベントや合同説明会などにも出展し芸妓になりたい人を募集しているのを見たことがある人もいるかもしれない。芸妓さんの所属する柳都振興株式会社は、1987年に全国初の株式会社組織の芸妓養成及び派遣会社として設立され、日本のおもてなし文化を継承し続けている。かつて、古町芸妓は400名程いたそうだが、現在では実働は10数名。後継者を確保し育てることを目的として活動している。
柳都振興株式会社:http://www.ryuto-shinko.co.jp/index.html

京都で有名な「舞妓(まいこ)さん」は、芸妓のうち若手や新人に近い人のことを言い、新潟花柳界では「振袖さん」という。振袖さんを卒業すると「留袖さん」と、着物の着方に合わせて名称を変えているそうだ。柳都振興㈱には現在、振袖さんが6名、留袖さんが3名所属している。


トークショーでは留袖さんの「紅子さん」が、FM PORTアナウンサーの遠藤麻里さんの進行のもと、花柳界の様子を赤裸々に語ってくれた。厳しい稽古、もてなしのテクニックはまさにプロフェッショナル。芸妓さんはあまり喋らないイメージを持っていたが、そこはやはり接客のプロ。笑いを交えたトークで、いい意味でイメージが変わった。
また、京都女子大学の西尾先生からは、京都の花柳界の様子が紹介された。芸妓は英語で「マルチ タレンティド ウーマン」と呼ばれるもてなしのプロフェッショナルだ。京都でも地元からなり手が少ないために、県外や国外など外部から人材を調達している。そして、教育プログラムの整備が非常に進んでおり、その人材育成の仕組みは企業から視察が来るほどである。
一般人にとってはなかなか内部事情が見えない花柳界。その努力と役割、そして最先端の人材育成プログラムは圧巻。日本文化の保存のためにもより多くの人に花柳界に触れて欲しいと思うシンポジウムであった。

街に隠れた風情ある建築:

夕の部の街歩きでは、新潟まち遺産の会が作成した「柳都新潟 古町花街たてものマップ」を用いて、案内スタッフの元街歩きを行った。先程も述べた通り、新潟市古町のお座敷遊びは料亭がその重要な役割を担っている。そしてその料亭は古い日本家屋の建物がほとんどで、趣深い外観は日本らしい風景となっていた。
自動車でロードサイドのみを生活範囲にしているとなかなか気づかないが、新潟の中心地にもこのような和風建築の建物が残っているのかと感慨深いものがあった。街歩きは、近年観光のコンテンツとして注目を浴びているが、その土地の文化や歴史を知ることで街歩きの楽しさは増す。そんなことを感じた街歩きだった。


ライター 唐澤 頼充

Green Drinks 新潟内野vol.2 「石の上にも3年は本当か?~今仕事を辞めたい貴方へ~」 参加レポート

9月23日に新潟市西区内野、ツルハシブックスさん2階にあるカフェ「イロハニ堂」で開催されたGreen Drinks 新潟内野vol.2 「石の上にも3年は本当か?~今仕事を辞めたい貴方へ~」に参加したので自身の記憶のためレポートをまとめた。

Green Drinksとは、日本中で開催しているイベントで、Green Drinks Japanのウェブサイトには下記のような説明がある。

グリーンやサステナビリティをテーマにした飲み会「green drinks」は、ニューヨーク・パリ・北京をはじめ、アルゼンチンからジンバブエまで、世界の800都市以上で開催されているグローバルなネットワークです。

それぞれの地域でユニークな活動をしているキーパーソンなど、魅力的な参加者が集まっているのが green drinks の魅力。日本でも50箇所を超え、各地のオーガナイザーや参加者同士の交流も生まれています。

年齢や職業の垣根を越え、人と人の思いをつなげる”出会いの場”を、あなたもはじめてみませんか?

http://greendrinks.jp/what_is_gd/ より引用)

Green Drinks 新潟内野はツルハシブックスが主催。
主催者の発表によると「内野は大学生の町であることを活かし、特に「働き方・生き方」というテーマを軸にしながら、毎月第4月曜日に定期開催していく予定」とのこと。

さて今回のイベントは、20名弱が参加。参加者層は若者を中心としており、学生から会社員、自営業者、転職経験者などさまざま。
イベントは前半にゲストスピーカーとしてツルハシブックス店主の西田卓司さんがスピーチを行い、後半はグループトークを行うという流れで実施された。

西田さんは、新潟大学農学部の出身。学生時代から自分で畑を手入れしていたという少し変わった方だ。
2000年に大学を卒業後、イベント会社に就職した。しかし、先輩とのトラブルから4ヶ月でクビになり退職。しばらく旅や畑作業をしながら、様々な活動に顔を出す日々。
その後、2001年にビール会社から入社の打診をされ働くも、畑の方が大切だと思いすぐに退職。自分なりの活動を続け、翌年にはNPO法人を設立。並行して個人事業主として日銭を稼ぐ日々を送っていたそうだ。

当時、サラリーマン経験がほとんどなかった西田さんは、周りから「自由でいいね」「独立していてすごいね」と言われるものの、自分の将来を考えると不安で仕方がなかった。また、友人の結婚式の二次会などで、「今何やっているの?」と聞かれたときには、「一体俺は何をやっているんだろうか」「サラリーマンという人生もあったのではないか」と自問自答したとのこと。

しかし、29歳のある日、吉田松蔭の本を再読してから転機が訪れる。決意を新たに広島へ吉田松蔭先生の墓参りに出向き、自身の方向性を再確認。迷いはなくなった。
以降、本屋という学と教え合いの場を開業、その他さまざまな活動を精力的に行っている。

そんな西田さんが今回のイベントのテーマにしたのは、ある雑誌の対談でふと思った「石の上にも3年は本当か?」というもの。サービス業が7~8割を占める現代社会で、会社員として身につく技術が社外でどれだけ通用するのか疑問を持ったのがきっかけだ。

企業寿命が年々短くなっている中、社内だけで使える能力をいくら身につけたところで、会社がなくなれば自分も食べて行けなくなってしまう。企業が教育の余裕がなくなり、ブラック企業といった人を使い捨てる会社が問題になる中で、私たちがどのような選択をしていけば良いのか?という大きなテーマが会場に投げかけられた。

西田さんが持っている重要な考えが「多数派が正しい訳ではない」、「多様な考え方や生き方がある」ということ。
石の上にも三年と言う諺がある一方で、新卒が3年以内に辞める確立が30%と言われている。少数派である離職者ではあるが、退職する選択肢も間違いなくあるのだ。

離職する際の一つの基準として「その会社で働いていることで、自分の感性がダメにならないかどうか」を挙げた。感性を殺されるような職場なら3年待たずに辞めても良いのでは、というのが西田さんの考えだ。

そして、これからの働き方の一つとして「ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方 (著 伊藤 洋志)」を参考に挙げた。

ナリワイとは簡単に言うと「関心のあることを小さなビジネスにする」こと。それを複数もつことで収入源を分散さるという考え方が書かれている本だ。

一つの仕事で生計を立てるというのは、ここ60年くらいのもので、それ以前は皆がさまざまな仕事をしていた。高度経済成長期に生まれた一つの仕事だけを行う「専業」という考え方が、低成長期を迎え価値観が古くなってきており、今後は難しいのではないかというのが西田さんの考えだ。

その中で出会ったこの本を読み、自分がしていたことはナリワイ作りだったんだと感じ、感銘を受けたとのこと。確かに西田さんのこれまでのワークスタイルは、まさにナリワイ作り。実践者のひとりとして体験談を交えつつ新しい働き方の可能性が語られた。

「専業にならず、複数のナリワイをもつ生き方を目指す」そんな選択肢もあるんだという、西田さんからのスピーチで前半が終了。

このスピーチを受け、簡単な質疑応答の後、後半戦はグループトークが行われた。

「じゃあナリワイで食べられるの?」
「自分はこれがやりたいという意思や、関心事がないんだけど」
「皆が小さな家業で生きたら、日本経済はどうなってしまうの?」
「会社員をやりながらナリワイを行えるような人脈ってできないかな」
「誰もが自分で事業できるほど強くも優秀でもないよね」
「ナリワイで得られるお金は安定しないのでは」
「人脈をどう築けるかがポイントだよね」
「大企業に勤めながらナリワイをしている人を知ってるよ」
「まずは色々な人を手伝うことから始めよう」

などなど、それぞれのグループで様々な意見が活発に飛び交った。

もちろん、「正しい答え」なんてない。
皆が様々な選択肢を並べた上で、自分なりの決断をしていけば良のであるが、今回のイベントは、そのためのいろんな人のいろんな意見が聞ける貴重な場であったと思う。

私は所用のためグループトークの途中で退席してしまったので、みなさんからどのような意見が出ていたのかを最後まで聞くことができなかった。
非常に残念だったが、一方的なプレゼンではなく、異なる価値観の意見を聞けるというのがGreen Drinks新潟内野というイベントの良さだと感じた。
また、スケジュールが合えば参加したいと思う。

ちなみに、次回は10/4 19:00~ 特別編として「これからの本とコミュニティの話をしよう」というテーマで開催されるそうだ。興味のある方はぜひ参加を検討して欲しい。
申し込みはこちら→https://www.facebook.com/events/173228402863867/

ライター 唐澤 頼充

女は見た目!性格どころか・・・

「唐澤さん、男性が女性に求めることってなんですか?」
先日ある女性に、そんなことを聞かれた。
彼女はつい最近、紹介された男性と初デートをしてきたばかりだった。

「真面目に答えていいかな?」
一言、添えた上で私は答えた。
「やっぱり“おっぱい”だと思うんだけど」

当然、相談してくれた女性は怒った。「まてまて」とねばってだらだらと説明してみた。

おっぱいとはつまり、セックスしたいと思うかどうか。
恋愛関係になるためには、第一印象で「こいつとセックスしたい!」と思うかどうかが最も重要なのではないだろうか。

性格や価値観の一致も大切だがそれは、セックスしたいかどうかの後で見極めればいいと思う。
そもそも、性格や価値観が一致する、一緒にいて楽しいというのは、異性だけでなく同性にも当てはまる。わざわざ恋愛関係にならなくとも充足できる条件なのだ。
セックスを考えなくて良いのであれば同性と付き合っている方が気楽でいい。

もちろん、友達から始まる恋愛もある。
この人と一緒にいて、いつの間にか信頼できることに気づき、恋愛関係に発展するケースもよく聞く。
ただし、これはお互いにその気があれば幸せになれるが、片方だけが恋愛関係を望んでしまった場合は悲惨である。後者の場合は友達にとどまることもままならない。

人間とは欲深いもので、より上位の関係を欲してしまいがちだ。
男友達の中には、ある特定の性癖の人間を除いては「親友」以上のポストは存在しない。
一方で、女友達には、「恋人」または「夫婦」というポストが存在する。
そのため異性間で友情を育んでいると、どちらかがいつか友人以上のポストを欲してしまう場合が発生する。
しかし、もし一方がそれを受け入れられないと、友情も終わってしまう。
そんな悲しい関係を経験したことがあるという方も少なくないのではないだろうか。

このケースで男性が断る場合に多いのは、「いや、こいつとのセックスは絶対想像できないわー」というものが多いと思う。
こうなると、もし女性が最終的に恋愛関係を求め友達からスタートしたのであれば、最悪である。長きに渡る苦労は水の泡だ。

また、恋愛など想像していなかった男性から見れば、信頼できる友人を一人失くし「結局異性間の友情とか面倒くさい。男友達とつるんでいたほうがいいな」となってしまう。

こう考えると、異性に友情を求めるのも気が引けてしまう。
異性間の友情関係が成立する絶妙のバランスを維持するのは非常に難しく、あっという間に破綻してしまう可能性がある。
だったら親友作りは同性間でしたほうが気楽だなーと私は考えてしまうのだ。

結局男が女性にしか求められないのは、やはり性欲を満たしてくれるかどうかしかないと思う。
それ以外の要素で最高に感性が一致していても、先ほどあげた例のように、異性の友人は同性の親友には勝てないとも思うからだ。

ということで、男女間が親密になるには恋愛関係になるしかなく、そして恋愛関係になれるかどうかのキモは「相手を性対象としてみているかどうか」に尽きるのではないか、と考えた。

女性の方は、もし惚れた男が自分とセックスしたいと思っていないようであれば、恋愛するのは早々に諦めたほうが良い。

性格や価値観が合うかどうかは、セックスがしたいと思える人の中から探すので十分だ。
セックスしたいかどうかは、第一印象。結局見た目が好みかどうか。

もちろん、性格や価値観の一致などが大切なのだが、それは「十分条件」。
「必要条件」は“おっぱい”なんだよなー。

だから、もし初デートした相手とどうこうなりたいのなら、まずは自分のこと性的に見てるかどうかを見極めてからにしたら?とアドバイスをした。
「まあそう言う考えもあるかー」と、去っていった相談者に果たして参考になったかどうかはわからない。

ライター 唐澤頼充

遅いお昼ごはん (@うちのカフェ イロハニ堂)

よくPC作業でお邪魔させていただいている
うちのカフェ イロハニ堂さん(http://irohanidou.jimdo.com/)で遅いお昼。

イロハニ堂は、新潟市西区の内野駅が目の前、一階が本屋さんになっているブックカフェです。
ゆっくりと本を読んだり、談笑したりできる落ち着いたカフェです。
店主のこだわりの雑貨や、珍しい本にも注目。

 【お店情報】
〒950-2112 新潟県新潟市内野町431-2 ☎070-5080-1120 ■営業時間  平日     12:00~19:00  土日祝    11:00~19:00 ■定休日  火曜・水曜


人気メニューのグリーンカレーと、限定メニューの豚ひき肉ともやしのナンプラー炒めをあいがけしてもらいました。

最近のスマホは綺麗な写真が撮れますね。


唐澤頼充

「自分の言葉」で書く技術・初級 (山口拓郎さんの9/8新潟セミナーまとめ)

9/8に新潟市東区プラザで、セミナー「かたつむり式起業法&共感を生む文章講座」に参加した。

講師はフリーライターの山口拓郎さん、その奥様 山口朋子さんのお二人。
二人のWEBサイト・プロフィールはこちら。
山口拓郎さん→http://yamaguchi-takuro.com/
山口朋子さん→http://yamaguchi-tomoko.com/

4時間にも渡る講義のうち山口拓郎さんの文章講座の一部、「自分の言葉」で語る文章の書き方について受け取った内容を整理した。

そして、最後に講座の中で作成した文章を載せてある。
本日の成果を見ていただきたい。

「共感を生む」とは読者、読み手に「その通りだ」と感じてもらうことだ。

同意してもらうためには、相手が文章を読んだあとに、どう思ってもらうか、どのような感情が湧き上がるのかを想像しなくてはいけない。
文章を書くプロとアマの決定的な違いは、相手目線になれるか、自分目線のまま文章を書いてしまうかの差である。

読む人がどのような情報を欲しているのかを徹底的に考える。
そして、読み手が求める情報を書く事。
この2つが共感を生む文章を書く上での基本の「き」である。

もし、ここを外してしまうようであれば、どれだけ文章が上手であろうが相手の心にはちっとも届かないのだ。

一方で、読む人の欲求を満たした内容の文章であっても、共感できない、感情が動かない文章がある。

これは、正しい文章であっても、自分の言葉で語っていないことが大きな理由だ。

「自分の言葉」で書いていない文章は、得てしてそのような評価を受けてしまう。

逆に、読み手の感情を動かし、共感を得ることができる文章は、すべからく「自分の言葉」で書いてある。

では、「自分の言葉」で文章を書くにはどうすればいいのか。

それは、自分なりの「体感」を文章の中に盛り込むことだ。

具体的に言うと、体感を書くテクニックのひとつは「五感」を書く事だ。

匂いや音、触覚や味、見た目など自分なりに感じた感覚をそのまま書くことで、独自の文章となる。

また、自分のした「経験」を書く事もオリジナリティを出すためのセオリーだ。

自分の経験を文章としたストーリーは自分だけの言葉となる。

特に経験の中でも、失敗談や挫折経験といったものは文章の中に起伏が生まれ、読み手の共感を生みやすい。

自分の言葉で書かれていない、例文を見てみよう。

例文:

のっぺ~家庭に根ざしたポピュラーな郷土料理~

のっぺは、どこの家庭でもよく作られ、よく食べられています。片栗粉などを用いず、里芋で自然なとろみをつけているのが特徴。地域によって味が異なり、里いも、にんじん、したけ、こんにゃく、イクラが入っていますが、具も、切り方もそれぞれ違います。冬は温かいまま、夏は冷蔵庫で冷やして食べます。現在でもお正月をはじめ、お盆や行事、お祭り、冠婚葬祭などの際に各家庭で楽しまれています。

(新潟県観光情報サイト「にいがた観光ナビ」より)

情報量は十分だが、共感を得難い。つまり、自分の言葉で書かれていない文章と言える。

講義を受けて、私なりにライティングしてみたものが以下の文章だ。
オリジナリティは出ているのではないだろうか?

私の文章:

【のっぺ】

私は、大学進学で初めて新潟に来て、農学部に入りました。
そして、農学部の授業や研修、フィールドワークでいろいろな農家を訪ねてまわっていました。

農家や農村を訪れる度に、

「ウチのを食べてみろ!」

そう言って農家のお母ちゃんが毎回勧めてくれた料理が、里いもを主として作る「のっぺ」でした。

のっぺは冷たいものから、温かいものまで。汁があるものも、ないもの。使う野菜や具も、その切り方も出てくる家によってさまざま。

4年間の大学生活の中で、一度も同じ味の「のっぺ」はありませんでした。

そんな新潟の土地と家庭に根付いた、故郷の味が「のっぺ」です。

新潟を訪れた際にはこの新潟のお母ちゃんの味をぜひ味わってみてはいかがでしょうか?

のっぺを食べたことがない県外の人が、「食べてみたい」と思ってくれたら幸いである。

さて、今回のセミナーで個人的に共感される文章を自分の言葉で書くための技術として、以下の4つが整理できた。

 1.読み手の欲しい情報は何か、徹底的に考え文章に含める

 2.感情を動かすには「自分の言葉」で表現する 

  そのためには・・・

   2-1.五感を使った表現を文章で行う

   2-2.自分の体験をストーリーとして語る

以上をまとめていたので、ブログでシェアさせていただいた。
もし、前半のWEB運営やその他の内容について知りたい方がいたら個別にご連絡いただければと思う。

ライター 唐澤頼充

シェアハウスの人間関係は6割程度で

シェアハウスに住み始めて、10ヶ月くらい経った。

現在は男性2名、女性2名の4人暮らしをしているが、つくづく思うのは「シェアハウスの人間関係は6割程度の仲がちょうどいいな~」ということである。

シェアハウスに住むことを想像すると、「赤の他人とうまく暮らしていけるの?」と不安に思う方が多くいると思う。
確かに、誰とも関わりたくなく一人でいたいという人にとってシェアハウスはおすすめできない。
それでも、普通の人間関係を築ける人にとってはシェアハウスは心地よい空間になると思う。

私のようなちょっと寂しがりの人間にとってはむしろ心地よいとも言える。

私の住むシェアハウスの住人たちは、このシェアハウスに住むまでは一切面識がなかった他人同士だ。
その他人同士が一緒に暮らせるほどものすごい仲良くなれるのかと言うと、それはNOだと思う。

シェアメイト同士は、家族でもなければ親友でもない。
あくまでも他人。
具体的に言うと、学生時代のクラスで、プライベートで遊ぶことはないが良好な関係のクラスメイトのような存在だ。
学校行事や班活動、授業では仲良くするし、休み時間に世間話もするがそのレベル。
特に親しい友人というわけではない。
そういう人たちだ。

だから無理に仲良くすることもなく、6割程度で充分。

そんな人間関係が居心地が悪いかというと、むしろ深く関わる必要もないので個人的には心地よい。

全く知らない人の中に参加して授業を受けるよりも、自分のクラスで授業を受ける方がなんとなく心地よい。
それと同じで一応面識ある人たちと生活を共にするとなんとなく安心する。

居間にいても会話に加わらなくてもいいし、別のことを何かしてても良い。

最低限のコミュニケーションが取れれば全く問題ない。

親友や恋人、仕事など深い関係はシェアハウスの外で築けばいいし、シェアハウスの外のほうがいい。

また、「プライベートが大切」という人もいるが、一歩外に出れば知らない人だらけの匿名の世界。非常に孤独だ。
一人になれるスペースも街には充実している。

街にプライベートを求め、家にパブリックを求める。
かつて日本人が長屋や大家族で、また最近の人が普通に家族で暮らしていた頃となんら変わりがない。

そんな空間がシェアハウスにあると思う。

あんまり構えて住むものでもない。
経済的なメリットもあるし、シェアハウスがもっと家を選ぶ際の選択肢になれば良いと思う。

ライター 唐澤頼充

新潟市の動物ふれあいセンターの毛を刈り取られたアルパカ達

新潟市江南区に今年5月にオープンした食と花の交流センターエリア「いくとぴあ食花」。
その一施設として動物ふれあいセンターがあります。

ちょっと日中空き時間ができたので覗いてきました。

ここはアルパカ、カピバラ、ヤギ、ヒツジ、ウサギなどの動物が飼育されてる施設。
エサやりやふれあいなどの体験ができます。

ということでアルパカさんに会いに行ったら、おいおい!毛を刈られているではないか!!!
何このアンバランス!かわいい!

そして、基本的にアルパカはダルそうでした。。

ちょうど餌やり体験の時間だったので、アルパカとヤギに餌をあげてきました。
餌は「チモシー」と言うイネ科の植物。
ヨーロッパ原産で、和名は「オオアワガエリ」。

手のひらから直接食べさせます。
噛まれるのではないかと心配しましたが大丈夫でした。

アルパカ、ヤギ以外にも動物達がいます。

でけぇカピバラさん。
怖い。

ちっこいモルモットたち。
かえわいい。

でけぇウサギ。
ブサイク。
ちなみにうさぎは1羽2羽と数える。

羊。
暑そう。

こじんまりとした施設ではありますが、新潟には動物園がないので、こういった施設は人気を集めそうですね。

ちなみに、ここは動物愛護センターと併設されており、飼い主のいない保護された猫や犬もいます。
この施設で新しい飼い主に出会えるといいですね。

入場料はかからない施設で、平日の昼間は人もまばらでまったりできました。

お時間ある方は行ってみてはいかがでしょう?
ウェブサイト→http://www.niigatamirai.com/doubutsu.html

唐澤頼充

宮崎駿監督の引退と、「風立ちぬ」と、矛盾を生きる

新作が出ると毎度のこととも言えそうであるが、映画「風立ちぬ」を最後に宮崎駿監督が引退宣言を行った。

ネットではまたか・・・という声も多いようではあるが、「風立ちぬ」を見たあとでは、なんとなく納得してしまうほど、この作品は宮崎駿監督の生き方の「矛盾」を再現していたように思う。

堀越二郎と宮崎監督:

風立ちぬは、零戦の設計者・堀越二郎が、少年から青年にかけて「美しい飛行機づくり」に邁進した姿を描いたアニメである。

主人公の二郎はストーリーの中で「美しい飛行機を作りたい」という夢を純粋なまでに追求していく。
その一途さは、時折観覧者をおいていくほど徹底している。

絶対的な正義感・美意識の徹底、一心不乱さ、そんなものを持ち合わせる共感を得難い主人公。
その姿は「美しいアニメーションを作りたい」と願う宮崎駿監督自身に重ねざるを得ない。

どこまでも身勝手な二郎と宮崎監督:

そんな夢を追う二郎は、一見美しく見えるがどこまでも身勝手である。

作中、結核に犯された女性「菜穂子」と出会い、恋に落ちる。
結核といえば、1940年代の日本においては死因の第1位である。
特効薬のなかった時代、菜穂子の生存率は限りなく低かった。

そんな菜穂子と恋に落ち結婚までした二郎は、最後まで仕事優先の人であった。

告白を終えた後、軽井沢の診療所にいる菜穂子に二郎が見舞いに来る描写はない。
たまに送る手紙の内容は仕事のことばかり。
病気を押して、突然山を下り二郎の元へ向かった菜穂子であったが、二郎は仕事ばかり。
交わす会話は「いってらっしゃい」と「おかえり」だけ。

そして、菜穂子は二郎の元を去り、軽井沢の診療所に戻り、ひとり亡くなってしまう。

これらの描写は作中では美談のように語られるが、菜穂子の気持ちを考えれば、二郎はどこまでも身勝手な男である。

夢に生きた男と犠牲になった家族。
仕事を投げ打って、もしくは減らして本当に好きな菜穂子と大切に過ごすという選択肢は、二郎には全くなかったようである。

ちなみに、宮崎駿監督も似たようなものであったようだ。
岡田斗司夫氏が語った息子宮崎五郎監督についての話の中で、
「五郎氏は、母から頼むからアニメをやらないで欲しい。父(駿氏)のように鬼になってはいけない!と言われていた」そうだ。

二郎は最後に死んだ菜穂子に「あなたは生きて」と許される。
宮崎監督もアニメに捧げた人生を許して欲しかったのではないかと想像できてしまうのだ。

“ピラミッド”のある世界、“原発”のある世界:

作中、次郎が夢の中で邂逅するイタリアの飛行機設計者のカプローニ氏。
カプローニ氏の
「君はピラミッドのある世界とない世界、どちらが好きかね?」
というセリフはこの映画の象徴的なセリフとして受け止められている。

ピラミッドのある世界=飛行機のある世界だ。
「空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っている。」
とカプローニは続ける。

また、二郎の友人本庄は、作中で貧しい兄弟に菓子をあげようとした次郎を批判する。
「偽善だ。その子がお前に礼でも言うと思ったか?腹を減らしている子供なんかいくらでもいる。俺たちがやっている飛行機の開発に消える金で、日本中の子供たちに天丼とシベリアを毎日食わせて、まだお釣りが来るんだ。」

美しさや夢を追い求めることは多くの犠牲や負の部分を生み出すことになる。
二郎が夢を追いかけることは、本当に大きな犠牲を払うのである。

風立ちぬ最後のシーン。
カプローニと語らう二郎は「国を滅ぼしてしまった」とつぶやく。

二郎の目指した「ピラミッドのある世界=飛行機のある世界」は極端なことを言うと現在の
「原発のある世界」
とも置き換えられる。

原子力発電には夢や美しさ、人類の希望が間違いなくあったのだ。

“反戦”と“反原発”:

風立ちぬの二郎は“反戦”の人であった。
カプローニとの会話の中でも、迷いを口にすることもあった。

そして、ご存知のとおり宮崎駿監督は“反原発”の人である。
「スタジオジブリは原発抜きの電気で映画を作りたい」
と表現したデモは記憶にある人も多いのではないだろうか。

しかし、アニメーションというのは明らかに豊富な電力の恩恵を受けた製品である。
「美しいアニメーションを作りたい」という宮崎駿監督の夢は、原発の電力の恩恵を受けてこそ実現可能な夢だったのだ。

二郎は戦争を嫌いながらも、戦争の道具となる飛行機を作った。
宮崎監督は原発を嫌いながらも、原発の恩恵の極みとも言えるアニメーションを作った。

二人の美意識の追求は、二人の想いに反して望まないものを推進したことにもつながったのだ。

矛盾の中で生きる:

風立ちぬという作品を通じて、矛盾した個人の美意識に基づく行動と、一個人にはどうしようもない社会の流れと、その中で「自分のため」に生き続ける二郎と宮崎駿を見た。

二郎が直面する矛盾は、宮崎監督が感じ続ける矛盾であったのではなかろうか。

人は矛盾の中で生きているのだ。

その生き様に「風立ちぬ」が心を揺さぶられる作品であったことは間違いない。

風立ちぬのラストシーンで、矛盾の中に生きた二郎は許しをもらう。

菜穂子からの「あなたは、生きて。」

カプローニからの「君は生きねばならん。」

そして、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの言葉、「風立ちぬ、いざ生きめやも。」

作品のテーマである
「生きねば。」

誰もが心の中で葛藤を抱えて生きている。
矛盾の中で生きている。

しかし、それでも生きなければならない。生きていいのである。

そんな宮崎監督の渾身のメッセージを感じた作品が風立ちぬであった。

私は「ああ、伝えたいことを表現しきったのかな。そして自分自身を許すことができたのかな。」と感じ、なんとなく今回の引退が本当に最後なのかなと納得した。

宮崎駿監督、素晴らしい作品を今までありがとうございます。
そしてお疲れ様でした。

ライター 唐澤頼充